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縦書きの砂糖(山本アンディ彩果「エターナル・ストーリー」)

 2021年12月2日〜18日、山本アンディ彩果の個展「存在の輪郭」が東京・神保町「無用之用」にて開催された。展示された作品「エターナル・ストーリー」についての感想を以下記す。

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 あなたの記憶はどんなかたちをしているだろうか。僕は記憶を水のようなものと思っていた。山本アンディ彩果の作品「エターナル・ストーリー」は、記憶の優れた比喩である。僕たちが今まで持ってきた記憶についてのイメージを塗り替えるほどの。

 開かれた本がある。古い本なのか、頁はやや黄ばんでいる。左右の頁には縦書きの文字列が並ぶ。その文字列を砂糖の粒が覆っている。文字列は、くぐもって、読めそうで読めなくなっている。いわば"本の砂糖漬け"である。

 作品に触ると崩れてしまいそうな点が、記憶に似ている。記憶は失われやすく、繊細なものである。また、味覚の面でも、この作品は優れた記憶の比喩である。多くの記憶は風化すると甘くなる。苦いこともあるけど。

 砂糖と記憶というのは相性がよいらしく、山本の「エターナル・ストーリー」は、フェリックス・ゴンザレス=トレス(1957〜1996)の作品「無題(ラバー・ボーイズ)」を想起させる。同作品は、飴粒の山で、その総量は、亡くなった恋人の体重と作者の体重の合計である。鑑賞者たちはその飴粒を持ち去ることができるが、展示スタッフにより補充される。半永久的に喪失を繰り返す、痛ましい作品である。

スクリーンショット 2022-01-22 午後10.18.46(出典:フェリックス・ゴンザレス=トレス基金

 山本の作品は、触覚面・味覚面でゴンザレス=トレスの作品と共通する部分もある。一方、同作品と比べた場合の山本作品の強み・特色は、その形状面である。砂糖漬けにされた文字列が縦書きであることで、それらの粒は流れ落ちながら、きらきらと固まった思考のように、さらに踏み込めば涙のようにも見える。忘れることの痛みも惹起させる。作者が、世界一縦書きの栄える国、日本を拠点にしていることもこの作品の唯一性を強化している。

 山本の作品を眺めると、蟻が来ないのだろうか、と心配する人もいるかもしれない。しかし、それも「エターナル・ストーリー」の良さである。永遠性にも通じうる塩などの無機物ではなく、蟻に持って行かれてしまうような有機物であることが、作品の儚さに繋がっている。

 山本は、個展のリーフレットの中でこう明かす。

 砂糖漬けという手法で作品をつくり始めたきっかけは、認知症の祖父との二人暮らしだった。一瞬前の出来事ですらすぐに忘れてしまう祖父を前に、記憶が消えたり曖昧になることによって私たちの記憶がフィクションになっていくように思えた。この事からおとぎ話(=フィクション)の本を砂糖漬けにしていく作品『エターナルストーリー』の制作をはじめた。果物なと美しいままに保存する砂糖漬けという技法は、失っていく記憶をとどめようとする行為と似ている。刻々と溶けていってしまう儚い保存方法を用いることで、どうしても忘れていってしまう記憶に対する自覚と、記憶が永遠に残ることを願う思いの両面を表している。

 消えていく記憶をつなぎとめる媒体として、半永久的に残りうる石碑や塩ではなく、意識的に脆い砂糖を選択している。その謙虚さ故に、記憶のあり方そのものに肉薄している点、忘れることの痛みを縦書きでしっかり捉えている点などが、「エターナル・ストーリー」の美徳である。

 今回の個展に出品された作品たちに通底する「痛み」のリアリティー(それが事実のものかどうかは問わない)から、山本氏は自己のために作品を作っていると、信頼できる作家であると、確信した。今後の活躍を楽しみにしている。

※冒頭サムネイル画像は同個展のDMより

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