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世界一のエステティシャンが、いまなぜ『古事記』を学ぶのか

2010年より日本全国で「古事記に日本の心を学ぶ塾」を開講し、現在、全国30か所で、毎月1,000以上が学ぶ『古事記』の勉強会を主宰している今野華都子さん。エステサロンも経営し、“世界一のエステティシャン”の称号も持つ今野さんが、なぜ『古事記』を深く学ばれているのか――。

お届けするのは、今野さんが勉強会のテキストにされている『新釈古事記伝』に秘められた魅力、日本人とは何か、そして日本人としてどう生きるべきかについて語られた貴重な講演録の内容。ぜひご一読ください。
(2014年7月19日、東京・京王プラザ)

あなたは大国主命になれますか?

まず初めに、日本人として、大和人として、私たちが共有しなくてはならない歴史や魂を伝えてくれるこの『新釈古事記伝』を残してくださった阿部國治先生、そして、そのお弟子さんであり、本書の価値を理解し、編纂を通じて世に送り出してくださった栗山要先生に心より御礼を申し上げます。

さて、皆様はなぜエステティシャンである私が全国各地でこの『新釈古事記伝』の勉強会を行っているのか、不思議に思われていることと思います。

本書との出合いは、いまから約八年前。私は二〇〇六年にフランスで開かれた第一回LPGインターナショナルコンテストのフェイシャル部門で第一位という栄誉をいただいたのですが、その後ある講演会に招かれます。そこで、当時経営再建中だった伊勢のタラサ志摩スパ&リゾートのオーナーと御縁をいただき、経営に携わることになったのですが、どうしたらお客様が喜んでくださるだろうかといろいろ考えた末に、私は伊勢神宮を案内するサービスを思いつくのです。そこで伊勢神宮のことを知ろうと、初めて『古事記』を紐解くことになるんですね。

とはいえ、神様の名前がたくさん登場して難しい、難しい(笑)。それでも何とか必死に読み通して、案内を始めるわけですが、そんなある日、伊勢に住んでいる方から「ぜひ読んでください」と贈っていただいたのが、この阿部先生の『新釈古事記伝』だったんです。

当時はまだ栗山先生が私的に頒布している状況でしたが、この本を読んだ私は衝撃を受けました。私が求めていた日本人の生き方の支柱になるものがここにあると、心の中がざわざわっとし、感動のあまり涙が滂沱として流れたんですね。

本書では、阿部先生が『古事記』を通じて、神代の昔から大和人が何を大切な行動規範としてきたかということを、現代の問題に置き換えて、分かりやすく読み説いてくれています。ここに説かれている日本人の心を多くの人と共有しないといけない  。その思いが募って、私は三年前に「『新釈古事記伝』を読む会」を立ち上げさせていただいたのです。

それでは、この『新釈古事記伝』に何が書かれているのか、実際に読み説いていくことにいたしましょう。

例えば第一集の「袋背負いの心」では、大国主命とその兄弟である八十神たちが、遠い稲羽の国にいる日本一の比賣神をお嫁にもらおうと旅をすることになります。

ただ、その際に八十神たちは、大国主命に「皆の旅行道具を大きな袋に入れて背負ってきてくれないか」と頼みごとをするんですね。普通だったら、何で自分がってなりますよね? でも大国主命は、「分かりました。よろしゅうございます」と嫌な顔一つせず引き受けて、見事荷物を稲羽の国まで運び切るのです。

この部分を読んだ後、私は読書会でこう質問するんですね。あなたは荷物を持つ人ですか、それとも持たない人ですか決めてくださいって。あるいは八十神のように持たせる側ですか、と。

ただ、ここで大事なことは、「持たない」と言った人を非難しないことです。もしかしたら病気の人もいるかもしれない。アメリカ人だったら、「一人で持つのは民主主義に反する」と言うかもしれない(笑)。

