〈もの思い日記〉0420「言えない」が少なくなれば、少し幸せになれる。

私は話すことに苦手意識がある。
最近、その苦手意識と向き合い続けている。

話すことが怖い。
改善していると思っていたものの、まだまだゴールは遠かった。

私の人生、パーソナリティを開示するにあたって、人よりも「言えない」ことの方が多い。

noteやヒカリテラスでは語れるが、例えば「自殺」とか「引きこもり」とか。
自己開示をするにも、「言えない」という壁がすぐにそびえ立つ。

自分のことを伝えるタイミングの多い今、何よりも不安に思っていることの1つだったりする。

自殺することを諦めてから、自己開示をすれば相手から距離を取られてしまったり、遮断されてしまったりすることが多かった。

「自殺」という言葉は、一言で重く、一言でその人に何かがあったと伝わりやすいものである。

たった一言で「大変だった人」「心が弱い人」というレッテルが貼られてしまうこともある。

相手に与える影響だけでは無い。

自殺をすることを諦めてから、かれこれ7-8年経ってはいるものの、今でもあの時の記憶や感情を忘れることはない。

それどころか、私の根底は希死念慮であって、未だに生死の思考に囚われている。

そんな中で、少しでも自分の地盤がぐらつけば、すぐにトラウマが脳内を襲う危険性もある。

日々、一言を話すことで与える相手への影響と自分の精神への影響を考えながら、出したり出さなかったりして、成功と失敗をしている。

でも、ふと思う。
偏見によってタブーとされている言葉が言えるようになれば、最悪のリスクを避けたり、社会に出る不安感を取り除いたり、できるんじゃないかと。

例えば、「死にたい」という気持ちをずっと心に秘めていた場合。

私たちは考えをうちに秘められると、その人の考えを推察することしかできず、探るアプローチしか打てない生き物である。

でも「死にたい」という言葉がタブーである以上、その言葉が発せないから周りの人間がアプローチできず、最悪の事態を招くこともある。

また自分で抱え込んだ結果、溢れ出て、最悪の事態を招くこともある。

自殺は突発的にではなく、予兆があることがWHOのレポートにも書かれている。
しかし、その予兆である「死にたい」がまだまだタブーであればあるほどに、予兆は見えない。

「死にたい」「自殺」という言葉が、偏見によってタブーな世の中じゃ自殺率が減らないのもわかる気がする。(小声)

例えば、転職時において、前社を退職してからブランクがあった場合。
そのブランクを説明できないのは、何も無いからだけではなく、社会の偏見によって生まれたタブーを経験してきたからかもしれない。

精神疾患や引きこもり期間、社会の偏見によってタブーになってしまうのは「個人の責任」として片付けてしまっているから。

でも、精神疾患や引きこもり期間などが正直に伝えられたら?

その期間の空白は埋まる。お互いにリスクに対する理解ができる。かもしれない。

精神疾患も引きこもりも絶対にならない人なんていない。
そう考えれば、人間なのだから当たり前。

当たり前なのに、タブーを抱えているからと遮断をするのは
社会の在り方として、人の持続可能性がないんじゃない?と思う。

偏見って文化。長い歴史の中で醸成されたものだからこそ、変えることは難しい。

ただ自殺においては、コロコロ変わっている気もしている。

戦前は自殺を強要するなんて描写も読んだ気がするし、お侍さんの切腹もいわゆる自殺と思えば、日本は自殺は「国や個人の尊厳を守るための死」であったことが想定される。

戦後は日本国憲法が制定されたこともあって、個人の生きる権利、幸せに生きる権利が強調されている印象がある一方、

「資本主義」によって、個人の責任、個人の自由が強く反映されて、自殺という選択においても「個人の責任」と考えられるようになったのではと想定される。

自殺が「個人の責任」ということは、「個人の人生にどんな苦しみが降り注いでも、自分の責任で、死んでも国は責任取らないよ」ということである。

自殺に対する文化は、実はコロコロ変わっている。要は1人生きる時間以上はかかるかもしれないけど、変えられる文化だということ。

だから、私は「自殺」も「死にたい」も、タブーじゃない世の中を望んでいるし、発信を続ける。

でも勘違いしないで欲しい。

あくまで世の中の文化の変革ができなければ、私は不安を抱えながら社会を生きていかなければならなくなるから、頑張ってるだけ。

私が頑張れば、課題を感じる人々が頑張れば、新しい文化が醸成される。

そう信じなければ、頑張れない。

世の中には「自殺」というコンテンツが蔓延している。
小説にも、漫画にも、映画にも。

現実社会ではタブーでも、コンテンツ世界ではタブーでは無い。
じゃあ、どうして話しちゃダメなんだろう?

きっとコンテンツ世界での「自殺」の立ち位置に秘密があるんじゃないかな?

色々書きたいことは尽きないんだけど、今日はこれまで。

自殺がコンテンツの中のものだと考えているのなら、私はそろそろ世の中に失望しそうだ。

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