フリーランスで活動する音楽家のギャラ交渉(出演料・レッスン謝礼)と金額設定のはなし。実体験に基づく数字を交えて本音を語る。
プロの音楽家になるという夢を持ち、期待と不安に胸を膨らませて音楽大学に入学したのはいつだっただろう。
神様のような存在だった先輩たちの背中を見ながら練習に励んだ日々、遅くまで大学に残り同級生の仲間と語り合った時間、「レッスンやばい」と言いつつも叱咤激励を受けながら必死に向き合った師匠のレッスン。
どれもこれも、描いてた目標、そして夢を叶えるためだったはずだ。
僕は必死だった、みんなはどうだった?
といっても音楽大学卒業後の進路は進学、就職、留学とさまざまで学生生活の過ごし方も自分が目指す進路に向けて変わってくる。
ここでは演奏家、そして指導者など職業としての音楽家を目指すという進路を選ぶ多くの人が歩む過程、そして仮にその夢を叶えた先にも待ち受けるであろうお金の話にスポットを当てを書いてみる。
はじめに
音楽大学は職業訓練施設。
尊敬する大学の先輩がどこかで言った言葉だ。
確かに朝早くから正門の前に並び、練習室を確保して1限の授業が始まる前に練習をする。授業が終わり練習室へ戻ると、朝イチで確保した部屋に戻ると誰かが練習してる。
いつだって練習室は争奪戦。
音楽の世界は競争社会、実力社会だ。
実技試験の成績でオーケストラや吹奏楽の合奏授業に参加できるかが決まったり、コンチェルト(ソリストとなってオーケストラと一緒に演奏する協奏曲というジャンル)のオーディションを受けるため、おさらい会、学外のコンクールや新人演奏会のオーディションに向けて、そして音大生の就職試験と言われるプロのオーケストラや吹奏楽団のオーディションに向けてなどなど、ここに書いたらキリがないけれど、一人一人が何かに向き合って、葛藤し、それでもさらい続けてきた日々があったはずだ。
いつかきっと…時にそんなことを思いながら。
夢を追いかけて
コントラバスの講師を務める学校での一コマ。
ピアノに座って音を出し、生徒の弾くコントラバスを音を聴いては「高い!」とか「あ〜もうちょっと、聴いて!そう!」と声を出し、ときにハンドサインのように手を上げ下げしながら音程の高低差を伝える。
レッスンを終え、教則本を片付けてピアノを蓋を閉め、生徒と部屋を出て二人で歩いてるとき「次はいつ?明日?」と冗談をかます。
なんかどこかで見た光景だなと思うと、学生時代の自分と先生のやりとりだった。会うたびに笑いながら「レッスンするか?」と言い、たまに「はい!」というと時間を忘れて本気で見てくれる。
プロになるために何をすべきか、オーケストラで演奏するということ、エキストラの心得、オーケストラの裏話、他では言えない指揮者の逸話などなどプロの世界の話をたくさん聞かせてくれた。
そんな話を聞きながら、消灯時間まで練習をし大学を出る。
正門を出てしばらく歩くと美味しいスパゲッティとドリアのお店があった。中を覗くとたまに誰かがいたりする。ファミリーマートを通り過ぎ、当時はすぐ近くにサンクスがあった。「いらっしゃいませ」を必ず2回言うおばちゃんは元気だろうか?その隣は居酒屋さん。
JRの線路沿いを歩き、階段を上りPASMOをタッチ。
電車に乗って、家に着くのは何時だろう。
読み返したら自分の話を書いてたけれど、音大生であればこんな感じの日々を送ってた人も多いと思う。
大学に最後まで残った日の充実感が好きだった。
レッスンで怒られた日は少しだけ目線が低く、よく頑張った日は夢と希望に溢れたような気持ちで帰宅する。
自分は将来どうなるんだろう、時折そんなことを考えながらも夢を追う時間は心地よい。期待と不安なんて言葉がぴったりだ。
