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初投稿[自己紹介]

こんにちは。21歳で再受験決意をした「ちえ」と申します。
初回投稿は自己紹介しかないだろうと思い、自己紹介文を書くことにしました。

このNoteアカウントでは、21歳で再受験を決意した私の合格までの道のりを記録していきます。X(旧Twitter)もしているので、興味のある方はぜひフォローお願いします。


経歴

2003年の生まれの現在(2024年時点)21歳です。

小学生~中学生


 幼いころから教育熱心な母に強制されるように勉強をしてきました。ですが、褒められることがとても嬉しく、苦には感じていませんでした。

 2011年の東日本大震災をきっかけに哲学や人が生きることについて興味を持ち始めるようになりました。環境汚染や、格差、差別についても興味を持ち始めました。その時小学2年生でした。小学2年生の私は純粋で、環境汚染や、人間の愚行について怒りを持っていました。ですが、自分も環境汚染をしている人間というコミュニティに属している者であり、どうにもできない怒りを抱えていました。それを少しでも解消しようとおもい、一人で地域のごみを拾いに行っていました。両親からはかなり迷惑がられました。知らない人のごみを持って帰ってくるもので、、、。
 そんな少しませた小学生時代を送り、同級生を見下すようになっていました。(性格悪い💦)女子の群れる感じ、男子ノリなどすごく嫌いでした。
そんな変わった小学生時代、周りの目はかなり厳しく、悪口を言われること・笑われることが多かったです。その時から、人と歩調を合わすことや、群れること、王道の道を歩むことが面白くない、自分にはできないとどこかで感じ、「自分は特別だと」思い込むようになりました。ですが、自分への過剰愛がその後、自分を苦しめることになっていきます。

そんな私でも、学級委員をしたり、クラス発表をしたり積極的で、明るい子であったと思います。勉強好きでみんなをまとめるリーダーだと思われていたと思います。結局、心の奥で追い求めていたのは「平和」です。嫌い嫌い言いながらも、結局は優しいのが私の小・中学生期だったと思います。

中3の受験期


初めて、勉強の壁にぶつかることになりました。点数がなかなか伸びず、自信をもって受験するには少し物足りないような点数でずっとくすぶっていました。そこで中3の夏から、塾に通い始め夏休みはずっと塾にこもり勉強をしていました。それでも、伸びず、、、。周りの友達がどんどん点数を上げていくこと、塾の先生に褒められているのをみて、プライドの高かった私はどんどん周りの友達を穿った目で見るようになりました。(嫉妬です。)
受験生の時はとてもピリつきますし、今思えば仕方ないのかなと思います。

 そこで、今までの概念を捨てました。
 ・進学校といわれる高校に入学したら褒められる→捨てる
 ・周りと比べて自分の自尊心を保つ→捨てる
 ・自分はこれだけやったという自信→捨てる
あらゆるものを捨てて、「純粋に勉強がしたい」と思うようにシフトチェンジしました。そうすると、どんどん勉強が楽しくなっていき、点数もわ僅かながら伸びていきました。そして、高校に合格しました。

高校時代

~入学後~

 晴れて合格し、華のJK生活がまっていると思っていました。が、高校の雰囲気が合わないことに入学1か月で気づきます。
 クラスメイトは地元の中学の上位層の子ばかりでした。そして、みんな点数に血眼になっていました。
すべてが点数ではかられる世界に私は飛び込んで行ってしまいました。
もっと多様性のある高校生活だと思っていたら、皆プライドお化けで、点数人間で、、、。「くそおもんねぇ」と思いました。
 そこから受験で勉強を爆発的に頑張ったこともあり、勉強へのやる気はゼロ・何もしない・何も考えない日が続きました。高校生の時は成績は絶望的で、5段階評価中2が多く、留年か!?というところでどうにか耐えていました。

