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指先はしっている

公募のため、サイトより一部修正して転載。

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 幼い頃、私はとても素敵なお兄さんと出会ったことがある。

 ミモザの花が黄色い房をいくつも作るその陰で、白いシャツに黒いジーンズをはいた、細いつり目のお兄さんは、小さな私にはひどく大人に見えた。
 どんな話をしたのかはわからない。ただ、彼の最後のひと言だけが、深く私の中にしまわれた。

「君が一番美しくなった頃に、また会いに来るよ」

 そう言って、彼はディズニー映画の王子様のように、うやうやしく私の指先にキスを落としたのだ。
 お姫様に憧れていた私にとって、それは一生を決めるにふさわしいひと言だった。


「お誕生日おめでとうございまーす!」
「明日よ、明日」

 苦笑を浮かべて見せつつ、スタッフからの花束を受け取る。たっぷりとしたミモザの花束は、それだけで特別な華やかさを持つ。
 心身伴う美しさを目指して、いつしかトータルコーディネーターになっていた私は、彼に出会えないむなしさを抱えながら四十の誕生日を迎えようとしていた。

 仕事は順調だ。友人関係も申し分なく、スタッフにも恵まれている。恋人はいないのか、と下世話な詮索を受けることもあるが、仕事に打ち込む独身女性は、ありがたいことにそう珍しくもない。
 それに、言い寄ってくれる人はいる。「ミモザのお兄さん」の話をしてさえ、笑って受けとめてくれる人が。
 
 ……もう、いいかな。
 帰り道、ふいにそう思った。

 あれはきっと、幼い日に見た幻のようなもの。当時大人に見えた「お兄さん」が、実際いくつだったとしても、今では老年にさしかかっていることは間違いない。
 それはそれでナイスミドルになっているだろうけれど、その先を考えるには、あまりに年を取りすぎている。
 ……そう、お互いに。

 もう二度と出会うことがないとしても、彼のひと言は私の人生を変え、生きる道を支えてきた。
 十年前なら振り回された、と言っただろうが、今はただ感謝だけがある。

 今の私を作ったのは、彼の言葉と私の努力だ。
 そう認めることが容易になったのは、やはりこの年齢だからだろうか。


 帰り道の途中にある花屋にも、ミモザの花がこぼれるように咲いている。
 その様を浮き立つ気持ちで見ていると、足元に何かがまとわりついた。

 ――なぉん

「あら、猫さん」

 お腹だけ白い黒猫が、私の足に体をこすりつけている。しっぽをピンと立てているのは、確かご機嫌の証だったろうか。

「食べ物の匂いでもついたのかな……ごめんなさいね、今何もないのよ」

 そっと押しのけようと伸ばした手に顔が近づき、指先にやわらかなものが触れる。

 ――覚えのある感触だった。

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もっと不思議な話に特化した掌編集です。12駅分くらいは驚きをお届けできるかと。書籍にしてなきゃ出せたのになぁ!

アイコン描いてくださる方にきちんと依頼したいので、サポートいただけるとうれしいです。