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【読書】言葉にできる は 武器になる。


私たち note クリエイターは日々、記事を通じて誰かに言葉を投げる。

言葉は物事そのものや繋がりを表現し、私たち人間は言葉を通じて彼らの思考や経験を追体験することが出来る。

伝わる言葉には、伝わる理由がちゃんと存在する。


世界は誰かの仕事でできている。
バイトするなら、タウンワーク。


著者の梅田 悟司さんが、コピーライターとして文字・言葉と向き合ってきて学んだもの。

本書はそれらを追体験できるものになっている。

伝えたい言葉を、伝えたい人に、伝えたい形で、伝える。

私たち note クリエイターは、言葉から学び伝えるだけでなく、言葉自体を学び伝える能力も必要だ。

そのために本書は非常に役立つ。

会話はキャッチボールと言うが、私たちの投げたボールは、しっかり相手に届いているのだろうか?

読者はそのボールを、受け取ってくれているのだろうか?



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こんにちは。

谷塚総合研究所・読書部の塚本です。

今日は、元・電通コピーライターの梅田 悟司さん著「言葉に出来るは武器になる」を紹介します。



言葉とは、意見である。

あなたの言葉、私の言葉、だれかの言葉。

言葉にはそれぞれ意味がこもっていて、言葉の連なりは世界観を生み出し、そのストーリーは書き手それぞれによって異なるものだ。

同じ意味を伝える言葉でも、書く人によってさまざまな世界が展開する。

言葉は無数に存在し、私たちは場所や相手に応じて言葉を選び、伝えるために工夫するわけだが。

そもそも、一体なにを伝えようとしているのか?
明確に答えることは出来るだろうか?

noteクリエイターは、一つ一つの記事を通じて、noteの世界に言葉を発信する。

一つの記事という世界は、誰かの目に留まり、その世界・内容に共感する人がいれば、私たちnoteクリエイターが生み出した記事の役割を果たせていると言えるだろう。

それぞれの記事の世界は、個性的であるべきだ。
絶妙な言い回しや言葉選びは、スキルやセンスが必要であり、そのセンスに人が集まり魅了される。

だが、言葉というのはこねくり回しただけではつまらないものであって、やがて飽きる。
読者ではない。飽きるのは私たち書き手の方だ。

言葉とは、そこに存在しないものを伝えるための手段であって、私たちは言葉を通じて、そこにある何かを相手に伝えなくてはならない。

私たちの頭の中にある「それ」を伝えるもの、それが言葉である。

ただ、キレイで聞こえのいいだけの言葉では役に立たない。
私たちは、私たちのなかに存在する「それ」を相手に伝えるために言葉を使う。
全ての言葉は「それ」を表現するための道具に過ぎない。

「それ」のどの部分をなぞるのか。
「それ」をどのように形容するのか。
「それ」をどのように名付けるのか。
「それ」はいったい何をもたらすのか。

その表現自体が個性であり、私たち note クリエイターは、
ただ、言葉を羅列するだけでは意味がなく、読者が「それ」は何かを理解できるよう努めなくてはならない。

本書のタイトルは 「言葉にできる」は武器になる。 というものであるが、一体なにを言葉にできればいいのか?
著者が語る「それ」とは一体なんなのか?

「それ」とは、意見である。

私たちは、私たちの中に存在する意見を、言葉という武器をつかって表現する。
本書には、そのための方法やノウハウが詰まっている。


言葉を武器にするには

著者の梅田さんは、コピーライターだ。

冒頭に紹介した「世界は、誰かの仕事でできている。」

彼は、その発する一言の水面下には、膨大な言葉が必要だと本書で解説する。
それを「内なる言葉」と定義して。


内なる言葉とは、言語化された思考のことで、私たちも日常的に接している。
「ああ、そうくるのか。へえ、なかなか。これはいいな。」
あたまの中に浮かぶ言語化された思考というのは単純なもので受け身だ。

あたまの中に蓄積される膨大な思考というのは、それ自体が役に立つわけではない。
頭の中のテーブルいっぱいに広げた言葉たちは、それをグルグル回して煮詰めていくことで、ある最適解に達する。
膨大な言葉の集合体は、私たちの脳によって最大公約数が導き出される。

「世界は、誰かの仕事でできている。」
この言葉は、筆者が単に一つの仕事を見てひらめいた言葉などではなくて、膨大な情報を蓄積し、それを煮詰めた先にあった最大公約数なのだ。
煮詰められた言葉は、多くの共感を呼び、矛盾なく繋がってしまう。
たとえ、簡単な言葉の連なりであっても。

日常から得られる思考を言語化し、その言葉に様々な言葉をぶつけてみる。
それによって言葉は磨かれ、洗練される。


言葉を個性にするために。

言葉は、磨けば磨くほどありきたりなものになってしまう。

ありきたりなものを発信しても、私たち note クリエイターとしての本分は果たせず、私たち自身もありきたりの一部となってしまう。
言葉は意見を表現する道具である。

私たち自身の意見を輝かせるためには、
私たちが、どの立ち位置から意見を述べているのか?
つまり、物事に対する視点が重要になってくる。

わたしの場合は「魅力的な自分を作って人生イージーモードでいこう。」という立ち位置を、自らに課している。
要は、上手にセールスして楽しよう。というわけだ。
そのため、単純な仕組みを見つけて、それをきれいにデコレーションするよう気を配っている。

立ち位置が個性的であれば、そこから生まれる意見や言葉は、必然と個性的なものになる。
いくら磨いて洗練しようとも。

私たちが note という世界で記事を発信するために、私たちはきれいな言葉、斬新な意見を見つける前に、より個性的な立ち位置を決定するほうが得だ。

意見や言葉は、磨けば洗練されきれいなものになる。
だがそれを「誰が磨くのか?」によって、完成される記事は全く異なるものになる。

私たちは、そもそも私たち自身が何者なのかを明確にするべきで、そこから言葉を磨くのであれば、どのような磨き方をしたとしても、その記事は個性的で洗練されたものになる。

まずは、みずからのキャッチコピーを明確にしてみるのも一つの手段ですね。


本書には、この記事で紹介した言葉に対する考え方の先に、具体的な表現方法・手法や、使えるテクニックが満載です。
良ければ手に取り、一読ください。
著者自身がプロのコピーライターですので、本書は note での創作活動に役立ちます。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。