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時差歌会・公開版 (記録)

 2022年5月4日21:00〜22:30、Twitterスペースにて、魚村晋太郎、上篠翔、安田茜、千種創一(企画・司会)による時差歌会が開催され、約300人が視聴しました。歌会に興味のある方の参考になればと思い、概要を以下に記録します。
 自分だったらどの歌が好きか、なぜ好きだと思ったか、など考えながら読み進めて頂けるとより楽しめると思います。

(配布された詠草一覧)

1 はじめに(千種挨拶)

(1)時差のある中東から千種が、数年前からskypeなどで開いてきたのが時差歌会。日本に帰って音楽や美術の人と話すと、歌会に興味あるが出向くのは躊躇うという層が少なくない印象を受け、今般GWに合わせて公開の時差歌会を企画した。
(2)歌会は10人前後で開くことが多い(その場合2時間ほどになる)が、今回は声だけということもあり、1時間・4人に絞っての開催とした。

2 自己紹介

(1)魚村晋太郎(うおむら・しんたろう)
 短歌結社「玲瓏」に所属、最新歌集は『バックヤード』。(結社というのは同人誌のもう少し大きくなった集団のようなもの。)
 短歌雑誌「短歌研究」5月号に7首を寄稿。6月には第一歌集『銀耳』新装版が出版予定。また、5/29(日)に東京で開催される「塚本邦雄生誕100年記念シンポジウム」を準備中。
(2)上篠翔(かみしの・かける)
 短歌結社「玲瓏」に所属。最新歌集は『エモーショナルきりん大全』。「粘菌歌会」主宰。四流色夜空氏とのネットプリント「よるしの通信」なども発行中。
(3)安田茜(やすだ・あかね)
 短歌同人誌「西瓜」に参加。最近では、短歌雑誌「眠らない樹 vol.8」掲載の第4回笹井宏之賞において神野紗希賞を受賞。
(4)千種創一(ちぐさ・そういち)
 短歌と現代詩とアラブ文学。最新歌集は『千夜曳獏』。「短歌研究」5月号に作品7首と、「現代詩手帖」5月号にアラブ詩史の評論を寄稿。短歌研究の連載では、消えゆく戦争の記憶や方言の継承のために短歌が何をできるかという観点から、祖母に取材して名古屋弁で作歌。次回は7月号に掲載。今年は詩集を出す。

(簡単な歌会の用語解説)

3 相互批評

(1)しんちゃんはみさえの見た夢 花散らしみたくほんとはない恋だった

(安田が投票)
安田:漫画クレヨンしんちゃんの登場人物「しんちゃん」はその母「みさえ」が見ている夢なのではないかという都市伝説を下敷きにしている。歌のすべてが架空の恋についての説明に費やされている。切なさがよい。
魚村:都市伝説を知らずに読んだので一層面白かった。「花散らし」は調べると、花見をして男女が交わる江戸時代の習慣。「しんちゃん」に「花散らし」に、ごちゃごちゃ感がある。
千種:魚村に同意。昭和・平成ベースの世界に江戸時代の雅語が持ち込まれている。
安田:その不調和な感じが、その架空の恋の不器用さにも繋がっているのでよいのではないか。

(2)こころさえあればどこでも果てになる薔薇が外側から枯れてゆく

(魚村が投票)
魚村:失恋や挫折を経験したとき世界の果てにいるような気持ちになる。ふだんは気づかないが、ひとりひとりの心は本当は「果て」なんだ、上句はそんなふうに読んだ。箴言的な歌は説明的になるとダメだけれど、この歌はそうならずに下句の強さが上句を支えている。
千種:上の句は、「こころ」があるからこそ、自分がいる街や世界の「果て」が認識され、そこに寂しい「果て」が生まれるのだという認識論だと思った。確かに乾燥は外側からくるので説得力のある下の句。読者はその下の句を足がかりに上の句の世界に入っていくことができる。
上篠:千種と同じく、上の句は哲学読みをした。全体に暗いが、単純にマイナス方向だけではなく、「さえ」という助詞のあたりに二律背反的な救いを感じる。

(3)内側からふれてくる手はこばめない見覚えのある夜の雨の木

(上篠・千種が投票)
千種:3音・3音・1音というあまりない形の結句の格好良さと、暗い内容に合う暗いO音・U音の強勢箇所への設置の格好良さという、韻律でこの歌に票を入れた。初句は「自分の」内側と解釈。手は抽象的な手。創造のための手なのか、何か欲望の手なのか。それらを拒めずに自分が崩壊していく感じ。崩壊しながら視野に木がある。結句に詩的圧縮あり。会話であれば「夜の雨の降る中の木」などと言う筈。
上篠:手は内側から来るどうしようもない感情か。「さわる」よりも「ふれる」の方がより物事の奥に届く感じがする。「見覚えのある木」だけど、やや異質で、内側の攻め手から逃げられる象徴的な外部のように思われたので、その点に生の救いを感じた。
安田:良い歌だが、みんな票を入れると予想したので、別の歌に入れた(笑)。手は夜の雨の中の木を見てると思い出す何かの記憶ではないか。抽象度が高く読者を容易には寄せ付けない感じが、この人物にとっての「こばめなさ」につながっている。

(4)たくさんのものをすてたね 部屋はいま日食のむらさきに冷えてく

上篠:片づけて閑散とした部屋がだんだんと暗く冷めていくことに圧迫される自分を見ている自分、というメタ認知的な歌。①上の句が「すてた」とか「すてた」ではなく、「すてた」という呼びかけになっていること、②「日食」が地球と太陽の間に月が割り込むイメージを醸成していること、の2点が、自分を見ている自分というメタ認知構造へ繋がっている。
安田:下の句にイマココ感あり。「日食のむらさき」について調べたら、日食の際は空が紫になるらしい。その緊迫感が上の句のひらがなの空虚な感じに繋がっている。一首の中に具体がないのが物足りなさ。
魚村:具体が不足との指摘に賛成。「ね」を使うことでの文体の変化で読ませたかっただろうか。「捨てる」と「冷える」は同じ方向の語で、上句下句が近すぎる。

4 作者発表

5 おわりに(千種挨拶)

(1)歌会は、短歌の強み。歌会のような、ここまで素早く丁寧にフィードバックを貰う機会を備えた表現形式はなかなかない。歌会のフィードバックをすぐに実作に反映し、すぐに上達していける。
(2)批評は、歌の良いところ悪いところを指摘し合っているのであって、たとえ歌の悪いところを指摘されてもそれは人格攻撃ではないので、歌会を恐れる必要はない。また、歌会は、票数ではなくて、誰が入れたかが大事。のっぺりとした数字になってしまうSNSの「いいね」とは質が違う。
(3)聴いて頂いた皆様も、これを機会に、ぜひ歌会に足を運んでみてほしい。企画に乗って頂いた魚村氏、上篠氏、安田氏、お聴き頂いた皆様に厚くお礼申し上げる。


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