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同志として、ライバルとして

 「歌会(「うたかい」あるいは「かかい」と読む)に行ってきました」と話すと、短歌に馴染みのない人には大抵、ちょっとびっくりされる。どうしても、難しそうとか、堅苦しいのでは、と思われがちだ。
 けれど、実際に私たち歌人が集まって行う「歌会」は難しくも堅苦しくもない。短歌が好きな人間が集まって、互いの歌を読み、褒めたり「ダメ出し」をしたりする、それだけだ。年齢や職業、あるいはどちらが先に短歌を始めたか、といった上下関係は一切ない。ただ目の前の一首について「ここが面白い」「これはダメだ」と夢中で話しているうちに、あっという間に時間が経つ。それが「歌会」である。


 この一年半ほど(註:2014年6月より)、私は四十歳前後の女性歌人たちとのそんな「歌会」に参加してきた。最初の歌会を開いたのが六月六日だったことや、「三十六歌仙(6×6=36」などにちなんで、「ロクロクの会」という。今のメンバーは十一名。所属結社も作風もばらばらだが、歌壇の中堅として着実に力をつけてきた人たちだ。 
 歌会は月に一度、「お題」を決めて詠む「題詠」と、自由につくった歌との二首を持ち寄って読み合う。名前を隠しているので、終わるまで誰の歌なのかわからない。いつもとは全く違う作風で「これあなたの歌だったの!」とびっくりすることもしばしばだ。そんな私たちの作品とこの歌会の一端をまとめた同人誌が、もうすぐ刊行される。いわき市在住の高木佳子さんも、友情参加してくれた。
 女性歌人たちによる結社を越えた交流は、私たちが初めてではない。きっかけは、私たちが憧れてやまない馬場あき子や故・大西民子といった大先輩たちが、どのように交流し切磋琢磨してきたかを知ったことだった。


べたべたした表層的な友情とは違う、同志のような敵同士のような女性歌人の連携。嫉妬や競争心という皮を剥いだ人間の本質のぶつかり合いと信頼をそこに感じました。

とは、同人誌のあとがき「ロクロクの会について」に書かれた富田睦子さんの言葉である。
 歌会の後、私たちはいつもわいわい騒ぎながらビールを飲む。飲みながら思う。おばあちゃんになった私たちは、どんな歌をつくっているのだろう。そして、どんな話をするのだろう。みんな「ダメ出し」は今と同じで厳しいんだろうなあ。
 歌の道は果てしがない。けれど、彼女たちがいる限り、それは決して孤独な道ではない。

福島民報新聞「ティータイム」2016年11月4日掲載

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