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病気だから、障害だから。

こんにちは!

今回は前に書いたことについて、少し詳しく書いていきます。


はじめに。


まず、RiiNaはあまり知られてないのですが、精神障害者一級という手帳を所持しています。突発性てんかんという、今ではどんな病気か知ってる方が多い発作性の障害です。

昔から持っていた病気ではないので、幼少期から発病までは人より多少苦労する子、というだけでした。

今でも、周りの人(職場や友人)は知っている人も多いのですが、取引先や深入りしない相手には教えていません。

普段は健常者と変わらないので、あまり気にはしていないのですが、月1の通院と投薬、万が一の対応は怠っていません。

必ず睡眠時間は4時間を確保して、ストレスを溜めすぎないように、ある程度の余裕を持って生活しています。(これだけ聞くと、普通に健康に気を使ってる人みたいでしょ?)


ですが、障害者というカテゴリーに入っているのは確かで。偏見の目を持つ人ばかりとは言いませんが、そういった方が世間一般的に多いのも事実です。

手術で治る病気でもありませんし、精神面が強ければならない病気でも、治る病気でもありません。

唐突に発作が起き、その発作の危険性から、投薬治療で発作を抑えることしか今は出来ないのです。(RiiNaの場合。他の治療法で治る方もいらっしゃいます。)

そして、完治までがひたすら長いです。投薬で発作を抑え、発作が起きなくなっって3年。そこから投薬をやめ、発作が起きない期間が3年経つと、一応は完治という形になるそうです。


少し話が逸れましたが、、、そんな私でも、自分自身に対して凄い劣等感を抱いています。他の誰よりも自分に対して偏見を持っているという自己嫌悪の塊です。(笑)

人には言った事がありませんが、『どうしてこんな時に発作が』とか、『こんなことで』という意味で、自己否定や自己嫌悪のレールに乗ってしまうと、新幹線どころか飛行機並みに負のゾーンへと飛んでいきます。(笑)

だからこそ、自分のことをよく知らない人、自分のテリトリーに入っていない人に対しては、病気のことを知らせずに接しています。そして、そこからバレたことはありません。そのぐらいには健常者と変わらないのです(笑)


なら、何故隠しているのか。


単純です。

偏見の目で見られたくないから。気を使われたくないから。

たったこれだけです。


自分が自分に対して一番偏見を持っているのにも関わらず、他人にまで偏見を持って接されると、本当に自己否定の枠へと突入するのです。

私の病気を知っている人たちは、内心どう思っているのかは知りませんが、過度な気を使うことなく、ただのRiiNaとして接してくれます。

そして、いつもよりRiiNaの調子が悪いと気付くと、さりげなく休ませてくれる、そんな優しい方達です。

常に『大丈夫?』『RiiNaは病気なんだから』『これは良くないよ、発作起きるでしょ?』等を言われるのが大嫌いで、決めつけんなよと思ってしまう面倒な性格なんですよ。


少なくとも私には意志があり、これをしたい、あれをしたいと思うことだって当然あります。

この調子でやれば、発作が起きるかもしれない。という判断もある程度は出来ます。(突拍子もなく起こる時もありますが(´・ω・`)

発症してからもうすぐ9年?になりますが、それだけの期間、自分が一番病気と向き合ってます。だからこそ、時期的な問題であったり、疲労具合であったりを自分で判断することも出来る様になっていますし、ある程度原因になりそうなものは避けています。

これは多分、健常者の方と同じ感覚でしょうけど。(笑)


例えば。


風邪をひかないようにする事は誰でもあると思います。風邪と発作を同じように考えるなと思う方もいるかもしれませんが。

疲労が溜まってるから、これ以上は休もう。筋肉痛になりそうだから、今日はここまで。この時期は花粉があるから、マスクをしよう。

その感覚と同じなんですよ。

これ以上頑張りすぎると、脳への負担が。この段階まできたら、発作が起きるかもしれないから薬を飲んでおこう。

長年向き合っているからこそ、その判断は自分で出来ます。


ただ、怪我は避けられないもので。怪我をしないようにって構えていても、怪我をすることもあるように、発作が起きないようにと予防していても、発作が起きる時はあります。

人によれば、はた迷惑な話かもしれませんが、知らずに溜まっていたストレスや、体の不調によって引き起こされる発作もあります。

そして、だいたいそうなった時は自己嫌悪に陥ってしまうのですが…(笑)

ただでさえ、自分で一生懸命判断して予防して、対応しているのに、それ以上に過度な気を使われると、ありがたい気持ちもありますが、尚更自己嫌悪に陥ってしまいます。


自分が怒っていないときに、『怒ってる?』と聞かれることってありません?

いや、怒ってないよ?怒ってんじゃん!みたいなやりとりって結構多いと思うんですが、それと同じように、『しんどい?』『大丈夫?』を繰り返されると苛々しますし、自分は大丈夫だと思ってるけど、大丈夫じゃないのか…?という変な思考回路に入ってしまいます。

基本的に、自分からしんどい時はしんどい、無理な時は無理、嫌なことは嫌と言うようにしていますので、それを言ってないときに、『しんどいだろうから、これはやめとこうね。』という判断を他人にされると、は?と不快感を感じます。

