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父の昔話 インターン編

父と母が「お付き合い」を始めて間もないそのころ、時は1968年。
世に言う「東大紛争」が勃発した。
全国の医学部でインターン制度廃止や医局員の待遇改善を求める運動が台頭し、その中心となったのが東大医学部だった。父曰く、当時の東大総長、東大医学部長、東大病院長が揃いも揃って極め付けの交渉下手であったが故に泥試合の様相を呈し、ひいては安田講堂事件に至る学生運動に進展してしまった、とのこと。

「第一次安保のときも同じような動きはあったんだけどね。ときの総長や学部長がもう少しうまくやったから、あそこまでの騒動にはならなかった。」

なるほど。
さて、父の所属する第三内科の若手医師の間でも、時代の流れに乗った動きがあった。父自身も無給医局員のひとりである。立場としては上に要求を突き付ける側、のはず。だが

「あいつらの要求っていうのがいちいちケチ臭くて聞くに堪えなかった。だからそっちに着く気にはなれなかった。」

あらら。

「たとえば、当直医には『検食』という役目があって、入院患者と同じものを食べるわけだ。その食事があまりにも粗末で食えたもんじゃないから、もっとまともな食事を別に出せ、とあいつらは言ったんだよ。そんな話ってあるか?それなら『患者の食事をもっとまともなものにしろ』と言うべきだろうがあのバカどもは。」

その点については娘も同意。それでどうしたの?

「あんまり腹が立ったから『お前らことごとく尸位素餐(しいそさん)の徒だ』という内容のビラを夜勤の時に作って医局の掲示板に貼ってやった。」

……あのうすみません。
『尸位素餐』、て……

「なんだ知らないのか情けない。ムダ飯喰らい、と言う意味だろうが。」

“ある地位にありながら職責を果たさず、無駄に禄をもらっていること。また、その人。「尸位」は、人がかたしろになって、神のまつられる所に就く意で、地位にあって動かない、位にありながらなんの責務も果たさないことをいう。”

(三省堂 新明解四字熟語辞典より)

不勉強で申し訳ございません。ところで、そのビラを実際にお清書したのは、お母さん?

「そりゃそうだ。ああいうビラは内容はもちろん見た目が大事だからな。」

父の字は、非常に個性的だが形はある意味非常に整っており『父フォント』とでも呼びたくなる形状なのである。コツを掴めば読めるが、難解。医局にバーン!と貼り出すには明らかに不向きな文字列であろう。

しかし父にはもってこいの味方がいた。当時付き合い始めたばかりの母、よしこさんである。正義感の強い看護師でもあったよしこさんは、父の想いに共感し、協力を買って出た。

父の作った格調高い声明文を、母が毛筆で清書した。場所は夜勤のナースステーション。

仕事ええんかい。

持つべきものは達筆な恋人。2人で作成した声明文は翌朝第三内科の医局掲示板に、父の手により貼り出された。

甘やかさは皆無だが、両親らしいエピソードで私は大好きだ。

ちなみにこの「父が文を作り、母が清書する」という協働作業、2人の結婚式でも同じだった。

神保町の学士会館で友人たちに囲まれてこじんまりと執り行われた人前式。父が自作し、母が巻紙に毛筆で書いた誓いの詞を2人で読み上げた。漢詩書き下し文のごとく、見事に音韻の調ったその詞を一言一句間違えぬよう読むのは
「とても緊張したけれど、本当に素敵な文章で、嬉しかった。」
と、かつて母は笑いながら教えてくれた。

しかし、父の母の姿と、母の父の姿はその場に無かった。どちらからも、頑なに出席を拒まれた結婚式だった。

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