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息子とわたしの不思議な夢の話

もう20年近く昔の話になるが、当時4歳だった息子が小児がんと診断され、治療のため10ヶ月ほど入院していたことがあった。

医師からは、当時の病状から「5年後の生存率50%」と告げられ、一時は家族全体が失意のどん底に突き落とされた。

息子本人が目の前にいる時は、とにかく落ち込んだり泣いたりなんて姿は見せられないから、私たちは毎日面会時間になると小児病棟に通って治療が潤滑に運ぶようにとなだめたり励ましたり薬を飲ませたり、(元気な時は)退屈しないように遊ぶ、の日々を送っていた。

でも面会時間が終わり、帰路に着くととりとめのない考えが頭の中をぐるぐると回る。何か少しでも参考になる情報を、とネットを巡れば嫌な情報までが飛び込んでくる。

入院当初は、検査結果に一喜一憂していたが、次第に、それが終わりのない道のように思えてきて、疲弊したわたしは考えるのをやめた。

今、やるべきことはとにかく何があっても毎日病院に通うことと、家にいるのと同じように息子と楽しく過ごすことだ、そして必ず元気になった息子を家に連れて帰るのだ。それだけを決めていた。

家と同じように読み聞かせをしたり歌を歌ったり、ひらがなの読み書きを教えたり電車のおもちゃやゲームで遊んだりしていた。

治療の薬の影響でぐったりしている時はただ、ベッド脇に座って背中をさすったり、添い寝をするくらいしかできることがなかった。

面会時間はたったの4時間で、夜、帰り際は号泣されることも駄々を捏ねられることも、笑顔でバイバイできる日もあった。

ある夜、夢を見た。

わたしは息子とふたりで夜の海を泳いで、どこかを目指しているようだった。しかし途中で不意に息子が、

「ねえおかあさん、僕、あそこに寄らなくちゃいけないから、お母さんはこのまま先に行っていて」

と言って、はるか遠くにかろうじて見える波間の光を指し示すのだった。そこは私たちが先ほどまで目指していた場所とは違う方向にあった。

「えっそうなの?」

と、一瞬手を離しかけたわたしだったが、慌てて

「いやいや!あそこは行かなくていいから!このまま一緒に泳いでいこう」

そう言うと、息子も思い直し、素直にまた一緒に泳ぎ出した。

するとその時、わたしたちのすぐ前方、海の中から巨大な白い蛇が姿をあらわし、その大きな姿をスッと立てたまま、こちらをじっと眺めていたのだった。

わたしの夢はそこで終わった。

目覚めた時、「手を、離さなくて、本当によかった。」と、夢の話なのに心底ホッとしたのだった。

あまりにも不思議で鮮明な夢だったので、20年経った現在でも忘れられずにいる。

しかしさらに驚いたのは、退院後に息子が語った夢の話だった。

10ヶ月の入院が終わったものの、通院しながら自宅で服薬治療を続けていた頃、食事をしていた息子が不意に入院中に見た夢の話をはじめたのだった。(前述の夜の海の話は息子にはしていなかった)

「夜に、病院のベッドで目が覚めて、(同室の)みんなは寝ているし、急に寂しくなって、もうお家に帰ろうって思ったの。それで、歩いてお家に帰ってきて(自宅マンションの)エレベーターに乗ったんだよ」

「それで?」

「でもね、9階について(我が家は9階だった)エレベーターのドアが開いたら、何にもなくて、ただ真っ白だったの。」

背中が寒くなった。

「それで、どうしたの?」

「真っ白で、明るすぎて、ぼく、怖くなったからエレベーターを降りるのをやめて、そのまままた病院まで帰ってきたんだよ」

夢の話なのに、わたしは再び、心から胸を撫で下ろした。

「よかったね、帰ってきて」

放心してしまって、それだけ言うのがやっとだった気がする。

夢の話だけど、こんなことがあるんだな、としばし不思議な感覚に耽ってしまった出来事だった。

長い入院生活の寂しさと、無意識で察知した危険信号が入り混じった世界。

幼なかった息子が夢の中で見た風景は、わたしが見た夜の海の夢とどこかで繋がっていた気がする。

息子は通院治療も無事に終えて18年経った今は23歳、すっかり元気である。

風邪すらほとんどひかず、幼い頃の病気のことなんてそれこそ夢の中の出来事だったのではないかと思うくらいだ。

それでも、このふたつの夢の話はわたしは一生忘れない。

意識と無意識が交差する不思議な世界がたしかに存在するのだ、とわたしに教えてくれた出来事だった。







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