子供のようなことを言ってるかもしれませんが、子供ではないので、その選択肢を勝手に選ばないで欲しい。その一心なのです。


健常者と障害者の違い。


私としては、大きな違いはないと思っています。私自身の病気がそう思わせているのかもしれませんが。

母親が障害者の介護をしていたこともあり、接することも多々あったのですが、やはり障害者という偏見よりも、対○○さんという感覚の方が多いです。

健常者の方が普通にできる事に対して、少し過程が増えてしまうだけなのです。

今でこそ、てんかんだけになりましたが、過去RiiNaは話せなくなった事、聞こえなくなった事、見えなくなった事があります。


だけど、気持ち、意志は変わりませんでした。RiiNaという人間は、伝える大変さや見えない恐怖、聞こえない切なさを味わいこそしましたが、人格は同じです。

そして、そういった症状が出た時、私は世間一般で言う健常者のカテゴリーにいました。突発性の精神疾患だったので、長くて半年という期間でしたが、障害認定されないままでしたので、一応は。

身体障害の枠でいうと、半年下半身が動かなくなったこともあります。原因は未だに不明ですが、様々な検査をして、時期が時期だったのもあり研修医さんに囲まれたことも(笑)


確かに苦労はします。気持ち的にも体力的にも、普段なら味合わない辛さがあります。

それでも、私は変わってません。以前より経験をしたな、というだけのことです。

先天性のものでないから、そう言えるんだと思う方もいると思います。私自身も認識の甘さは自覚しています。

ですが、障害者だ、ヘルプマークだとそれだけで畏怖の目や嫌悪の目で見るのは、違うと思っていますし、知らないからこその恐怖というのも分かるのですが、それだけで遠巻きに避けたり、コソコソ言うのは違うのでは?という私個人の考えです。


普通、とは。


すごく哲学的な話になってしまいますが、ならば普通とはなんぞやと。

差別的な視線や言葉を吐く人に多いのですが、『普通じゃない。』という言葉を良く耳にします。

私としたら、ならば、普通ってなんなん??何の枠の中にキミらの普通はあんの?どこからどこまでがキミらの普通なん??

え、思いません?


私の考えでいうと、『普通』って、きっと自分と同じって感覚だと思うんです。価値観にしろ、関係性にしろ、接し方にしろ、私はこれが普通だと思ってる。というカテゴライズに過ぎないと思っています。

国の認識としては、病院で診断をして、病名が出たら、そこから障害者のカテゴリーに入るかどうか。他の人の補助がある方がいいだろうな、そのために国からまずは認識をしておこう。

簡潔に言うと、これに限ると思います。

だからこそ、普通じゃないから!気持ち悪い!ばかみたい!なんていう暴言は違うと思うのですよ。


その価値観の違いを他人に押し付けるみたいで、私は普通はこうじゃん!っていう怒り方はしません。人の話を聞く時も、私の考えやで?私はこう思ったし、こうしてほしいって思うかな?という言葉で返します。

私の価値観、思考では、その言葉、行動は許容範囲を越えているか越えていないか。それで、私の怒りのゲージが上下します(笑)

他人からしたら、RiiNaの日頃の家事量や仕事量も普通じゃないかもしれないし、普通かもしれません。

私にとっての普通と他人にとっての普通って、全一致はしないと思っていますし、全一致した方が怖いです。

病気のことを抜きにしても、過去の私があって今の私にとっての普通という枠が出来ているのであって、それが全く同じ人って奇跡的な数値でしかいないと思っていますし、居たら居たで凄い!とはなるでしょうけど、、、やはり同調して悪影響になりそうで、怖いですね、、、


友人達。


まとまりは既に消え失せているでしょうし、最後にこんなRiiNaの友人で居てくれている人たちのことについても、触れていきます。

恋愛面等は、また後日に。

友人達には本当に感謝しかありません。発症前から友人だった方達が、今でも友人でいてくれること。発症後に病気のことを含めた私を受け止めてくれている人。

そんな人たちに出会えることって、すごいことだなって心から思っています。


もちろん、発症した後に知り合った人、発症した事を知った人で離れていった人もいます。人との関係性を、大事にしている私からしたら、結構辛い事でしたが、  仕方ないなと受け止めています。

私から離れた方もいます。その詳細は別記事になりますが、気持ちを切り替えて、受け止めるしかないのです。

どう頑張っても対人なので、全人類に好かれるなんて思ってませんし、受け止めて貰えるとも思っていません。

この記事をみて、この人ややこしそうだなって思う方もいると思うのです。それもわかった上でこんなに長々と書いているのですが。(笑)


だからこそ、基本的に友人には思ったことをそのまま言うRiiNaを、よく嫌いにならず。なんなら、接してくれるなと。感心すると同時に感謝しています。

最初の方にも書きましたが、私はRiiNaという人間に対して好感は一切持っていませんし、そんなRiiNaに対して好感をもってくれる人達に、どこに好感持ってくれてるんだろ…??という謎は、きっと解明されません。(笑)

だって、自分で言うのもなんですが、、、(自分以外に誰が言うねん。)

疲れたら疲れた、面倒くさい時は面倒くさい。私にとっての認識でしてはいけない事は、だめだと言うんですよ?え、面倒くさくありません??←

そりゃお世辞をいうこともありますし、全てをあけすけに話すわけではありませんが、基本的には友人にそれはしません。(笑)


だいたい、あけすけに話しますし、お世辞も言いませんし。時々、あけすけに話し過ぎて怒られますし、、、(笑)

その上に、病気のことを受け止めてくれて、挙句、遊んでくれるんですよ??本当に感謝という言葉しか出てきません。


さぁ、だいぶ話がバラけてますが、今回はこのへんで。纏まりがなくてすみません。言葉が上手くないので、伝えたいことの半分も伝えられてないですが、また機会があれば、改めて話を纏めてみたいと思います。 

そして、再三書いていますが、全て私の考えによるもので、こうであれという気持ちはありません。私はこう思っています、こうです、ということを書いているだけです。

そこはご理解くださいませ!


それでは。

最後まで読んでいただきありがとうございましたっ(∩´͈ ᐜ `͈∩)♡!!

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