この物語が教えてくれるのは、多様な価値観を認めた上で、自分はどう行動するだろうかということを各自が考え、皆が和して一番幸せになれるあり方を探っていくことの大切さなのですね。

そして物語は、「袋背負いの心」から「赤猪抱き」の場面へと移っていくのですが、結局、比賣神は皆の荷物を背負った大国主命を結婚相手として選びます。しかし、当初は結婚に納得していた八十神たちも、次第に大国主命への嫉妬の心が膨らみ始め、ついに殺してしまおうという計画が持ち上がります。住民に危害を加えている赤猪を退治するのを手伝ってほしいと、大国主命に持ち掛けるのです。

自分たちは山の上から猪を追うから、大国主命は下で捕まえてくれと八十神たちは言います。快く引き受けた大国主命は、下で待ち構えるのですが、そこへ落ちてきたのは赤猪ではなく、何と真っ赤に焼けた大石。しかし、「何かおかしい」と分かっていながらも、大国主命は責任感からその大石を全身で受け止めます。そして、一人焼け死んでしまう……。

兄弟同士の諍いから、大国主命が亡くなったことを知った母親の刺国若比賣は嘆き悲しみます。それを見て憐れんだ神産巣日之神が大国主命を蘇らせてくれるのですが、八十神の嫉妬は収まることなく、今度は木の股に挟まれて大国主命は二度も殺されてしまうのです。そして、また神産巣日之神が蘇らせることになるわけですが、ここで刺国若比賣は、「今度は殺されないようにしなさい」と、大国主命を修行の旅に送り出すんですね。

これだけのお話ですが、皆さんどう思います? 普通に考えて、悪いのは嫉妬から罪を犯した八十神ですよね。なぜ大国主命が殺されないための修行をしないといけないのでしょう。私たちはこの物語から何を学び取るべきなのでしょう。

一つはリーダーの在り方です。私たちには大国主命のように、時には自分の命を投げ出してでもやり遂げなければならないことがある、という腹の決め方。そして、愚かな者を非難するよりも、正しい意識に目覚めた自分自身がまずその使命を果たしなさいという心構えです。

それから、これは本の解説には書いてありませんが、私は読書会で皆さんにこう質問するのです。もし、自分の身近な人たちが諍いを起こした時に、父親、母親、あるいは一人の人間として、あなたはどう考え、どういう言葉を掛けていきますか、と。生き方を学ぶというのは、そのような日々の小さな決断の場で、自分の意思を明確にしていき、大きな試練がやってきた時に、しかるべき行動が取れる準備をしていくことではないかと思います。そして、その決断に際して、大和人がどのような価値観を中心軸に置いて生きてきたのかを教えてくれているのが、この『新釈古事記伝』なのです。

大和人の使命

私たちの祖先は、その大切な中心軸を「ひ」、「あかきこころ(清明心)」という言葉で表現してきました。第四集「受け日」の物語に、伊邪那岐大御神の怒りに触れ、「かみやらい」(追放)された須佐之男命が、姉である天照大御神に対面し、大和人の本質である「ひ」の状態に立ち戻っていく場面があります。そこで、このようなやり取りが交わされるのです。

「そのお<ひ>さまの<ひ>というものは、私にだけしかないものでしょうか。あなたには初めからありませんでしたか」
「私は自分の中には“ひ”の光はないと思っておりました。……いまや私はお姉上の“ひ”の光りを受けまして、私自身の中に自分の力として存在する“ひ”の貴さを確認することができました。お姉上、本当にお喜び下さい。私ははっきりと“あかきこころ(清明心)”をつかむことができましたから」

須佐之男命のように私たち日本人は、「心」という不断に変化していくものと、普遍の存在である「ひ」を有して生きてきました。そして大和人は、その「ひ」を、すべてを公平に照らす太陽の「日」、すべてを温かく包む「陽」、穢れを焼き切る「火」、さらには比べるもののない「比」、唯一を意味する「一」という言葉で言い表し、「ひ」が留まっている存在を「ひと」、あるいは「聖」と呼んできたのです。

