ひとりごと

以前、三宅隆太さんがタマフルの特集の中で“説明台詞”についてお話をされていて、それがとても興味深く、以降、映画を観るとき、このポイントがかなり気になるようになった。

小説と違って、映画の中ではモノローグが不自然になりがちである。登場人物が急に感じていることをひとりで喋り出すと、そりゃおかしなことになってしまう。だから、会話相手が必要になったり、演技と映像で語らずに語る技術がある。また、ストーリー上で、これから何が起こるとマズいのか、何を解決しようとしているのかなど、現状の問題や予測される危険や目標などを“説明”を加えなくちゃいけないことがある。そこで、各作品がどんな方法をとるのかを観る楽しみ、という話だった。演出によってはどんどんナレーションをかぶせちゃうという方法ももちろんあるのだろうけれど、実は映画の中では、登場人物から言葉を引き出す工夫がたくさん凝らされているのだと気付かされた。

その代表例が、ひとりだけ「なんにもわからない人物」を配置するという方法。今日から任務につく新人とその道のベテランを組ませたり、ある専門家集団の中にその分野に明るくない素人がいると、会話が自然に説明に発展するのだ。これを知った上で色々観ると、なるほどたしかに当てはまる作品だらけで驚く。ちなみに三宅監督はこの例に『ツイスター』を挙げていた。ホントだ!

これはゲームにおけるチュートリアル問題にも似ている気がする。チュートリアルの演出が上手なゲームに出会うと、「よくぞこんなに楽しいアイディアを!ほんとにありがとう!」って、感激するのだ。せっかくなら面白い方法で、せっかくなら「あ、チュートリアルだ」って感じさせないような演出が嬉しい。そこにプレイヤーへのおもてなしのようなものを感じる。

物語も同じだ。説明が必要なことはあって、だけど、できる限り粋な伝え方をしようと頑張ってくれてるのを感じると、なんだかありがたみを感じる。「制作陣が汗をかいてるのがわかるから好き」という三宅監督の言葉も思い出される。

で、最近『オデッセイ』を観ていて、ハッとさせられた。これも説明だ!と。それは、「記録ビデオを撮るシーン」である。火星に取り残された主人公が、毎日ビデオカメラに向かって、状況、心境、科学的な説明を語る。
同じく宇宙が舞台では『インター・ステラー』でも見た気がするし、『アイ・アム・レジェンド』のようなゾンビ(あれは、ゾンビ?)ものでもこのシーンがあったと思う。これってつまり、孤立してしまった主人公から言葉を引き出すためにはどうすればいいのか、という課題に対して生まれた作劇アイディアなのではないだろうか。
孤立、といえば、大好きな映画『キャスト・アウェイ』のことも考えてみる。そうだ「ウィルソン」だ。主人公が飛行機事故で無人島に漂着する。生存者はたったひとり。ゆえにこの映画は無言の時間が非常に長い。それでも主人公を見つめていれば、ちゃんと気持ちや行動原理が汲み取れる演技と映像も素晴らしいのだけど、途中で出会うバレーボールのウィルソンが主人公の言葉を引き出す役割を担っていたのだ。主人公と観客の架け橋になってくれていた。彼がいなければ、もっとドライな映画になっていたように思う。

『プロジェクト・ヘイル・メアリー』も映画化が進行中とのウワサ。あのものすごい物語がどう映像化されるのかも楽しみだけど、説明台詞もかなり必要とされるだろうから、映画版では果たしてどう演出するのか。もしかしてやっぱり記録ビデオシーンくるか?とヤマを張って、それも楽しみに待ちます。

説明シーンが巧みな映画情報、求む。

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