努力すればいつか、頑張っていたら誰かが見てくれる。
そんな思いに夢を重ね、夢を追う学生時代も折り返し地点を迎えるくらいになると、遠くの遠くから何かの音が聴こえてくる。
太鼓の音だ、フラッシュモブでボレロでもやるのだろうか。
お金の歴史を簡単に振り返る
フリーランスで活動する音楽家のギャラ交渉と金額設定のはなしをする前に、少しだけお金の歴史を振り返ってみようと思う。
お金の歴史を調べてみると、太古の昔、まだお金がなかった時代には欲しいもの同士を交換する物々交換が行われており、自分が所有するものと相手が所有するものを交換する、人類初の経済取引だと言われている。
でも時代の変化によって、いつでも欲しいもの同士が交換できるはずがなく、その不便さを解消するためにみんなが価値を認めた家畜や貝、布、石などが貨幣としての役割を果たすようになる物品交換の時代になる。
そして、その先に金、銀、銅を使ったに金属貨幣が誕生し、紙のお金となる紙幣が生まれるという流れ。
また世界には動かせないお金もあるようで、お金の起源は物々交換ではなかったなんて説もある。それは石貨という石のお金で、最も価値のあるお金(石貨)は海の中にあり、その姿は誰も見たことがないらしい。
こうしてお金の歴史をのぞいてみると、汚らしさも、いやらしさもない、お金の話はタブーどころかロマンに溢れてたりもする。
では、いつお金=汚い、いやらしいというイメージになったのだろう。
僕はアレだ、お代官様が「ガハハハハ!」と笑ってるアレ。
「おぬしも悪よのう」って言いながら大判小判を差し出すアレだ。
いつだったかアレを見て、お金って汚いんだなって思った。
迫り来る影(進路、仕事、お金)
嬉しかった5千円の謝礼、1万円の出演料
音大生は、学生の頃から少しずつ音楽の仕事をしはじめる。
コントラバスなんかはアマチュアオーケストラのエキストラや吹奏楽部の指導、人によっては学生時代からプロオケに呼ばれる人なんかも出てくる。
音楽家としてのキャリアは卒業してからではなく、学生時代から少しずつ、本当に少しずつはじまっていくのだ。
はじめて音楽で仕事をして茶封筒に入った交通費が含まれた5千円を手にしたときは嬉しかった。好きなことをしてお金をもらえるなんて、なんて幸せなのだろう。
はじめて大学の先輩からオケの仕事のお話をいただいたとき、日程や曲目を聞いたあと、先輩は「これで!」と言いながら人差し指をピンと立てた。
この仕事は練習の参加と交通費が込みで1万円もらえた。
そんなこんなで、音楽で仕事ができる喜びと、お金までもらえる嬉しさに心躍らせ、ときに心地よい太鼓(心臓)の鼓動に戯け、招待された打ち上げの席では「音大生ってことは将来はプロですね!」なんて声をかけてもらいながら、隣では酒を飲むパートの誰かがコールの代わりにボレロを歌う。
迫り来る「進路」という言葉
収入(稼ぎ)から経費を引いたものが所得(儲け)になるなんてことも知らず、ギャラ袋をカバンに入れた帰り道、打ち上げでの一言が脳裏に浮かぶ。
「…将来はプロ」になれるのだろうか。
確かにこうして5千円や1万円というお金をいただき演奏をしたりレッスンをする。だけど、よく考えてみるとこれだけだと食べていけない。
先生たちとの飲み会、先輩たちの追いコン、打ち上げの席。
だんだんと進路という言葉が迫り来るのはこういう場面だ。
フリーになって頑張るという先輩の姿に数年後の自分を重ねてみたり、同級生との会話に「卒業したらどうする?」って話が出てきたり、後輩から「先輩は卒業したらどうするんですか?」と聞かれたり。
何度も何度も、進路という言葉がさまざまな形で迫ってくる。
音楽を「仕事」にできるのは一握り?