そのような大和人の魂を究極の形で見せてくれた人たちがいます。その代表として、阿部先生は吉田松陰や乃木希典、二宮尊徳などの名前を挙げてこう解説されています。「ただただひたすらに、真心を尽くされただけで、この真心が現実に活動するときには、必ず《ふくろしよいのこころ》となって現われます」と。

その一人である乃木大将は、日露戦争で旅順をなかなか落とすことができず、非難が日本中で巻き起こりました。それでも明治天皇は乃木大将を信頼し、乃木を替えれば自死するだろうと、替えることをしませんでした。その一方で、乃木の奥さまは、一人伊勢神宮に行き、「旅順を落とさせてください」と祈ります。

その時に、「旅順は大丈夫だ。しかし、二人の息子はもらうぞ」という声が聞こえるんですね。奥さまはこう答えます。「いえ、私の命も差し上げます」と。

そのとおりに、二人の息子は戦闘で命を落とし、旅順は陥落。そして、明治天皇がお亡くなりになった同じ日に、乃木大将と奥さまは殉死されるのです。

自らの命を自分のためだけではなく、公のために使う。自分ができることをその立場で精いっぱいやらせてもらう。そういう清き明き生き方を私たちは神代から脈々と受け継いできたのでした。

そして、古代より私たち日本人は、地震や津波、火山の爆発や台風といった自然災害に絶えず見舞われてきました。しかし、先の東日本大震災で略奪が起こることもなく、配給の列に礼儀正しく並ぶ日本人の姿に世界中が感動したように、常に私たちは天を恨まず、人を怨まず、和を尊び、強く明るく「ひ」の状態で立ち上がり、生き抜いてきたのでした。

この「ひ」を抱く民である日本人の役割が、ますます混迷を深める現代において望まれる時が、もうそこまでやって来ているように思います。そして、その日本人の生き方と使命を一番やさしく私たちに読み説いてくれているのが、この『新釈古事記伝』であり、必ずや本書が、これからを生きる日本人の“聖書”となることを私は信じて疑わないのです。


全国から反響が、続々と寄せられています

日本人にとって一番のバックボーンとも言える書物『古事記』ですが、私たちが大切にしてきた“やまとごころ”とはなんであるかということを、こんなにも分かりやすく解説してくださっている本は他にないと思います。
今野華都子様

少し前の女性がお嫁に行くときには『源氏物語』全巻を持って行ったといわれるように、あるいは、少し前の家庭には百科事典が置かれていたように、この全7巻は、一家に一式ずつあるといいと思う位の、日本の財産のようなものに思えてなりません。
大江亞紀香様

いま、日本人の自己尊重感の低さや自国の素晴らしさに対する関心の低さがよく取り上げられます。それを取り戻すためにも、ぜひ多くの人に手に取ってほしい本だと思います。
斉藤知江子様

単に神話を物語として紹介するのではない本書は、世界で類をみないほど長く国体が続く日本に太古から流れる太い帯を、私の身体にしっかりと感じさせてくれたものでありました。今後の人生を自分で導く力になるものだと感じています。
高木光恵様
大人たちがこの本を読んで、家庭や幼稚園、小学校などで子供たちに話して聞かせたら、我が国は「袋背負いの心」を持った子どもたちで充ち満ちていくだろう。そんな立派な国を目指したいものである。
伊勢雅臣様 (メルマガ『国際派日本人養成講座』より)
阿部國治先生の解釈に、今までに感じたことのない、でもどこか懐かしい、私の心の奥底で求めていた言葉にし難い深い感覚ですが、それにやっと巡り合えたという気が致しました。日本とはどういう国ですか? と聞かれたら、こういう国ですと差し出したい本です。
ザリッチ宏枝様