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第10話【家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった】〜やっぱり大丈夫

愛車ボルド(赤いボルボ)との再会。ママは運転席のパパと窓越しのキス。
いままで大丈夫だと思っていた絶対的エースのパパと、大丈夫ではない代表選手と目されていたママとの迎合。月並みだが、あらゆる感情が詰まっていて、一気にあふれ出す瞬間だった。岸田奈美さんのキナリマガジンで人気No.1を争うボルボのエピソードを、ここに入れてきた。

買うまでの葛藤などすっ飛ばして、パパとの思い出で今を生きる家族が繋がったのである。

先入観は恐ろしい。
パパは完璧だと思っていた。死んでいるから世の中を俯瞰しているし、残った家族をいつも励ましている。八面六臂の大活躍だ。(すみません、難しい漢字を使ってみたかっただけです。)

でも、パパも完璧ではなかった。人間じゃないけどもともと人間だもの。急逝したときは無念だっただろう。愛する家族を残して、妻に付き添われた救急車の中で「七実ちゃんは大丈夫」と言い残す。無念すぎて化けて出たのかもしれない。

草太が生まれてダウン症と分かったとき。ママは感情をぶつけたけど、パパはそうもできず立ち去るのみ。やり場のない感情をずっと引きずっていただろう。長い坂道をひとりで歩いていたかもしれない。

話は長くなったが、七実に頭を撫でられ、愛車のボルドの窓越しにママと向き合ったとき、パパは解放されたのだ。ようやく成仏できるかもしれない。このドラマのテーマである「大丈夫」になったのである。

ところで、七実は、ばあちゃんと草太は大丈夫、ママと私は大丈夫ではないという。
そうだろうか、私はオセロだと思う。今日大丈夫な人も明日は大丈夫でないかもしれない。逆もしかり。たとえば、草太は大丈夫ではない状態から周囲に愛され自ら学んで大丈夫になった。でもいつか、そうでなくなるかもしれない。

そんなとき、周りの大丈夫な人に挟まれたら、ひっくり返って色が変わるかもしれない。もしかして、それが大事な仲間、家族かも。いや、家族だからといって無条件に実現するわけではないかもしれない。だから、「家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった」のだ。

私は、最終話だけはリアタイで見ようと深夜に親戚の家へ行って放送を見せてもらった。(いつもはNHKオンデマンド)。余韻に浸ってSNSを巡回している私の横で、しつこく話しかけてくる知的障害のある息子。うるさい、あっち行け、言ってしまう毒親だが、君とずっと生きていくよ。悪態ついてごめんなさい。

ドラマでは、ボルドに乗った家族が宇宙へ旅立った。
ああ、この話は終わりではないのだ。これからも永遠に続くストーリーなのだと感じた。

願わくは、七実の最高の夢である、屋台のラーメン屋にマルチ(環)がいてほしかったな。

追記
推し仲間との会話より。「岸田奈美さんのnoteは岸田さん目線だったけど、このドラマは全員目線で発見があった。」なるほど。

追記2
各話のまとめはこちら。

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