見出し画像

永遠にして最後の「映画Dr.コトー診療所」、それぞれにとっての結末(ネタバレあり)

「映画Dr.コトー診療所」は、テレビシリーズで好評を博した名作の初劇場版であり、完結編である。
「コトーはコトーらしく」
離島を取り巻く環境は、20年間変わらなかった。
変われば良いとか悪いとか、そんな次元は超越している映画だ。
ただコトーの髪は、確実に白くなっている。

映画の冒頭から広大な海と島の自然が、圧倒的な映像美で迫ってくる。
これだけでウルウルしてしまうから不思議だ。
これを書いている筆者は、テレビシリーズの熱心な視聴者ではない。
それでも、この医療ドラマの金字塔は知っている。
毎回涙を流したドラマはこれがはじめてだと思う。

もはや、コトーと周りの島民のいる風景は、日本の懐かしさを感じる。寅さんや三丁目の夕日並みだ。
ああ、この島に帰ってきたのだ。
島民たちの変わらぬ生活と、外地から入っていくる新しい人たち。
コトーがはじめて来たときのように、拒絶するものはいない。
すっかり人間として成熟したのだ。

しかし、懐かしいだけでは終わらず、次々と事件が降りかかる。
怒濤のように観客を泣かせにくると言っていい。
映画にちりばめられたものは多いが、なかでもコトー自身の闘病と葛藤は特に大きなテーマだ。
自己犠牲を尽くした彼をして、「今まで病気と向き合っていなかった」と言わしめる。
泣かせようとする圧力に負けるものかと頑張ってみても、台風での大混乱には涙腺が崩壊してしまう。
コトーは、どんなに絶望的な状況でも全員を助ける、と告げ自身にも言い聞かせる。
そんな疲労困憊のコトーに、自分はもういいから、と声をかける老女。
それでも、決してあきらめずに、病気と闘いいのちの火を燃やす続ける孤高の医師。

やがて台風は去り、診療所内の混乱は収束する。
時間軸は不明だが、彩佳との間に生まれた子を抱き上げるコトー。
光に包まれたラストシーンは、結論を伝えず観客の解釈に委ねている。
コトーは生きているのか、死んでしまったのか。
監督も原作者もキャストも誰も答えを教えてくれない。結論を出さないことがこの映画らしいのだろう。

エンドロールで流れる中島みゆきの「銀の龍の背に乗って」は、途中で席を立てない説得力があった。
この曲はドラマのための書き下ろしだ。
銀の龍とは、船が進むとき立つ白波・手術器具のメスの色・光り輝く金の龍とは別の控えめな存在の3つを表しているらしい。
ネット民の情報収集能力おそるべし。曲と作品が実によくマッチしている。

歌が終わるまでに自らの涙を拭き、ぜひ見たいと言った隣の娘に悟られることなく、シアターを出られたと思う。

追記
映画とは関係ありませんが、道路が寸断された陸の孤島で起きたことも書きました。

この記事が参加している募集

サポートをしていただけると泣いて喜びます。