大学受験の決意

 反抗心まみれで、学校になじめず、勉強もせず、、、の私でしたが、大学受験だけは成功させてやろう。自分の人生を変えるんだと意気込み、国立大学を目指すことにしました。ですが、成績の悪い私・勉強習慣のない私という[自分が積み上げてきた「私」という壁にぶつかります]。自分への過剰愛が、自分はできるというポジティブ思考につながっていたことは良いことですが、「すぐにできるようになる」と努力の過程を軽んじていました。
 学習のやり直しを始めたものの、学校の授業についていけないストレス(自分のせい)・基礎が全く分からない(自分のせい)なにをどうしても<出来ない>という壁にぶつかり、自尊心はボロボロ。病んでいきました。
 そして、逃げ出すと決意した高3の6月。もう数学は無理。3科目に絞って私立文系を目指すことにしました。逃げ出すからには、自分に賢い私立に行くという条件付きで逃げ出すことを決意しました。(賢い私立とは、、?)
 そして第一希望の私立大学に入学することができました。喜んだものの、どこかで納得がいっていない自分がいました。時間は待ってくれません。下宿先がきまり、新学期が始まり、、、。

大学入学後

引きこもりの大学1年生

 賢い私立に入学したと思っていましたが、高校時代のほうがよほど優秀な生徒が多く、授業も厳しく、一方で大学は内部進学の生徒、授業は面白くないことばかり。大学に入学して早々「くっそおもしろくない」と思いました。高校入学の時も同じです。変に期待しすぎて、絶望していじけるのが私の王道パターンです。
大学の制度にも疑問を持つことが多く、小学生のころからの癖で、生きやすくない社会に怒りが爆発してしまうことが増えました。
そして「大人になるのが嫌だ」と思うようになり、引きこもり始めました。
大学1年の春学期で取得した単位は10単位のみ。それ以降単位を全くとらず。その状況を見かねた家族が、一度家に帰ってきなさいと声をかけてくれました。その時はヘタレで自分に自信もなく、国立をもう一度受けなおすこと、今の私立大学を退学することに躊躇していました。
そして、大学2年(春)は単位をオンライン授業で20単位取りました。秋から通学するために下宿先に戻りましたが、そこで家族問題が起き、精神疾患を抱えるようになりました。

家族問題で病む大学2年生

 家族問題で頭を抱えることになり、毎日がつらいと感じることが多かったですが、理想の大学生を目指して学校にどうにか通学し、大学2年生(秋)は20単位を取得しました。

精神疾患発覚大学3年生

 大学2年生での疲れがたまっていたのか、大学3年の4月に体に異変が出てきます。嘔吐・不眠・過食・月経不順/外出できないこと、ベッドから出られないこと。さすがにやばいと思い、精神科と婦人科に行きました。
 精神科で、双極性障害(躁鬱病)と診断され、担当医の先生からは高校生の時から片鱗があったといわれました。まさか自分が、精神疾患、、、。という現実と、診断名をもらったから楽になれた現実が混在するようになりました。当初薬を飲むことにも抵抗があり「飲んだら別人になるのではないか」と思っていました。
 ですが、最近では、カウンセラーや様々な人の支えがあり、毎日薬服用し、少しずつですが外出できるようになったり、前向きな気持ちになれたりすることができるようになってきています。4月末に診断され5月半ばまで学校に通ったものの、症状の悪化、これまで抱えていたストレスの爆発もあり5月半ば以降学校に通っていません。5月~6月にかけてうつ症状がひどく、お風呂に入らず、過食したり、まったく食べなかったり、精神状態が悪化していく一方でした。希死念慮が強まり、実際に死ぬための用品を買いもしました。ですが、死ぬときに、まだ自分の人生諦められないと思いました。確かにつらいときのほうが多いです。家族からは冷たい目で見られ、同級生は就活を始めている、、、。
でも、「自分の人生1回きりだろ。何してもいいじゃないか。悔いの残らないように努力しよう。」と思えました。

再受験決意

 つらい日々のほうが多いです。何もできない日もあります。
 それでも自分の人生を諦めない。一度諦めかけて自殺しようとしたからこそ、そう思います。
 もう一度、大学に通ってみたいのです。私立の校風は私には合いませんでした。国立に通っている友人の話や、大学訪問をしてみて、やっぱり国立に行きたかった。そう思います。
 だから今から行きます。

 私の再受験合格までの道のりを記録していきます。
 再受験生や浪人生の参考になればうれしいですし、マイノリティとして1人じゃないと感じてもらえる場所にしたいです。

私の人生いろんなことがありました。ですが、諦めないと決めました。

 
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