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go to 神戸 1日目

神戸には阪神大震災以降二度ほど帰ったが、それは夫や子供との京都旅行のついでに立ち寄った程度で肝心な所はどこへも行けなかった。

神戸出身とは言え今はもう親兄弟も帰る実家もない私は、家族ずれでゆっくり滞在することは難しい。

だが今回は一人旅をして、自分の暮らした街が震災後どのように変わったのか、この目でしっかり確かめるのが目的であった。

午後1時過ぎ新神戸に着いた私は、荷物を持ったままホテルとは逆方向である阪急六甲行きのバスに乗った。

一つ手前の六甲登山口で降りて昔のように阪急六甲までぶらぶら歩いてみたが、道路の両側には見覚えのない店ばかり並んでいた。

阪急六甲駅周辺も建物はもちろんバイパス道路もでき、すっかり変わっていたが踏切を渡って南側の六甲八幡神社は昔のままでホットとした。

ここは七五三のお参りをしたり、毎年初詣や厄神祭に出掛けた縁の深い神社である。

参拝を済ませてから境内を抜け、南へ南へ歩いて中学時代を過ごした灘区桜口へ向かった。

境内の先は確か宮前市場を通って行くはずだったが、もう市場もアーケードも無く広々とした宮前商店街として生まれ変わっていた。

さらに南下して第一阪神国道を目指せば桜口である。

その国道沿いを左に曲がればダンロップの寮、そして五軒ほど並んだ商店の一軒が中学時代に暮らした叔母夫婦の本屋であった。

叔母夫婦は30年以上前に亡くなり、すでに本屋がないのは分かっていたが、今は寮もなく道を間違えたかと思うほど見覚えのない小綺麗な店がズラリと連なっていた。

しかし国道を挟んだ向かえには大きな六甲ボールのピンと建物が残っていて、やはりそこは紛れもなく私の暮らした街であった。

そのまま商店に添って少し行けばスーパーマーケット、そして馴染みの映画館があるはずだったが、辺りは何かオフイス街のような雰囲気に変わってきた。

それもそのはず映画館のあった場所には灘区役所の大きなビルがそびえているではないか。

なるほどこの区役所の出現が辺り一帯を変貌させてしまったのだ。

その映画館で子供の頃どれほど映画を観ただろう。ディズニー映画や怪獣ものから若かりし頃の裕次郎、加山雄三などの青春映画そして夏場の怪談映画と数えればキリがない。

がっかりしながら再び進路を北へ、JR六甲道へと向かった。

中学時代は毎日友達と桜口から六甲道を通って中学へ通っていたが、しかしその通学路も六甲道もまるで私の知らない街になっていた。

駅周辺はビルが建ち並び、南側は急に視界が開けたと思えば広々と公園が整備されて、あれほど密集していた民家は一軒もない。

どこを見回しても記憶のかけらさえ見つからないのだ。

それでもあの南天荘書店はあるはずと駅ビルに飛び込んでみたが、あるのは知らない本屋だけであった。

当時、南天荘は神戸では3店舗ほど構える大型書店で、公立学校の教科書を一手に扱っていたので行ったことのない人は居なかったと思う。

すっかり気落ちした私は夕日が傾き始めたJR六甲道駅から電車に乗って、三ノ宮のホテルにチェックインすることにした。


                    2日目は御影へ。。(続く)














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