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イベント後日談④

あらゆるメディアやイベントで地方創生や田園回帰の文字を目にすることが多くなった。“地方”がコロナ禍で注目されている。先日、知恵の輪大学でも、「地方創生×旅」と題した授業を行なった。今回は、知恵の輪大学の中の4人目の視点で記す後日談。(画像は山形県の小国町というところの風景。マタギという熊狩りの文化が残る町。)



“旅”という特別な機会。

今回の授業「地方創生×旅」、旅ができて、地方創生ができたなら、旅が好きな私には願ってもない組み合わせ。



自分にとって旅の好きなところは、全てのものが新鮮に感じられる特別な機会であるということ。知らない土地を歩いているだけで、生まれ変わった気分になる時もある。旅に出ている私は普段と異なりオープンで社交的な気がする。



インドを旅して出会ったタクシードライバーの嘘か本当か分からない内容の長いおしゃべりも、山形県の小さな町の公民館での地元のおっちゃん達との朝まで続いた酒宴も、旅をしている私は受け入れてしまう。旅という特別な機会には、不思議な何かがあるみたい(最近、遠くへの旅できてなくフラストレーションが溜まってることを思い出した。心の底から思う、旅したい)。



「地方創生×旅」から話が逸れてしまったが、旅という特別な機会を地方創生に繋がる機会にできるサービスや取り組みが広がっていること、利用する人が増えていること、今後の旅や地方創生のあり方から目が離せない。

自分の考える地方創生。


「消滅する地方の集落が出てくる」「地方に若者を送らねば」など、行政機関の声や様々なメディアの報道から鬼気迫るものを感じる時があるが、人口減少、高齢者の増加の一途を辿るなか、衰退し消滅する地方は出ることは、悲しいが不可避だろう。



どの人にも生まれた土地、住んできた街、大学で出てきた街、合わせて一つ以上あるが、自分と直接関わりがあった街は、そう多くないのではないか。直接関わりは今までなかったが、憧れがある街や行ってみたい街もあるかもしれないが。



“一隅を照らす”という言葉をいつからか頭の隅に置いてきた。「径寸(けいすん)十枚これ国宝に非ず、一隅を照らすこれ則ち国宝なり」という最澄の言葉の一部で、意味することは「自分自身が置かれたその場所で、精一杯努力し、明るく光り輝くこと」。



一人の人が衰退し消滅する地方すべてをどうにかすることはできないが、一人一人がどこかに素敵な居場所を見つけ、それが地方であれば、地方にとって“一隅を照らす”人となり、そういった一人一人の居場所、一隅を照らす人が増えればいいなと願うばかり。

まとまりのない文になってしまいました、文を書くのは難しいですね。
ともあれ、早く伸び伸び旅ができる日が来るといいですね。

それでは、また。


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