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私の思う『愛』

おはようございます、しましまです。

明日私の誕生日なんですが、
なぜか子どもの方がそわそわしていますw
どうしたん?って聞いても教えてくれないので
明日までしらんぷりで待とうと思います。


自分の誕生日は嬉しいものだ、
という先入観みたいなのがありますよね。

それこそ子どもの時は
プレゼントもらえるし、
ケーキ食べて無条件にお祝いしてくれるから
自分にとっていい日であることは間違いなかったのですが。

自分にとって『めでたい』かと言われると
そうでもない。

だって、生むのは親自身の都合だったり
親自身の希望であって、
私当人の望んできたことではないんです。

子どもが思春期によく言う
「生んでほしいなんて頼んでない」
は、まさに正論。

生んでもらったことに感謝を!
なんていう論調もありますが、
なんで頼んでもないことをされて
感謝せねばならんのか!?
と思ってしまいます。

だからか、年を取ると何とも思わなくなってきます…。

明日も普通の日


子どもを生むのは親の都合。
親の欲望。
親の夢。
当たり前ですが子どもの意思なんて
どこにも入ってはいません。

だからこそ、子どもが
この世に生まれてきてよかった
って思えるように
心をサポートするのが親の役割だと思っています。


私の中では
この『心のサポート』こそが愛

プラスの感情はもちろん
辛い、苦しい、悲しいといったマイナスの感情をも
受け止めてくれる。

子どもの気持ちを受け止めて
理解することが愛になりえると思うんです。


だから、

泣いてる子どもに
「泣くな」
と怒鳴ったり

子どもが悲しんでいるときに
「男の子なんだからもっとしっかりしろ」
みたいに叱咤することや

いじめられて辛い思いをしているところに
「あんたにも悪いところがあるんや」
って責めたり

「あなたのためにやってあげてる」
って自分のやったことを一方的に押し売りしたり

「自分でやりたい」
と思っている子どもに
「あなたにはまだできない」
と拒否したり

子どもの感情を理解しない

自分の都合を押し付ける

『善良で親切な親』であるために
子どもの不安をあおって
おままごと人形にする

こんなことは愛にはなりえない。


食事を与えたり
学費を出したりだって
生むと決めたのは親自身なのだから
そんなの当たり前じゃないですか?

子どもに感謝してもらう必要なんて
どこにもない。

自分が親になって、
なおさらそう思います。

愛のような形にしているだけのモノ


私は親からは愛をもらえませんでした。

だけど

私の誕生日を心待ちにしてくれている子どもや夫からは
愛を感じます。

何とも思わなくなった誕生日
とくにめでたくもない私にとっては普通の日

それが、また特別なものに感じます。


いつだったか、子どもが

「お母さんが生まれてきたから
ボクは生まれてこれたんだよ。
お母さんが生まれてきてよかった」

って言ってくれて
生まれてきてよかった
始めて心から思えました。


親からもらえなかった愛を
子どもからもらえてる。

とっても幸せなことです。


愛が満たされたら
いつか生んでもらったことを
親に感謝できるかもしれない。

明日は愛をたくさん受け取って
心のポットを満たそうと思います。


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