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悩みを書く休憩所を作りたい:0097


 推し活って僕にとっては、テーマパークみたいだ。
 毎日のように楽しいイベントがある反面、情報の量とスピードに圧倒されてしまう。

 子どもの頃、町内会でテーマパークに行くのが、申し訳ないけどしんどかった。
 大きな音も激しい動きのアトラクションもてんでダメ。
 みんなと同じように楽しみたいけど、楽しめない。
 自分はなんでダメなんだろうと思って悲しくなった。

 ただ大人になってから、テーマパークにも疲れた時に腰かけられる休憩スポットがあると知った。

 賑やかな通りの裏手には小さな椅子がいくつか。花が植えられたバスケット、淡い色の屋根瓦や石畳が目に優しい。ふと目を上げると、パレードの音楽が聴こえて、通りの隙間からかすかに見える。
 僕にとってはそれくらいの距離でいい。
 テーマパークをもっと好きになれた。


 このアカウントに推し活の悩みを書き出したのは、僕自身が「悩みを書いて心を休めてもいい場所」を作りたいからなんだ。
 
 世間がこうだという推し活が分からなくて、何をするにも疑問を抱いてしまう。
 テーマパークから最初に受け取った印象みたいに、「楽しそうに振る舞って、悩みなんて一つもない」顔をしなくちゃならないのかな、なんて思っていた。

 noteでも、ファンの人が何を書いているか、何を書いたらいけないのかなんて気にしていた時もある。
 同じ方を向いて、同じ熱量で好きじゃないといけないのかなぁ、と悩んだ時期がある。

 昨日の記事で、愚痴や悩みは匿名アカでないと吐き出せないのかもな、と書いた。
 僕も熱烈な推し活を肯定している記事ばかり書いていたから「楽しい気持ちだけ書け。悩みなんて見せるな」という圧力をかけてしまっているのかもしれないと気づいた。

 悩みを人が読める場所に書くことは、すごく怖いし恥ずかしい。書いては消してかいては消しての繰り返しだ。

 でも、人が読むのを意識するから秘密の日記に悩みを書くよりも、丁寧な言語化に取り組めるようになれた。
 自分にとっては深刻な悩みでも、人にとっては他人事。どうでもいいと思ってくれることに安心する。
 
 いちばんつらいのは、悩みを「ないもの」として振る舞うことだった。
 悩んでいる僕も楽しんでいる僕も、どちらも僕だ。
 一人の人間として推し活に向き合っている姿を見せたい。

 ただやっぱり、悩みを書く重さがあまり好きじゃない。
 テーマパークの休憩所みたいに
「あ〜、つかれた〜」なんて、たそがれるように書きたい。
 

 
 
  
 


 
 

 

自由研究をしないと死んでしまう性分なので、不思議だな・面白いな、と思ったことに使わせていただきます。よろしくお願いします。