音楽を仕事にできるのは一握り、一度は聞いたことがある言葉だろう。
一握りの人、選ばれた人、才能がある人。
学生時代、この一握りという言葉を紐解くとその先に何があるのかはわからなかった。きっと、多くの音大生や卒業したばかりのフリーランスの音楽家の人たちもそうではないだろうか。
わからないなりに考えた先には、選ばれたような人、才能、ずば抜けて上手い人、頭一つ飛び抜けた人、というイメージがあった。
化け物みたいな人というのが褒め言葉だったりもする。
そのために、練習に練習を重ね上手くなる。
そのうち誰かの目にとまり、声がかかり上手い人に仕事が来るのだろう。
もしも願いが叶うなら、学生時代の自分とサシ飲みをしてみたい。
で、先輩風を吹かせながら「音楽を仕事にできるのは一握りって一度は聞いたことがある言葉だと思うけど、その一握りって何を指すかわかる?」って聞いてみたらどんな答えが返ってくるだろう。
今の僕が持つ答えはこうだ。
この「一握り」って言葉を紐解くと
フリーランスという働き方を理解してフリー奏者を名乗っているか
音楽の世界における自分の得意不得意、向き不向きをわかっているか
業界の相場を知っているか
自分が提供できるスキルに対しての金額設定、開示はできているか
クライアントからの提案に応じられる交渉力はあるか
お金、税についての知識はあるか
まず思いつくのはこんな感じ。
それから鉄板ネタ?なのかよく耳にするフリーター奏者というワードを思い出したので、フリーランスとフリーターの違いをめちゃくちゃ簡単に説明すると、フリーランスはスキルを売り、フリーターは時間を売る。
で、フリーランスとしてスキルを売るためには音楽の世界における自分の得意不得意、向き不向きを知る必要がある。
そして、得意分野の相場を一応知っておくと相手から提示された金額との比較対象ができる。判断材料がなければ言い値で仕事を受けてしまう可能性が高くなり、その金額があまりに低いと生活が成り立たなくなるのでいつか限界が来る。
なので業界の相場に対して自分のスキルに値段をつけて開示してみることが大切で、逆に金額が見えた方が仕事を受けやすくなる(相手に優しいよね)
そして自分の値段を設定していれば、仕事の依頼で金額の提示がなかったような場合でも、相手と交渉する手札を持つことができる。
最後に、お金や税に関する知識があれば、必要なときに安全にお金を借りたり、困ったときに国から必要なサポートを受けることができるほか、払いすぎた税金が戻ってくることもあったり(ラッキー!)何より暮らしを、生活を守ることができる。
こうなると、お金=汚いもの、お金の話=タブーなことというようにお金を扱ってきてしまった人も、本当にそうなのか?とこれまでのお金に対する見方を疑うこともできると思う。
その上で、やりたい仕事に対する情報を集める情報収集スキル、自分が何者なのかを分析する分析スキル、そして分析結果を資料としてまとめ発信(SNS、営業、売り込み)するための資料作成スキル、現場で会った方々との良い関係を築くコミュニケーションスキル、「今、何やってるの?」に対して自身の活動を伝えるプレゼンテーションスキル、提示されたギャランティ(出演料、レッスン謝礼)に対する金額交渉を行う交渉スキル。
を持ち合わせた人(一握り)というところにたどり着く。
ぶっちゃけ、フリーランスの人は基本的にみんな上手い
楽器が上手いのは当たり前、ドレスコードのようなものだ(#耳が痛い)
なので、上手いだけだとその他大勢の中に埋もれてしまう。
だからこそ上に書いたような、一見音楽や芸術とは全く関係のないようなものが必要になってくる。
これらを簡単にまとめるとビジネススキル(社会人として働くスキル)だ。
少しだけ、音楽とお金の距離が縮まってきたと思う。
音楽家は夢を与えるのが仕事
華やかな舞台に大きな拍手、煌びやかな衣装に身を包み、オーボエの音が聴こえたらコンサートのはじまりだ。
コンサートホールの舞台、バックステージで撮るセクション(パート)の写真、中学生や高校生とともに駆け抜け、時折自分の青春時代の記憶を重ね、青春ドラマのように描かれる夏の吹奏楽コンクール。
夜景をバックに開かれるパーティに豪華なディナー、テレビドラマに音楽を添え、アーティストのライブのバックの生演奏を担い、時に芸能人ともコラボする。書き出したらキリがないけど、音楽家の世界はいつだってキラキラと輝き、時に誰かに夢を与える。
