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大きなブランコ(上澄眠歌集『苺の心臓』)

 芸術は、何十年もかけて大衆性と前衛性の間をブランコのように揺れ動くものである。その一部たる言語芸術としての短歌もまた例外ではない。しばしば方法論第一主義や技法第一主義に走って難解になることもある現代短歌において、上澄眠歌集『苺の心臓』(2019年、青磁社)は、意味の平易さに片足を置きつつも、短歌が培ってきた技法を受け継いでいる、中道の歌集だと感じた。

横浜に行ったらほんとに恋人になってしまうよねえ帰ろうよ 「ときどきぬるい」p9

冬の風こんな大事な局面で例文みたいなことしか言えず 「ときどきぬるい」p16

春菊のおひたしのようにしんなりと眠るあなたをみたことが ある 「青を飲みほす」p22

官能というのはつまりむきだしのひざが感じる春風のこと 「春風」p39

もうだれもテストをしてくれない秋にものをおぼえることはさびしい 「星月夜」p58

欲望とあなたについて話したい動きつづける火など見ながら 「やわらかいカーブ」p85

まちがってあなたを刺したりしないよう包丁はすぐ洗って片す 「ビスケット」p98

金平糖(あなたが生きているかぎり飽きたりしない)ひとつあげるね 「ビスケット」p99

おいしくて食べるドーナツ気がつけばぜんぶ話してしまったしまった 「ぼろぼろこぼれる」p102

やさしくしてくれそうだから君が好き それはやっぱりやだな野葡萄 「パプリカ」p108

モッズコートは前を開けたら内臓が直にある気がして大好きだ 「ハッピーエンド」p128

 これらの歌には、意味は平易でありながら、身体感覚の描写を通じた読み手側への感情の伝達、リフレインによる韻律の端正化、俳句的なキレ(俳句のそれとは違う)、一字空けによる読み手の呼吸の統制、パーレンによる感情描写の多層化などの技法が見られる。

 また、たまに出てくる包丁や内臓などのグロテスクなアイテムが、歌がポップな方向へ流れていかないよう重しとなっている。この中道を行く感覚が上澄眠の持ち味である。ブランコは地面に近い、揺れの真ん中に来た時に最速となることを思い出した。

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