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中東の話(魚村晋太郎歌集『バックヤード』1)

 魚村晋太郎の歌の魅力は、物語を隠すハードボイルドな文体、詩的飛躍による世界の異化・拡張、歴史的仮名遣や雅な動植物名による読解速度の制御・歴史への接続などにある。

 最新歌集『バックヤード』(2021年、書肆侃侃房)でもその文体は健在であり、しっかり評を書きたいが、まだ自分の中でまとまらず、とりあえず、ここでは同歌集に収録の歌について、中東の知識に基づいた一首評を載せたい。(以下、同人誌「中東短歌」創刊号(2013年)に掲載したものを微修正して転載。)

潰される間際、蛹の腹うごくムアンマル・アル=カッザーフィーの唇

 /「目蓋」魚村晋太郎(「歌壇」二〇一二年二月号) ※唇には「くち」とルビ

 二〇一〇年末のチュニジア人青年の焼身自殺に端を発する、いわゆる「アラブの春」はその後、エジプト、イエメンなどに指導者の交代を引き起こしつつ、シリアにまでその火が広がった。中でも派手な体制転覆劇を見たのが、リビアであった。

 まず、歌の前提として簡単にリビア「元」最高指導者ムアンマル・アル=カッザーフィーの人物とその最期について書く。ムアンマルは「長命」に由来する名、アル=カッザーフィーは「射手」を意味する部族アル=カザーズィファ族に由来する姓(日本では"カダフィー"とも)。一九六九年、クーデターによって二八歳の若さでリビアの最高指導者となる。当時の英国メディアから受けたインタビューの様子がYouTubeに上げられており、観ると惹きこまれる。

 知り合いのリビア出身の先生によれば、カッザーフィーは、実に聡明で演説がうまく、有言実行、誰からも愛されていたらしい、最初は。どんな英雄も死なねば腐るのみ。やがて利己的な振る舞いが増え、人心は離れていった。彼はそれに気付かない。溜まりに溜まった国民の不満へ、隣国チュニジアで起きた革命が火をつけた。蜂起した民衆に対して演説で「誰だ、お前らは?(من أنتم؟)」という言葉を放ったカッザーフィーは二〇一一年夏、反政府派に首都を追われ、潜んでいた下水管から引きずり出されると、自分が国民に愛されていると信じたまま、殺害された。銃殺とも撲殺とも言われる。彼が殺害される前の様子と、遺体が暴行される様子もまた、Youtubeに残っている(閲覧注意)。

 魚村の歌の上の句「潰される間際の蛹うごく」からは、誰がこの白い蛹を潰すのかという問が想起される。その問への答えが出ないまま、読み手は下の句へ移らざるを得ない。下の句の最後の一字を読み終わった読み手は、蛹がカッザーフィーの唇の比喩であったことに気づく。気味の悪い蛹の腹の白さが、一瞬で血まみれの唇の鮮やかさに変わる。このコントラストは美しくさえある。

 そして同時に、先程の問の答えも出る。蛹を潰すのは、圧政に長年苦しんだリビア国民の何百万という手であったのだ。四十年以上にわたってリビアに君臨した独裁者も、怒り狂った群衆の中で、ただ嬲り殺されるだけの存在になってしまった。そして蛹は、自分が何故潰されなければならないのか解せずにうごくのである。誰だ、お前らは、と。

2021年4月4日追記:現在もシリアやイエメンでは戦乱が続き、エジプトでは軍事政権が復活。そして、カッザーフィーの死後、各国が介入して血みどろの内戦が続いていたリビアでは、この3月10日、暫定国民統一政府が承認された。が、安定に向けた道のりは長い。いわゆる「アラブの春」開始から10年が過ぎた今、あれは本当に春だったのか、という問いに中東の民の誰しもが向き合っている。

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