大学の先輩が言ってた言葉で好きな言葉があって、それは「音楽家は夢を与えるのが仕事」だということ(#先輩に恵まれてる)
ただ、一つ思うことがあって、それは夢の与え方に正解はないということ。
ここを押さえて次に行くとこうなる。
夢の与え方って変な言葉だけど、ざっくり大きく分けるとこんな感じ
努力を見せないことを美徳とする人
努力、葛藤、成長過程を見せることでストーリーを共有する人
一つのコンサートやリサイタルで例えると、完成品を見せるか制作途中の過程から見せるかの違いで、これまで多くは完成品を見せるスタイルが一般的だったけど、時代の流れやSNSの発展に合わせて制作過程や成長過程を見せる、発信することでストーリーを共有し、成長過程(伸びシロ)がある部分に応援が生まれたり、投げ銭が発生したりするようになった感じだとする。
だとしたら、どっちもアリだし時代の流れや価値観の変化、そして何より後者のようなスタイルが演奏技術の発展(上の世代の方々が音楽文化発展と後進の指導にご尽力くださったおかげ)により技術だけでは差別化できなくなった現代の音楽家の生存戦略だとしたら、後者はこの先もっと発展し前者の価値観とは大きく離れていくだろうし、だからと言って前者を否定するのは大きな間違いだ。
いろんな夢の与え方があって良い、ただSNSの登場そして大衆化でこれまで分断されていた世界が一つになったことで、混ぜるな危険のように価値観や意見がぶつかり合ったりする光景が増えてきた。
きっと、これはこの先も続くと思うしこの話はこの辺でおしまい。
音楽家とお金のはなし
ここ何年も定期的にSNSで議論されている音楽家とお金の話。
これも正しい答えはないからべき論とかで語り始めると収拾がつかない。
ただ、好きなことをやろうが、好きなことで生きていこうが、上に書いたように華やかな舞台に立とうが音楽家という仕事を職業に選んだ社会人だ。
日本にある職業の中の一つであり、多くの人と同じように仕事をして社会に貢献し、その対価としてお金をいただき税金を払う。
それなのに、音楽家はお金の話をするなというのは疑問だ。
ちょっと話が脱線するけど、もし投げ銭をする経済的なゆとりや気持ちがあれば、どんどんやってみたら良いと思う。
きっと面白いお金の使い方をするはず。
だって彼らはエンターテイメントやアートの世界で生きる人間だ。
ちなみに僕の有料ノートは、売上の一部を全国の吹奏楽部でコントラバスを弾く中高生の支援(穴が空いてしまったエンドピンのゴムを新しいものに交換するという形での寄付)に充てています。
応援していただけたら嬉しいです。
ほんのわずかな休憩を
長い文章が続いたので少しだけひと休み。
努力すればいつか、頑張っていたら誰かが見てくれる。
そんな思いに夢を重ね、夢を追う学生時代も折り返し地点を迎えるくらいになると、遠くの遠くから何かの音が聴こえてきた。
小さな小さな小太鼓のリズムに乗って、フラッシュモブでボレロでもやるのだろうか、進路や将来のことは少しだけ忘れて、大好き仲間と音楽に囲まれた生活をしていたい。
SNSにアップしてみんなで拡散したらきっとバズるに違いない。
フリーランス音楽家のギャラ交渉と金額設定
ここまで読んで、音楽とお金の距離がだいぶ縮まったと思う。
遠くから迫り来る「進路」という言葉、将来を問われる質問、楽器が上手いだけじゃダメなのか、でも何をすれば良いかわからないという不安、ビジネススキルなんて学校で習わない、お金の話なんて切り出せない、お金、ビジネス、いや俺は音楽の話がしたいんだ。でも生きていくにはお金が必要。アルバイトをすれば良いのか、でもいつまでこの生活が続くのか。
考え出したらキリがない。
迫り来る恐怖、これじゃボレロどころの騒ぎじゃない。
レニングラードだ。
さて、ここからが本題。
音楽とお金の距離が近づいたところでフリーランスの音楽家のギャラ交渉と金額設定の話。この先もこれらの話は尽きないだろうし、まだまだ未熟ながらも生活をしていくために行動した過去の自分の体験談が、誰かの背中を押す形で届けば嬉しいです。
無料の部分はここでおしまい。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
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