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親ガチャの結果は愛が伝わったかの指標

おはようございます、しましまです。

あっという間に1000ビュー突破してて、
noteのポテンシャルの高さと記事の親和性を
再認識した今日この頃です。

読んでくださった皆さま、
ありがとうございます😊

まだまだ未熟で、
たまに自分でもまとまらんなあ💦と
頭を悩ませながら書いているものもありますが
(今日とか💦)
ヌルーい目で見守ってくださいませ。


++++

「親ガチャって言葉はキライやけど
オレは当たりやったわ」

ラジオから漏れた「親ガチャ」という言葉に
上の子がふと反応したを聞いて
とても嬉しくなりました。


上の子と私(&夫)は
タイプが全然違います。

やることなすこと、
子どものときの自分とは全然違っていました。

ただ、私も夫も、
違いを「面白い!」と感じるほう。

彼の一挙一動を見て感心したり
今どういう気持ちだったのかを
彼にインタビューしたりもして
『彼』という生き物の生態を
楽しく学ばせてもらいました。

もちろん上を見たらキリが無いだろうけれど
こんな親たちとの生活は
今の彼にとっては居心地の良いものだったらしいです。


親ガチャ。

親の立場で聞くと
身につまされる思いがするけれど
子の立場で聞くと
これほど的を得た言葉はないと思います。

親だけじゃなく
先生ガチャ
学校ガチャ
なんかもそう。

世の中みんなガチャだらけ。

ただ、親ガチャだけは
課金して確率を上げることは
できないのでちょっと特殊かな。

私と私の親もタイプが全然違いました。

でも、私の親は
私をおもしろがるどころか否定して
自分たちの価値観の中におさめようとしました。

経済的不自由はないけど
自分という宝物を汚されて、傷つけられて
ずっと膝を抱えて耐えていた子ども時代。

あの時に『親ガチャ』という言葉を知ってたら
「自分にとっては間違いなくハズレ」と
言ってたように思います。


親ガチャの結果は、愛が伝わったかどうかなんだと思うんです。

子どものもつ『愛情ポット』に
愛情が貯まったかどうか。

愛情ポットに愛を入れるには、まず蓋を開けなければいけません。
蓋は、持ち主自身が安心できないと開きません。

持ち主が何に安心を感じるかは
個々によって違うとは思いますが、
狭い世界で生き世の中の仕組みもわからない子どもたちが
共通して持つ『安心』は
きっと『このままで生きていい』という気持ちだと思います。

つまり、親が無条件に子どもの存在を認めること。
蓋を開けてはじめて、愛を貯められるんです。

私の親は蓋を開けずに
愛情をポットにかけまくっていました。

自分の子どもにかけていた愛情は
(私の思うものとは違っていたものの)
間違いなく本物で
相当苦労もしてかけまくっていたけれど、
私には貯まらなかったわけです。


一方私は子どもを面白がって
基本的には何もしませんでした
たまの軌道修正はするけれど、ほぼ向き合うだけ。

自分にかけられた愛は貯まらなかったから
何が愛かなんて全然わからず
なんとなくかけていただけだけど、
彼のポットの蓋は開いていて
無事に愛が貯まっていたようです。


蓋を開けなかったばかりに、
子どもに向けた愛情の深さは
私が自分の子どもにかけたものより
私の親が私にかけたものの方がずっと深く
量も多かったはずなのに
愛の深さも量も評価されない。

愛は伝わらず
(全部伝わってないわけでは無いけれど)
子ども(私)に恨まれる。

自分の親が気の毒だなあ
と思わなくも無いです。

#とはいえ、やられた方は
#たまったものではなかったので
#真の意味で許せることはないでしょうが


子どもの愛情ポットに愛が貯まれば
子どもにとっての
ハズレが当たりに変わる

それは親の努力次第で
結果は変えられるし変わるということ。

ちなみに愛情ポットの蓋は
年々錆びてきて
開けにくくなることを
私は知っていますw


「親ガチャハズレなんて言わせておけばいい」

そういう意見もあるでしょうが
ハズレの悲しさを知る私は
今日も蓋を磨いて
不用意にポットを傷つけないよう
愛を注ぎたいと思います。

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