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小銭を拾った時の忘れられない2つのエピソード

今日は、私のお金事情がどん底状態の時に、お金とは『生活』という考えから、お金を『愛そのもの!』と改めた時の、思い出深いエピソードをご紹介いたします。愛そのものが分からない私は、まず初めにお金を『私の子ども』と考えるように生活してみた。

お金をわが子と思いながら生活していくと、面白い出来事が起きた。道端で小銭を見つける現象が出現。その頃、小遣い稼ぎと、強制的に運動をするために、ポスティングを週2回行っていた。学生の頃は、特に、アメリカに留学していたころは、たくさんの小銭を道で拾っていた。なんでこんなに1セントが落ちているのだろうと思うくらい拾っていた。今、振り返ると週に2~3回は拾っていた気がする。

話を元に戻し、ポスティング中に小銭を見つけることが多くなった。最近はキャッシュレスのせいか、現金を使わない生活をしていたため、見つけたときは少々驚いた。初めての時は、人目を気にして拾う勇気が出ず、一度帰宅し、再チャレンジをした記憶がある。その後、2~3ヵ月ペースでお金を拾うようになった。

特に思い出深い小銭は、個人宅の駐車場に落とされた10円だった。真冬で雪が積もっていた時に見つけた。しかし、個人宅の敷地ということもあり、発見初日は見送った。2回目の時は、近くで人が作業していたため諦めた。その後、その子(10円玉)は雪と砂利にうもれ行方不明に…。無事に家の人に拾ってもらったことを祈って、いつも気にしながらポスティングをしていた。春になり、完全に雪が消えたある日、その子は少し、砂利から顔を出しているところを見つけた。その家の番犬が、キャンキャン吠えるのも気にせず、拾い上げた。砂利で傷だらけでした…。よく頑張ったね~と労い、連れて帰った。

他にも、雨が土砂降りの中、立ち寄ったコンビニに駐車場で、ドアを開けたら、100円玉が落ちていた。土砂降りだったけど、拾い上げてコンビニの中へ。コンビニの手洗い場で100円玉の汚れを落とし募金箱へ、「いってらっしゃ~い」と見送った。自分の用事を済ませて車に戻ろうとした時、車の辺りに小銭らしきものが…。私に車の周りに、100円玉と10円玉が散らばっていた。全部で500円以上になると思う。土砂降りだったけど、できる限り拾い上げ、そのコンビニの募金箱に入れたこともあった。

小銭を拾い始めたときは、何となく罪悪感から、その小銭を自分のお金として使えなかったけど、今はそんなブロックはない。でも今の私も、これからの私も、おそらく拾ったお金は募金箱へ入れるだろう。だって、募金って1円から成り立ち、大きな力となるから。私の子(拾ったお金)が困っている人の力になってると思うだけで、素敵でしょ💕

あっ、でもね、お金を拾ったからといって、宝くじなどは当たりませんよ!私、実験済みです。全く当たりません。ただの浪費になります。お金を拾って得られることは、自己受容と自己肯定感です。人目を気にせず拾う『自己受容』、お金を助けた私、凄いエライ!と思う『自己肯定感』。でも、この二つ大富豪になるためには必須要件だと思う。まだ、大富豪になっていないけどね😅。でもこの経験も何かに繋がっているはず。

やっぱり、引き寄せって面白い💕

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