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横浜市の区境ハンター。カメラはLUMIX GF10使用。性格はよく笑う、オモシロイこと…

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横浜市の区境ハンター。カメラはLUMIX GF10使用。性格はよく笑う、オモシロイことがあれば飛びつきます。他にはジャズドラマーとしても駆け出しながら活動中

最近の記事

旅の楽しみはやっぱりね

メシ、飯、めしー! てことで、区境旅の最大の楽しみがこのご飯タイムと言っても過言ではない。 区境ロードはえてして、鉄道の最寄駅から遠い。 今回の道はたまたま踊り場駅すぐだったが実際こういう立地は少数派だ。 だから歩く、よく歩く。 旅をした日は1万歩を余裕で越える。 時間にしたら3時間くらい、私の年齢と体重ではゆっくり歩いたとして300カロリーくらいの消費だ。 ちなみに卓球だと1時間で約110カロリーだった。 そういう都合の良い理由をつけて、旅をした日は結構ガッツリ食べる。

    • 南へ南へ

      ここのところ、市の西部や北東部への旅が続いた。 写真を見てみるとパターン化してきたので、気分を変えて南の方へ足を運んでみた。 京急本線追浜駅で降りて16号線を北上する。 逆戻りした後、住宅街の道を六浦南小学校へと目指す。 ここからは緩い登り坂が続く、足が笑ってくる。 それを超えると、瀟洒なマンションがある この付近は横浜市最南端に近い場所、だから南国風なのか? 最後になかなかレアなコラボ風景が見られて幸せな気分にて、バスで六浦駅に降りた。

      • 川岸に潜入

        港北区、川崎市幸区、鶴見区の3境界があるのは鶴見川の流域。 ここを分かりやすく撮るには、川岸に降りないと伝わりにくい。 て事で、アラフィフ寄り40代としては若干過酷な冒険もやってみる。 でも童心に返ったようで、面白かった。 今回は写真多めなのでストーリ仕立て、キャプションも見てね。

        • 鉄分補給

          鶴見区/港北区 港北区側 鶴見川沿いのサイクリングロードを、綱島から東進し、川崎幸区を経てUターンする形で鶴見区に入るコース この川沿いは変電所があるので鉄塔パラダイス。 ご覧のように、至る所に鉄塔が映り込む。 鉄塔をテーマに写真を撮るなら持ってこいだ。 せっかくなので鉄塔写真を色々撮ってみた。 鉄塔を見たいならぜひ!

        旅の楽しみはやっぱりね

          実はデカいこのエリア...頑張

          昨年より始めた、横浜市18区境を巡る旅。 ようやく要領が掴めてきた。 暗中模索だった当初は、手始めに中区、西区など観光エリアでアクセスが楽な場所を中心に広げてきた。 が、それをクリアしたので、今度はもう1ランク広げていく。 そこで考えたのが 面積の大きい区を優先に廻る。 なお、18区の面積ランキングベスト3は 1位 戸塚区 2位 青葉区 3位 鶴見区 ここのところは最も大きな戸塚区を中心に廻っていたが、今日は気分を変えて鶴見区に行ってみようと思った。 てことで、鶴見区

          実はデカいこのエリア...頑張

          なんでもない絶景

          区境ロードによくある特徴の一つが、坂の頂上や尾根道であること。 つまり景色が見渡しやすいというメリットがある。 私が住んでいる場所は区境とは程遠い平坦な土地なので、利便性はあれども景色は期待できない。 だからこうして、手に届かない景色を求めて区境に出かけるのだろうと最近気づいた。 と言っても、そこで見られるのはいわゆる写真映えする風景とは少し違う。 キラキラ光る海辺でもなく、緑豊かな絶景というわけでない。 青い空、幹線道路、大きなマンション、住宅街を形作る家の集まり。 中に

          なんでもない絶景

          鉄塔のおデート

          戸塚/泉、区境の旅継続。 この辺りの特徴を一つ挙げると、鉄塔の存在感が強いこと。 ここに限らず、いわゆる区境に近いエリアは鉄塔が少なくない。 鉄塔写真のマニアなら、なかなかお勧めできるところもあるだろう。 区境の風景というニッチな写真を取っていく中、気がついたら自分もその良さに目覚めてきたかも。 区境でよく見かけるもの、鉄塔、自動車道の鉄骨、川沿いの風景など。 横浜は煌びやかな風景があんなにあるというのに、私はどこを向いているのだろう。

          鉄塔のおデート

          踊場駅の由来かな?

          昨日に引き続き、戸塚区/泉区。 踊場駅を北上コースは続く。 戸塚区と泉区の区境道をひたすらまっすぐ行くと橋を発見。 その名も踊場橋。 もしかして、駅名の由来と関係ある? と思って、軽い気持ちで調べてみたら... ま、ま、マジっすか! ね、ね、猫っすか! 実の所、由来や歴史に纏わる事実を調べることを「自制」している。 なぜ「自制」なのか? それは単純に、知ってしまうと好奇心がどんどん刺激されるから。 それだけ書くと好印象だが、実際の自分はそうでない。 遺伝的にとことんのめ

          踊場駅の由来かな?

