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いちめんにみどり

砂の国の少年たちも驚かんいちめんにみどり さみどりの山

齋藤芳生『桃花水を待つ』

 アラブ首長国連邦の公立小学校で日本語教師として働いていた頃、「日本」という国を紹介するにあたってなかなかに便利だったのが、四季折々の写真を月毎に楽しむことのできるカレンダーだった。4月は満開の桜。5月は、新緑のなかを涼やかに流れてゆく渓流の水。6月は、雨に濡れた紫陽花とかたつむり。

 アラブ首長国連邦は典型的な砂漠気候で、基本的に季節が二つしかない。日中の気温が50度以上にもなる、しかも海沿いなので湿度も高い「夏」と、気温10度から20度前後の爽やかな天気が続き、時おりぱらぱらと雨が降る「冬」。この「冬」の間はとても過ごしやすいので観光にもってこいだが、時おり猛烈な砂嵐に襲われたり、朝晩立ち込める霧で飛行機の発着が遅れたりすることがあるから要注意だ。

 そんな砂漠の国の子どもたちにとって、日本のカレンダーは色彩豊かな絵本のように感じられたに違いない。一枚、また一枚とカレンダーをめくって見せてゆくと、いつも騒いでばかりいる子どもたちがいつの間にか静かになり、黒目勝ちの瞳をいっぱいに見開いて驚きの声をあげていた。

 そもそも彼らのなかにある「日本」という国のイメージは、最早世界中で市民権を得た「マンガ」や「アニメ」、あるいはスポーツとしての「空手」。そして様々なハイテク機器がほとんどである。それは同僚の先生たちも同じで、美しい里山の写真を見た社会の先生は、日本にもこういう場所があるなんて知らなかったわ、と少し肩をすくめて言った。どうやら、日本列島の隅から隅まで高層ビルやマンションがびっしりと立ち並び、最新鋭の電子機器に囲まれている、そんな光景をイメージしていたらしい。
――ほら、日本って狭い国土にものすごくたくさんの人が住んでいるのでしょう。ドバイやアブダビも、そんな感じじゃない?

 赴任してから初めて一時帰国したのは、ちょうど新緑の季節だった。瑞々しい空気を胸いっぱいに吸い込みながら、ああ、このさみどりの山をあの子たちに、あの先生に、見せたいなあと思った。
季節は秋。朝夕の空気がもう大分冷たい。さみどりだった木々は今、赤や黄色に色づきはじめている。

福島民友新聞「みんゆう随想」2017年10月10日

☆アブダビでは、もちろん燃えるような紅葉を見ることもありません。でも、冬が近づくに連れて砂漠にはどんどん草が萌えはじめて、やはり「いちめんにみどり」になります。


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