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心をラクにする、身体からのアプローチも習慣にしたい

「~するべき。」「~してはいけない。」
「~は○○であるべき。」
「わたしは(あの人は)ダメだ。」
と考えてしまうことってあると思うのですが、そんなとき、身体はどんな感じがしていますか。ちょっと意識を向けてみてください。

キュッと縮こまり、呼吸が浅くなっているんじゃないかな、と思います。

この考えからちょっと距離をおいて(消そうとするのではなく)
「ああ、わたしはこういうふうに考えているんだなぁ。」と受けとめる。

そのうえで、でも「本当にそうだろうか。」
「それはひとつの考えだけどすべてじゃないよね。」

「そもそも、身体をこわばらせてこんなふうに考えているのは勝手がわるくて、身体も頭も思うように動かなくて、つまらない。なのにわたしはこういう考えにとらわれていたいのかな。」

「わざわざ自分を苦しめる考えを選んでいる。何のために?」
というふうに、いろいろな角度からみてみてください。

ここに書いた文言どおりでなくていいんです。
ひとつの考えにとらわれない練習をしてみる。

こうするとたったひとつの言葉にとらわれているんだなぁ。それも自分のパフォーマンスをダダ下がりさせる言葉を、わざわざ選んで自分にかける意味があるのかな、と思うかもしれませんね。

(人にかけている言葉も意識のなかでは自分にかけているのと同じです)


考え方って選べる。選んだ言葉って身体と心に作用する。このことを肝に銘じてから、わたしは言葉の使い方に気を配っています。

と同時に、自分が心に抱く言葉によってモノの見方が変わるのがおもしろくて、実験のように言葉を選んで楽しんでみたりもします。

たとえば、
「あー。。わたしって気が利かない 涙 」
という責め言葉が頭の中をよぎったとしても。
それはずーっとはくりかえさない。浮かんではただ流れていく思考のひとつなだけ。

その後は、
「あー、わたしは気が付きたかったんだなぁ。ふむふむ。
じゃ、今度からはいったん確かめてからすることにしよう。
気がつかないときもそりゃあるしね。」

「細かく自分や人を責めて息苦しくさせるより、わたしは大らかさが大事だなぁ。(ニッコリしてみる)」

どん詰まりのように感じていたのに言葉によって気分が軽やかにかわると、ふっといいアイデアが湧いたりします。

そして、そういう気分で行動していると、人が親切だったり、欲しかったものがすんなりと手に入ったり。こういう体験を重ねると、自分にとって心地よい言葉をつかう効用もよくわかってきますね。

自分の感じたい世界をつくるのは、言葉から。ほんとうにそう。

なのですが。強烈な感情が身体に溜まっていると、そうそう自分の思うように考えを扱うことができなかったりもしますよね。

その感情に、全身が打ちふるえるほど乗っ取られてしまうこともあります。あるいは動くことすらつらいときもありますね。

やっぱりそういうときには、直接、身体をゆるめるようなアプローチがいちばんいい気がします。

笑いたい気分でなくても、口元を笑顔のカタチにしてみる。笑顔をつくる筋肉を動かすと元気がでてくるんですね。

あと、わたしがよくつかうのはタッピングです。人差し指と中指、二本の指で眉がしら、眉尻、鼻の下、などをポンポンポンポンとタップします。それだけで効果があります。

なにかが大きく変わるという気がしない場合でも、眠たくなってあくびが出てきます。これは身体がリラックスしたよという合図。リラックスするのはとても大事なんです。

こちらのサイトでは、タッピングの方法を動画でみられます。


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もう、もてあますような激しい感情を解放するには、この動作にさらに言葉をそえるといいみたいです。

たとえば「これが上手くいかなかったらどうしよう。わたしはダメなやつと思われるのが怖い。」という考えにとりつかれていたら。

自分を解放するために入れかえる言葉は、「たとえこれが上手くいかなくても、わたしは自分を受けいれます。」というようなものでしょうか。

あるがままの自分を認め受容する言葉をいいます。わぁぁと気持ちが高ぶっているまさにそのときに、あらたな受容の言葉をとなえながらタップします。

わたしはタッピングを知るまえに感情ワークでかなり楽になっていたので、そこまで激情にとらわれたときのタッピングはまだ体験していません。

けれど不安になっているときに試すと、身体がゆるまりあくびがでて、自分を受容する考えをとりいれることができます。気がつくと別の楽しみを考えだしていたり。

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子ども時代に安全基地がなくて、ずっと不安を感じていたら。親御さんがやさしくても、親御さん自身が不安を抱えていたら。

言葉にはされていないとしても、そのムードそのものを子どもは自分の無意識にコピーします。お母さんの体内にいるときには、お母さんの感情を受けとっています。

だから、言葉で言いあらわせないエネルギー状態のままで何かが、身体と無意識に溜まっている部分もあるんですね。頭だけで使う言葉には限界もある。

あとあと言葉が使えるようになったときに、いつも自分が感じてきた感覚に、何らかの意味付けをしているとは思いますが。

「わたしは人の役に立たなければいけない。」
「わたしは愛を求めてはいけない。」
「人の機嫌を損ねないように我慢をしなければいけない。」
などなど。

それを握りしめていると、ずっと同じような感情を味わう出来事をくりかえしてしまいます

考えてみてください。まずはじめに自分の身体の中に溜まった感情エネルギーありきです。それは先人から引き継きついだ感情や思い込みといえます。その感情エネルギーがつくりだした体験をとおして、その在り方が自身のものとなって定着していきます。

今を生きる自分の生命エネルギーは、本質の愛や調和へと戻ろうとする。あるがままの自分で伸びやかに在ろうとする。
だから葛藤が生まれます。

ここで今を生きる自分の自由意志に目覚めるのか、過去のパターンに従いつづけるのか。

今自分がしている言動が、本来の自分の生き生きとした生命が望むことなのか。過去から引き継いだ囚われなのか。

無意識に言動するのではなく、いったん立ち止まって、目覚めてから、身体を感じ、その感じから考えてみてください。

そして変化を嫌う人の脳は、変化をさせないように、あの手この手で気をそらしてくることも覚えておいてください。


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マッサージ、ヨガ、ダンス、半身浴など、身体をリラックスさせて身体をゆるませエネルギーを解放するのもいいですね。

ゆるんだときに、これから自分が感じていたい心地よい言葉を、自分に充分に聴かせてあげる。そうすると思い込みが入れ替わり、そのときだけのリラックスで終わらずに習慣にしていけると思います。

「わたしはすでに愛の中にいる。」
(生命体である=調和し拡大し前進する=愛・創造性そのもの)
「ただあるがままのわたしでいることが、この世界を豊かにしている。」
「わたしは望む世界を創りだせる。」
などなど。

その言葉が、古い呪いのような思い込みを打ちやぶり、力づよい支えになってくれるでしょう。

タッピングによって、身体の内に溜まった感情エネルギーを解放しつつ、思いこみを書き換える方法。わたしはロベルタ・テムズさんの本が気に入っています。


***追記です***

この記事を書いたあと、自分にシャワーのように浴びせよう、と感じた言葉に出会いました。

『わたしは世界に祝福されている』
『わたしは世界を祝福している』

つぶやくと胸が熱くなってきました。いい言葉だ。

仔犬の可愛さに感動する人、生命の躍動についての考察も興味深くて。シェアしたくなりました。

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