          区境の旅再開

          お久しぶりです。横浜市18区境旅人の千種花です。 暑くなってくると、旅をお休みしてました。 そして気温が20℃を下回る日が増え、区境旅を再開させました。 もう40代も後半、50歳の方が断然近いので、あちこちガタがきてるのはイナメナイ。 命に関わるような大病はないものの、その分平等にやってくる更年期。 20代、いや30代の頃よりも無理が効かなくなりました。 でもだからこそ、無理をせず続けられるペースが分かったというか。 頑張れる時は頑張る、休む時は休む。 メリハリだけでなく

          区境の旅再開

          横浜市の田園風景

          こういう、いかにも田園な風景。 もちろん、これも横浜市。 場所は磯子区と金沢区の区境。 横浜の中心地は整備されたオフィス街や、近未来な観光地。 その概念を覆すような、長閑で穏やかな風景。 こういう景色の中を歩くと心が洗われる。 森林浴効果かもしれない。 だがこうして、ふとした時にランドマークタワーが見えるのが横浜ならではだ。

          横浜市の田園風景

          坂を登りつめると

          横浜はとにかく坂が多い。 一般的にイメージされるみなとみらいな横浜からすれば、坂だらけの印象はさほどない。 だが実際には、横浜市内の7割程度は坂と階段と谷。 平坦な場所の方が少ない。 だからか、こんな建物もよく見かける。 傾斜地の特性をうまく活用したひな壇マンションが、横浜市内はとても多い。 坂を登り詰めたら、向こう側のタワーマンションが見える。 この時、枠内にまあまあうまくシンデレラフィット。 区境の周辺は特にこうした尾根道が多い。 以前は坂や階段が見えただけで尻込

          坂を登りつめると

          オヤゴコロ?

          区境写真集の撮影をしていると、時に前に訪れた所にまた来てしまった、ということがある。 今日の区境の旅もそうだった。 昨年の10月初旬、まだ区境の旅を始めたばかりの頃。 当時は要領が掴めず、なかなかハードだった。 バスに乗るのが面倒なばかりにシェアサイクルで向かったのは良いが、その道幅が激狭い。 どのくらい狭いかと言うと、自転車がUターンできないくらい。 しょうがないから回り道をしようと思ってた時に見かけた区境の標識。 この時はバリバリの工事中だった。 でもなんとなく、工

          オヤゴコロ?

          こども植物園

          保土ヶ谷区と南区の境目にある、児童遊園地とこども植物園。 前者が保土ヶ谷区、後者が南区にある。 こども、とは言うが実際にはあらゆる年齢層の人がいる。 平日の日中なら、むしろ大人の方が多いくらいだ。 5月初旬の今は、バラの始まりくらい。 でもまだまばら、蕾だったものもあった。 6月になったらまた来よう。

          こども植物園

          大通り沿いの静寂

          磯子区と港南区の区境付近にて。 なおカバー写真は近隣にあるお寺、妙蓮寺。 妙蓮寺って、港北区にもあるけど(しかも神奈川区との区境付近)、関連はあるのかな。 蓮の字がつくから日蓮宗系列なのか、て、チェーン店かい! 最近は忙しい日々が続いて、ちょっと余裕がない。 これは記事制作用に撮ったものの没ショット。 明日からゴールデンウィークかぁ。 何しよかな、やっぱり区境旅かな。

          大通り沿いの静寂

          区境写真家になったのもコロナ禍があったから

          またまたのっけから変なタイトルで失礼ですが、そもそもなぜ区境写真家になったかのキッカケが、まさにそうとしか言いようがない (先日と同じこと言いよる)。 カメラの楽しさに目覚め、あちこち撮り歩いてたのがちょうどコロナ真っ只中。 まだデルタ株が恐れられていた頃だ。 その当時さかんに聞かれたフレーズがこれ。 県をまたぐ移動は自粛してください。 …要するに神奈川県から出るな、てことか。 じゃあ区をまたぐ移動なら良いんだね。 とまあ、まさに小学生なみの理屈を元に紙の地図を買った

          区境写真家になったのもコロナ禍があったから

          カメラと出会えたのはコロナ禍があったから

          のっけから変なタイトルで失礼ですが、そもそもなぜカメラに目覚めたかのキッカケが、まさにそうとしか言いようがない。 カメラを始めるまでの私は、ジャズドラマーを目指していた。 プロのミュージシャンの元でレッスンを受け、そのために普通のパートをしなくした。 そこから2年くらいで、数ヶ月に1回程度と緩くとも、定期的にライブを行えるまでなった。 しかしそんな中で起きたコロナ大流行、ライブやジャムセッションの多くが中止となり、店も閉店した。 出鼻をくじかれたその当時、少しまとまったお

          カメラと出会えたのはコロナ禍があったから