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不要不急の古書展

継続は力なり」なんてよく言われることだし、実際なにかを毎日なり毎週なり欠かさずに続けていくことは文句なしに偉大だと思う。わかってはいるのだが、僕はそれが極端に苦手である

日記を毎日つけていた時期もあったが365日はもたなかったし、夏休みの宿題を毎日数ページやる目標なんて2日と続かない。はやい話が飽きっぽいのだろう。

もっと長いスパンでの話をしても、楽器とか武道とか、果ては語学とか勉強の分野においても何一つやり続けることはかなわず、どれもこれも捨てて来てしまった。

潔癖スイッチが入って、「意地でも続けなければならない」という強迫観念が刷り込まれればどうにかできるのだけれども、果たしてそれが「継続は力なり」の真意に当たるかというと、ちょっと怪しい。


下らない言い訳はさておき、昨日も昨日で神保町の古書展へ赴いた。

時世は相も変わらずコロナに振り回され、娯楽も仕事も自由が利かなくなっているからまったく閉口する。その意味で古書展など、――まあとくべつ喋る場所ではないから「最悪」とまでは言わないものの、小汚いオッサンたちが芋の子を洗うように密集する空間だから、あまり飛び込むべきではない環境といえよう。

他方で、昨日は珍しく春分の日=祝日の開催となったため、カタギの生活を送っていてふだんなら金曜の朝に並べないような人たちの参戦も予見された。

プラスとマイナスとが拮抗し、どちらが勝るかというところだったが、結果としてはふだんと変わらないくらいの人数が並んでいたようだ。僕は開場40分前から並んで20番目くらい。


今回はどうも調子が優れないこともあってフットワーク(!)が甘く、自分が期待するだけの手ごたえは得られなかったのだが、その中でもいくつか面白い本は手に入れることができた。

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例えば樋口一葉の『たけくらべ』(大正7年)は、重版だがこれが最初に出された単行本。本編は「真筆版」として、原稿がそのまんま転写されている。

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いまこうした崩し字を読めるのなんて、国文科か国史科かで勉強した人に限られると思うけど、当時はいまより多くの人が読めたのだろうか。(そもそも本を読む人というのが高い教育を受けていた層に限られていた、というのはあるだろうけれども)

本書は一葉の死後に刊行されたもので、露伴や鏡花が文を寄せているというのもいい。こういう資料は手元に置いとかなくてはならないと思う。


それから装丁目当てで買ったのはこれ。

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サトウハチローセンチメンタルキッス』という本、昭和5年の発行で、題名は聞いたことがなかったがカバーみたいな部分に窓が開いているのが面白い。

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竹中英太郎とか田中比左良とか、いい挿絵が多いのも魅力だが、1ページ目(?)にある津田尭の手によるらしいこの絵がとくに可愛くて気に入っている。

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正直、今回の古書展は中止になるかもしれないと思っていた。古本業界でも大き目の催事は自粛が相次いでいる中、よくぞ開催してくれたものである。

以前も少し書いたが、こういう社会が停滞しきったときは、僕のようにマジメに生きていない人間こそ経済を回すべきだと思っている。

美術館博物館は休館がほとんどだが、映画と古本、この2つはしばらくの間、僕の無聊を慰めるメインの手段としたいところである。


よく考えてみれば、熱中した趣味としては「古本」というものが一番長続きしているのかもしれない。

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