見出し画像

街角のポスターで小学校の恩師に再会したら、500日後に詩集が出版された話

一つ一つの本には、世に出るに至った一つ一つの物語があります。
詩人・藤川幸之助さんが母の介護体験の中で、詩人の命である言葉を手放し、その中で掴んだ命の輝きと愛・苦しみ・感謝を綴った詩集がまもなく発売されます。

「混沌を生きる母のいのち
 愛を貫いた父のいのち
 詩で立ち向かう息子のいのち
 それぞれのいのちが愛おしい」

――谷川俊太郎さんはこの本をそう評しました。30年の時を経た偶然の出会いから生まれた詩集について、致知出版社の経理部の道家真寿美がお届けします。

「あれ?もしかして藤川先生?」

たまたま利用した千葉県のある駅に貼られていた大学の学園祭記念講演会ポスターの中の顔写真が目にとまった。講師プロフィールを見ると間違いない、小学校3年生の時の担任の藤川先生だ。肩書には「詩人・児童文学作家」とある。

「すごい!藤川先生は詩人になる夢を叶えたんだ!」

興奮しながら見た先生の講演タイトルは「支える側が支えられるとき ~認知症の母が教えてくれたこと~」。

「先生が認知症のお母さんについての講演?……いったい先生に何があったんだろう?」

それが最初に心に浮かんだことだった。藤川幸之助先生は長崎県の西の端にある平戸島の小学校に赴任して来られ、26歳の時、3年生の私の担任になった。

藤川先生は子供たちに詩を書く宿題を定期的に出していた。詩のノートを作り、子供たちは好きなように言葉を書いていく。クラスの一人が北原白秋ゆかりのコンクールで入賞し、詩人北原白秋について教えてくれたのも藤川先生だった。

特別支援学級の子が自分の父親の働く姿を書いた詩に心から感動されたことを、熱く語ってくれる先生だった。

当時のクラスの人数は30人弱。私も含め、恐らく大部分の子供たちは藤川先生を通じて「詩」の世界を知った。夏休みの宿題である読書感想文以外に、「言葉を紡ぐ」という経験を教えてくれた先生だった。

高校生の時、父が「藤川先生が大きな賞をとってね、詩集が出たとよ」と言って、実家の店先に陳列していた『ぼくの漁火』という詩集を見せてくれた。水平線の上に浮かぶ温かく柔らかい漁火が美しい表紙だった。

「先生はずっと詩を書いとったとね。本の出るなんてすごかね!」と父親と話したのを覚えている。

その先生が「詩」ではなく「介護」についての講演をしている。すぐにネットで先生の活動を調べ、過去に発刊された詩集を数冊取り寄せた。

先生が30代後半に出版した詩集には、父が世を去り、託された母の介護の中の暗闇でもがく心情がありありと伝わってきて、今の私と同じ年齢で先生は大変な経験をされていたのだと、大きな衝撃を受けた。

しかし、20数年の介護を経て、母を看取った後に出版された詩集には愛と感謝と温かさに溢れ、先生の経験した道のりを想像すると涙を禁じ得なかった。介護がこれからの日本で誰にも身近で大きな問題になることは様々な指摘から明らかなことで、介護をする側になるであろう当事者としては、私が介護に抱くイメージは「不安で大変」だ。

介護にまつわる悲しいニュースも時折流れてくる。藤川先生の詩集を読んで、私はすぐに思った。

「先生はどうやって介護における葛藤や苦しみの先に、愛と光を見出したのだろう? 先生が介護の日々で気付いたものを同じような状況の人に届けられたら、きっと力になるんじゃないか。私のように漠然と不安を抱えた人にも、いつか介護を経験する時に心の拠り所として思い出してもらえないだろうか」

情報に溢れたこの時代、大きな成功を成し遂げた人に最も価値があるように感じてしまいそうになることがある。

けれども人生の喜怒哀楽、とりわけ日常のすぐ傍にある「哀」に真摯に向き合う生き方というのも、人間にとって本当に大切なものは何かを教えてくれる尊い生き方なのだと、共感・確信している方も大勢いるはずだ。

我が社の月刊誌『致知』は「いつの時代でも仕事にも人生にも真剣に取り組んでいる人はいる。そういう人たちの心の糧になる雑誌を創ろう。」という理念のもと、創刊された。この『致知』の記事として藤川先生を取材してはどうかと編集部の浅倉さんに相談してみた。

浅倉さんは藤川先生の詩集を読み、先生の体験は今の世の中に伝えるべきものと断言され、企画を通してくれた。その上、藤川先生の取材にも誘ってくれ、私も横浜で開催される先生の講演後の取材に同行できることになった。

「詩」の世界を教えてくれた藤川先生は、私の中で「言葉」と不可分の存在だった。その先生が詩を書く、言葉を紡ぐことを断念し、言葉が通じなくなった母を見つめ寄り添う中で掴んだものは支えるはずの自分が、実は母に支えられていたということ、私たちは言葉に頼り過ぎてはいないかということ、相手の存在そのものに耳を傾け寄り添うことの大切さだった。

その時の藤川先生の講演内容、取材の様子を編集部の浅倉さんがさすがの執筆力で書いてくれている(後で教えてくれたのだが、浅倉さんも家庭の中に介護が存在していた)。

  ※浅倉さんの記事はこちら ↓

取材が終わる時間に合わせて、家族にも来てもらった。先生に挨拶する小学3年生の娘が、ちょうど30年前の生徒だった自分の姿と重なった。先生も「真寿美さんに、よう似とるね」と笑っておられた。

浅倉さん渾身の記事は読者の方々から大きな反響を呼んだ。介護中の読者の方からの感想には度々胸が熱くなった。

さらに、浅倉さんと書籍編集部の小森さんは、より多くの人に知ってもらえるように書籍に纏めて出版することを提案してくれた。千葉の駅で起きた偶然から約1年半、2020年3月に藤川先生初の自選詩集『支える側が支えられ 生かされていく』が発売される。

「先生に恩返しができたね」
雑誌に藤川先生の記事が掲載された時に、母からかけられた言葉だ。

きっと私が本当に恩返しができるのは、この詩集を読んだ方が「この本に出会って本当に良かった」と喜んでくださる時だろう。

藤川先生、本当に素晴らしい詩集をありがとうございます。この本を通し、一人でも多くの方に生きる希望、生きる勇気をお届けできるよう心から願っています。

 致知出版社 経理部長 道家真寿美 

(小学校時代の恩師・藤川幸之助先生と30年ぶりに再会して)

画像1