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もし神が、お望みならば~アブダビ通信 最終回~

 初めて校長のサルマ女史に会った時、別れ際に彼女がにっこりと笑って、――じゃあミズ・サイトウ、インシャアッラー、また明日。
そう言った時のちょっとした驚きと感動は、三年が経った今でもはっきりと思い出すことができる。――ああ、私は本当にアラブに来たんだ。

 「インシャアッラー」。アラブ圏を訪れたなら誰もが耳にするこの言葉。アラブ人がこれから先の未来のことを述べようとする時に、必ず添えられる言葉である。
 放課後の職員会議は予定通りありますか、と同僚に訊ねたとしよう。
「ええ、あるわよ。インシャアッラー。」
 帰り際、アブダーラに教室の蛍光灯を明日までに替えておいてください、と頼む。
「わかりました、明日までに替えておきます、インシャアッラー。」
 仲の良い同僚に週末の予定を訊いてみる。
インシャアッラー、姉と映画を観に行くの。そうだわサイトウ、インシャアッラー、今度はあなたも一緒に行きましょうね。」
ここで、私もにっこりと笑って「インシャアッラー」と答える。
 同様に街にも、「インシャアッラー」は溢れている。
 テイラーで新しいアバーヤをつくったとしよう。いつでき上がりますか、と店員さんに訊ねると、
インシャアッラー、今週の木曜日ですね」。
 帰りにタクシーに乗る。どこそこへ行ってください、と頼むと、パキスタン人と思われる運転手さんが、陽気な声で
「ノウ・プロブレム、インシャアッラー!
と歌うように言う。車のバックミラーには、アラビア書道で「アッラー」と美しく書かれた飾りがかけてある。


 「インシャアッラー」とは、日本語に直訳すると「もし神が、お望みならば」と言う意味である。
 神社でお賽銭箱に五円玉を放りこんで困った時の神頼みをすることもあれば、お寺に行って先祖の墓に線香と花を手向けたりもする典型的な日本人である私にとって、アブダビに来る前から知識として知ってはいたものの、アラブの人々と話す度に耳にするこの「インシャアッラー」はやはり不思議だった。職員会議の予定にしても、蛍光灯の取り替えにしても、「神様がお望みならば」はちょっと大袈裟すぎやしないか。冒頭のサルマ女史にしてもそうだ。「もし神がお望みならば、また明日」。もちろん、会える。校長室のドアはいつでも大きく開いていて、サルマ先生はいつも、あたたかい笑顔で迎えてくれる。
 明日、と言えば、私のような外国人が就労ビザや健康保険証などの手続きを申し込むと、問い合わせる度に、あまり愛想のよろしくないアラブ人のスタッフが面倒くさそうに
インシャアッラー、トゥモロー」
と言うばかりで、何日も何日も、下手をすると何カ月も待たされてしまう、というのも、こちらではよくある話だ。この場合は断じて神様のお望み、は関係ない。ああそうですか、とおとなしく引き下がるとずっと放っておかれてしまうので、負けずに何度も何度も問い合わせて催促しなければならない。

 ともあれ、皆こんな感じで、「インシャアッラー」と言葉を交わす。外国人にとっては「もし神がお望みならば」という直訳ばかりが頭にあるし、先に書いたように仕事を先延ばしにする時に使われたりもするので始めは違和感を覚えるのだが、言わば、アラブ社会における一つの決まり文句なのである。ちょうど日本語の「ありがとう」が、そのままの意味だと「有ることが難しい」になるが、皆それはあまり気にせずに使っているのと同じ、と言ったらよいだろうか。
 「インシャアッラー」という言葉の根底には、「先のことは神様にしかわからない」というイスラム教の考え方がある。じゃあまた明日、と言って別れたとして、次の日に本当に会える保証は何もない。どちらかが急に病気になるかもしれないし、悪天候の為に身動きが取れなくなることだってあるだろう。今でこそアブダビの人々はどの先進国にも負けない豊かさの中で生活しているけれど、彼らがずっと息が詰まりそうな真夏の熱風や、一瞬にして目の前が見えなくなる砂嵐と闘いながら生活してきたことを考えると、そしてそんな厳しい気候に右往左往する私たち人間をよそに、広大な砂漠やぎらぎらと照りつける太陽は当たり前のようにいつもそこにあった、という事実を目の前にすると、確かにそうだ、と私も頷いてしまう。何事も「神様がお望みならば」こそ、可能なのである。アラビア語の会話では「インシャアッラー」の他に、「アルハムドレッラー(神様のおかげで=ああ、よかった)」という言葉も、頻繁に登場する。


 三年の仕事の契約期間が満了し、私はこの六月(註:2010年)で日本に帰国する。アブダビでの生活の中で出会った、沢山の人たち。もっともっと彼らのことを知りたかったけれど、そして日本のことを知ってもらいたかったけれど、私はひとまずここで、彼らにさようならを言わなければならない。さみしくはない。ほんの数年前まで、私は自分が日本語教師になることも、外国で暮らすことも、ましてやアラビア半島のこのアブダビという街で生活することも、予想だにしていなかった。あの頃の私がこの未来を知ったら、どんな顔をするだろう。まことに、未来のことは神様にしかわからないのである。これから日本に戻る私にも、またきっと、想像もつかないような未来が待っているに違いない。


 学校に出勤する最後の日、サルマ女史がいつもと変わらない笑顔で言った。
インシャアッラー、私のお母さんと一緒に、いつかきっと日本に行くわね。あなたも、またいつでもアブダビにいらっしゃいね。神様がずっとあなたを守ってくださいますように。」
 私の手を握るサルマ女史の手は、温かかった。サルマ女史にも、サルマ女史の母君にも、甘いものが大好きでいつもにぎやかな同僚たちにも、働き者のアブダーラにも、そしてこの街の太陽に負けないぐらい元気のよい子どもたちにも――またきっと、会えるだろう。もし神が、お望みならば。

※このエッセイは「短歌往来」2010年1月号から8月号にかけて連載されたものです。本稿は今回の掲載にあたり、一部書き改めました。
   

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