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「声のする方へ」第三話

 一年前の彼が亡くなったあの日、なんとか葬儀を終えて帰路についていると、後ろから彼がついてきていた。見間違いかと思ったけれど、そうではないらしい。

 電車の中では、あたしのはす向かいに座っていた。心配そうな顔であたしを見ている彼をじっと見ていると、やっぱり後ろの椅子が透けていた。

 おもむろに彼に手を差し出していた。彼は戸惑いながらもその手を握ろうとしたけれど、やっぱりうまくはいかなかった。

「ほんとに……死んじゃったんだ」

 ぼそっとつぶやくあたしの声に、彼は少し泣きそうな顔をして口をパクパクさせた。

「……なに?」

 声が小さくて聞こえないのだと思った。電車の中だし、他にも人はいる。

 彼はふわっとあたしの隣へ座りなおし、口を開いたがやはりなにも聞こえない。

「なにか、伝えようとしてる?」

 あたしの言葉に彼はこくこくとうなずいた。あたしの声は聞こえているようだ。

「聞こえない、ってことか」

 彼は歩くというよりは浮いているし、壁もすり抜けられるようだ。もちろん物体に触れることもできないので、聞こえないからじゃあ紙に書いてよ、っていうこともできなかった。

 あたしには霊感なんてないし、今まで幽霊の類を見たこともない。なぜ彼が見えるのか、そしてなぜ声が聞こえないのか、いくら考えてもわからなかった。

 わからないなりに時間を共に過ごしていくと、元々の関係性もあってかすぐに彼とはなんとなくでも意思疎通ができるようになった。そうなると途端に毎日が楽しくなった。

 今までは月に一回、がんばってお金を稼いで貯めて会っていたけれど、今は毎日一緒にいられる。自宅にいるときはあたしに配慮してくれてるのか夜になるといなくなる。ちょうどお風呂に入る頃、それから寝るまで。でも次の日の朝、彼はいつも玄関で待っていてくれる。夜の間どこでなにしているのか気になったけれど、聞いたところで彼の声が聞こえないなら意味がないと聞いていない。

 学校では友達と過ごすあたしを遠くから見守っていて、授業中はあたしの隣で一緒に授業を受けている。時々先生にあてられたときにヒントや答えをくれる。先生の横で先生の真似をして黒板をさしたりして、思わず吹き出しそうになったこともある。

 そんな風に楽しく過ごしていた夏の初め、地元の友達から電話がきた。

「舞桜(まお)? 元気?」

 少しこちらをうかがうように、友達は話し出した。

「夏休み入ったらさ、時永くんの初盆、くる?」

「初盆?」

 あたしの言葉に彼が不思議そうな顔をするので、スマホをスピーカーにして一緒に聞いた。

「四十九日は、まだ時永くんのお母さんが気持ちの整理がつかないからって、身内だけでやったの」

 母親の話が出て、彼は少し悲しそうな顔をする。

「今は、少し落ち着いたみたい。でも暗くはしたくないみたいで、お祭りのついでに少し集まれたらって」

「……そっか」

 あたしは彼と顔を見合わせた。

「舞桜は……その」

「……うん?」

「少しは、落ち着いたの?」

 彼が亡くなったあの日から、彼とはずっと一緒にいたから、亡くなったという実感がないままだった。むしろ、彼と一緒にいれると嬉しく思っていたくらいだ。

「うん、まぁ……」

 無難にそう答えてみる。

「別に、今返事しなくていいからさ。少し考えて、返事くれる?」

「うん、わかった」

「もしくるなら、一緒にお祭りも行こうよ」

「そうだね、考えとく」

 答えてからしばし沈黙があり、友達がなにか言いたそうなのが伝わってきた。

 少しの間待ってみたけれどなにも聞こえないので、こちらから電話を終わらせるかと考えていると、ようやく友達は口を開いた。

「舞桜、いつでも連絡してね」

 なんだか切羽詰まったような声にあたしは驚く。

「え……うん」

「ひとりで抱え込まないでね。いつでも話聞くからね」

 そうか、友達はあたしが今も塞ぎ込んでると思ってるんだ。そりゃそうだよね、だって恋人を突然亡くして、数ヶ月で切り替えられるはずないもんね。

「ありがとう」

「舞桜……そばにいられなくてごめんね」

 なんだか今すぐにでも泣き出しそうな声。戸惑って彼を見るけど、彼もどうやら困惑しているようだ。

「大丈夫、だよ……ありがとね」

 あたしは早々に電話を切ったが、数分の電話になぜだか疲れ果てていた。

 友達は同じ高校だし、地元だし、彼がいないことを毎日思い知らされているのだろう。あたしはひとりで耐え忍んでると思われたのか。

 あたしは友達との温度差に驚いていた。そして、今のこの状態が異常なのだと思い知らされた。

「お母さんに、会いたい?」

 彼に尋ねるも、彼は否定も肯定もしない。会いたい気持ちがないわけじゃないだろうけど、会ったところでなにもできないから、だったら会わない方がいいと思ってるのかもしれない。

 けっきょくあたしは初盆には行かなかった。でも、お祭りには行った。時間をずらし、人目を避けて、前に彼と見た花火を見るための穴場に一緒に行った。だけどそこには、先客がいた。中学生くらいの初々しいカップルだった。少し二人の距離があったものの、手だけはつないでいた。その後ろ姿を見て、あたしは現実を突きつけられた気がした。

 そっと彼を見ると、彼は無表情でそのカップルを見つめていた。その横顔が少し怖くなり、あたしは笑顔をつくって彼の顔の前で手を振った。

 こちらを向いた彼の顔には小さな笑みが見えた。あたしは明るくあっち行こうと少し離れた場所をさした。大きな木々に遮られて花火はきれいに見えないけれど、今のあたしたちにはそれがちょうどいいのかもしれないと思った。

「お母さんに、会ってきてもいいよ?」

 おずおずとそう言ったものの、彼は動く様子がなかった。それが彼の答えなのだろうと、あたしはそれ以上なにも言わなかった。

 あたしたちは予定よりも早く電車に乗って帰ってきた。ガラガラの車内から小さな花火を見つめながら、あたしたちは終始無言だった。

 やっぱり、初盆には行かなくて正解だったとあたしは思っていた。たぶん、同級生たちとあたしとじゃ、彼を思う気持ちに温度差がありすぎる。

 たぶん、彼の姿が見えないままだったら行っていただろう。そして、みんなと同じように彼のことを話して偲んで、もしかしたら泣いていたかもしれない。

 そうだ、あたしは彼が死んでから、一度も泣いていないのだ。

 そこで初めて、あたしは彼と意思疎通できないことを悔しく思った。彼はどう思ってる? どうしたい? あたしはどうしたらいい?

 言ったところで返事がわからないなら言わなくていい。今まではそれでもよかった。大したことじゃなかったから。

 でも、それじゃいけないのかもしれないと思い始めた。たぶん今までは逃げていたんだ。この異常な毎日が正常だと、思い込もうとしていたんだ。

 どうせなら、テレパシーみたいなもので通じ合えればよかったのにとさえ思う。

 ふと、あたしは彼を見つめた。見つめたところで彼の思考はわからないけど、それでも表情からなにか少しでもわからないかと、探ろうとした。

 そんな彼の口が開いてなにかをつぶやいた。

「今、なんて……」

 思わず口走ってしまったあたしを見て、彼は笑いながら首を横に振った。

 なんでもないはずがない。だけどあたしはそれ以上なにも言えず、ただただ手を強く握りしめた。


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