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私の知らない曾祖母と祖父と祖母

 私の曾祖母スエは明治14年生まれ。82歳まで長生きして、昭和38年に大往生したという。私が生まれる10年前のことだから、当然会ったことはない。そして、これまで曾祖母にまつわる話を聞く機会もまったく無かった。

 スエは、只者ではなかったという。水呑百姓の与兵衛と夫婦になったのは、当時のことだからまだ年若い時分だったに違いない。本来「水呑百姓」とは自分の土地を持たず、土地持ちの田畑で働く百姓だが、やり手だったスエはあの手この手で所有地を増やしていった。夫の与兵衛はそんな妻に疲れ果てて早くに先だった。最盛期は、最寄り駅まで他人の土地を踏まずに歩けるほど、広大な田畑を有する一大地主にまでのし上がった。豪儀な女だったことは間違い。

 与兵衛との間に設けた子は息子がひとり。私の祖父、達男である。達男は、学問が好きな子供だった。上級学校に進学したいという希望はあったが、残念ながら入試に通ることは叶わなかった。しかし、地主としての役目の一切はゴッドマザー・スエが取り仕切っていたため、息子の出る幕は無く、彼は勉強好きを活かし、叔父が校長を務めていた村の小学校の補助教員としてのんびりと働いていた。やがて結婚適齢期になった達男のもとに、いとこの女性ナツが嫁いできた。ナツはなかなか頭脳明晰な少女で、小学校での成績もよく、本人は女学校への進学を希望していた。しかし、その夢は叶わなかった。親類縁者の間でも、手段を選ばないスエに対する評判は芳しくなく、そんなスエが息子の嫁取りを始めた時に白羽の矢を立てられたのがナツだった。「あの姑と渡り合うにはこの子しか」と見込まれたのであろう。実家で重々言い含められ夢をあきらめて結婚したナツ。しかし、夫となった達男とは学問好きなところで相性はよかったようで、夫婦仲はよかったらしい。間もなく二人の間には長女、次女と娘が続けて生まれた。

 しかし、達男とナツの若夫婦に大きな影響を及ぼす事件が起きた。スエが、田んぼを万引きした罪で警察のお縄を頂戴したのである。なにをどうしたら田んぼを万引きできるのか、私には皆目見当がつかないが、とにかくこの激震はスエの家だけにとどまらず、一族郎党連帯責任で罪に問われた。校長をしていた叔父は、教育現場にはふさわしくない人物として職を辞することとなり、当然のごとく同じ学校で補助教員をしていた達男も職を解かれた。悪辣な姑のせいで夫は職を失い、親族である実家も責を負わされ苦汁を舐めることとなったナツは、心底スエを恨んだという。

 だが、これまでゆるく坊ちゃん生活をしていた達男が、ここにきて一念発起した。教員としての仕事は無くなった。家の名前も地に堕ちている。地主として存続することはどうにか許されているものの、スエの仕事を手伝うだけの生活は性に合わない。

『そうだ、医者になろう』

 決意した達男の行動は早かった。スエの反対を押し切り、妻ナツと娘2人を連れて大阪に引っ越した。私立の医専に入学したが、講師は自分よりもずっと年若い京大出の医者。京大出は言ったという。「お前らみたいなやつはコンマ以下の存在だ」と。この言葉をのちに父に伝えたということは、よほど悔しかったのであろう。悔しさをもバネにして、達男は勉強した。だが、医専進学は彼の一存で決めたことであり、実家は裕福な地主であるにも関わらず、仕送りはゼロ。夫婦と娘二人での生活は赤貧洗うが如きであった。ここで、ナツのスエに対する恨みは決定的なものとなる。むしろ好きになる理由が1ミリも無い。

 苦難を乗り越え、それでも達男は医師免許を取得した。大阪から長野に帰る汽車は快適とは程遠い交通機関であった。疲れ切ったナツは腕の中に抱えていた次女を取り落とし、幼い次女は客車の床をコロコロコローッと端から端まで転がっていき、ナツはそれを慌てて追いかけて拾ったという。客車の中には汽車の煤が流れ込み、一家四人は真っ黒になって郷里に戻った。

 郷里で待つのはいまだ意気軒高なモーレツ婆、スエ。しかし、自分たち家族の力で獲得した医師免許を手に戻る若夫婦の目には、以前には無い自信が宿っていたことであろう。

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