「間」のニーズについて考えてみた。
「間」のニーズについて思うこと。
福祉と医療の間…
学校と家の間…
大阪と神戸の間…
家族と先生の間…
ビジネスと奉仕の間…
目的地に到達するまで
あるいは必要とするモノ、コト、ヒトに
出会うまで
子どもも大人も
必ずこの「間」を通るのだけど
意外と「間」の界隈や居場所を
セーフティスペースとして求め、
できるだけ長く身をおきたい人たちが多い
という事実を、
ここ数ヶ月で目の当たりにしてきた。
アートなんかまさしく「間」にたてる分野だと思う。
例えば、アートセラピー。
今をときめく「セラピー」というvocabulary は直訳で「治療」だから本来ならば訓練を積んだ者だけが行うことのできる行為。
身体的な治療はがっつり医療だとしたら
心的な治療の幅は実にあいまいだと思う。
さらに、この国では協会や形態にこだわらなければ誰もがセラピストという肩書きを掲げ、SNSに発信できる。
正直、資格ビジネスも絡んでちょっとこわいとはじめは感じた。セラピスト要請に力を入れている海外の団体からみたら、とんでもない話なのだそうだが、
この「セラピー」という言葉に惹かれ、セラピストと名乗るユーザーのSNS窓口で門をたたく人たちの数はコロナを機に確実に増えている。
その理由はセラピーの敷居が低くなっている分、入口に立ちやすいからだと思う。
不登校や家庭内暴力、老老介護。小児期逆境体験のトラウマ。現存トラウマ。歴史的差別。
とりわけ、
「なんのために生きているのか」
という心の奥底にあるスピリチュアルペイン。そこから派生する睡眠困難など、
子どもさんからお年寄りまで、
様々な背景を持ったクライエントさんに出会い、見えてきたニーズ。
それだけの痛みを負いながら、本格的な医療としてのセラピーを必要としないのは
①医療に到達するまでのエネルギーがすでに切れていること。
②医療につなげるケースワーカー的な人材が、
まだまだ少ないこと。
③クライエントが経済的に疲弊し、サービスを受けることをあきらめていること。
などが挙げられる。
現時点で日本国内におけるアートセラピーの定義はまだ抽象的であるが、境目があいまいなところがメリットともとれる。つまり「間」に立てることを考えると、現在困り感を抱える人たちのために先ずはやってみるしかない。
「専門学校で資格を取得してからじゃないと…」
「先ずは大学に行かないと…」
それも大切だなと感じるのだけど、
〝経験〟はクライエントに処方する1番の特効薬であるとも思う。
土地の再建、コミュニティの再建にならぶのは
メンタルの再建。
自分の現在持てるギフトを活かして
早急に支援したい。
アートは「間」を事業にも展開できるが、
有償ボランティアとしての働き手を増やすなど、いかようにもプロデュースできる。
「間」の働き手、居場所がもっと増えるように人脈のパイプを太くしたい。
米光智恵
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