人はみな「寂しい」魔物を飼っている

26歳独身、一人暮らし。地方出身、都会暮らし。

たまにやってくる「寂しい」の感情で潰されそうなどうしようもない夜を、どうにかくぐり抜けて今を生きている。

「そういう時はすぐ寝ろ」の一言に尽きることも知っている。それでもどうしようもない時がある。「この寂しさはどう埋めたら良いの?」と。

「男は安心した時に浮気して、女は寂しいと感じた時に浮気をする」という説がある。男側の気持ちは分からないけれど、女側の気持ちは少し分かる。

寂しいと感じた時、横に誰かいてくれたら、なんならぎゅっと抱きしめてくれたら、もう少し言うと、それは出来れば恋愛対象の人が良い。私の場合は男が良いのだ。だって寂しいし、人肌が恋しいんだもん。

そんな時に思い出す言葉がある。昔深夜にお母さんと一緒に観た映画「人のセックスを笑うな」より、蒼井優さん演じるえんちゃんが放った「みんな寂しいんだよ。だから『寂しい』って言うのなんて意味ない」だ。

当時の私はまだ幼く、あまりにもインパクトのある作品名に怖気づきながらも、母から大人の仲間入りを許されたようで嬉しく思いながら鑑賞したのを覚えている。

「みんな寂しいんだよ。だから『寂しい』って言うのなんて意味ない」の言葉は、後に今の私の支柱となった。それは「寂しい」と感じた時の、私の身体を支える心柱である。

「寂しい」の魔物は恐ろしい。夜になると、孤独を感じると、一気に存在感を増して身体を侵食していく。その時にこの言葉を思い出すと「そうだった。人はみんな寂しいんだった。言い訳にしちゃダメだ」と奮い立たせることが出来る。

この言葉のおかげで、私はもっと寂しくならずに済んでいる。「寂しい」だけの感情に身を任せて、自分を大事に出来ずに堕ちていくことを留めることが出来ている。

「寂しい」の感情にいくまでには、幾つものボタンがあると私は思っている。

先ほど明かした「夜」ボタンと「孤独」ボタンが「寂しい」の一歩手前にあるボタンとすれば、「孤独」ボタンを押す前にあるのが、幾重にも重なる「比較」ゾーンのボタンだ。

配偶者の有無、職場環境、家庭環境、住環境、年収、顔面偏差値、学歴…比較をするのに最適なのがSNSだ。そこに自己プロデュース力も加わり完成。SNSは充実してる部分を切り取った渾身の作品とは分かっているものの、SNSに囲まれている毎日で、寂しさを加速させる比較作業には充分なのだ。

そしてまた寂しいループに陥りそうな時に、あの言葉を鑑賞中の記憶と共に思い出す。

「大人ってそんなに『寂しい』の?」

昔は、大人が自由で楽しそうに見えて「寂しい」と無縁に見えていた。

「子供は早く寝なさい」と言われ、大人だけが残ってテレビを観ているのが羨ましかった。寝室がある2階に上がっている途中で、リビングから聞こえる笑い声に「寂しい」と思っていた。「1人で留守番しててね」と言われ、車に乗って遠くまで買い物に行ける大人を見て、追いかけることもできない自分の無力さを「寂しい」と思い、「早く大人になりたい」と思っていた。

そういう意味で、深夜母と見たこの映画は私にとって大事な大事な作品であり、この支柱となっている言葉は、私の唯一無二のお守りなのだ。

今、私は大人で、留守番するにもすることが沢山あって慌ただしい。自分でどこにでも行けるし、数ある選択肢を掴んで今ここに立っている。昔感じていた「寂しい」の種の面影は一つもない。だから大丈夫、とも思うのだ。

時を越え、昔の記憶とセットで思い出す「みんな寂しいんだよ。だから『寂しい』って言うのなんて意味ない」は、私を救い続けている大事な言葉なのだ。「寂しい」と感じてもそれは当たり前。だって人はみんな寂しいんだもん。

#君のことばに救われた

#日記 #ひとりごと #コラム

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?