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映画『ありふれた教室』(5/17鑑賞)

場所はドイツ。舞台は学校。しかし無関係でも無関心でもいられない光景が広がっていた。
校内で相次ぐ盗難事件に手を焼く教師たち。若手のカーラは独自にカメラを仕掛け犯人らしき人物を挙げるが、その対応を巡り反発や混沌が巻き起こる。

学校が掲げるのは『不寛容方式』と呼ばれ、問題を徹底的に調べ対処すること。正しさを追求しているように見えて、当初疑われたのが生徒だけだったり、カーラが囮を用いた盗撮でブラウスの柄のみを理由に犯人を挙げたりと、首を傾げたくなる点があるんです。
それに、些細なことで他人を疑い、噂程度でも問題視した相手を排斥する動きに繋がっていると感じた。

驚いたのは、生徒たちが学校新聞で盗難事件と盗撮について取り上げたことだったんです。カーラへのインタビューに加え、犯人扱いされた相手にも取材をして。学校が新聞を禁止すると、「検閲ですか?」との声が上がる。

思えば、自主性を重んじるようでいて何か促したり、多様な背景の人々が集うのにドイツ語での会話を望まれたり、どこか定められているような感覚があったんです。学校の“秩序”のために教師たちがコントロールしているような。
でも、一人でクラスを受け持ち、多数の仕事を抱える彼らを見ていると、きめ細やかに目を配るなんてとても無理だろうとも思ってしまう。

教師の中でも意見が割れて、生徒の間でも対立があって。各々の声も聴き分けられぬ騒然とした混沌がやがて訪れる。
だからカーラが一対一で向き合うラスト、静かに響くルービックキューブの音が鮮明で。
最後まで鮮烈な作品でした。


『ありふれた教室』本予告

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