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自覚していないことの厄介(狂気について)

             (約700字)
正気と狂気の差について考えると、そこには
病気を含めないで考えることはできない。

私が一番厄介だと思うのは、多分、精神的な病を抱えているにも関わらず、正気を保っていると信じている人物です。

この人は病院にかかれば精神的な病の名前を医師からもらえるのに、恐らくご自身が病気だという自覚がないーという人物がいる。

母とその病気の人のことを話した。

「病気だから、そういう言動になるのよ。
相手にすること自体が無理なことなのよ」

母は諦めるしかないという。
正気だと本人が思い込んでいる時点で、私たちが出来ることはないと結論が出た。

狂気は、誰の心にも潜んでいる。

それを、閉じ込めておけるのが、人間の本来の生きる道なのだが、時々、病気の人は病気と認定されていない人を理解できない。

人生でやましいことが一つも無い、と言い切れる人がどれだけいるだろう。

何かしらの過去は、大抵の人が抱えて生きている。不幸であったかどうか。辛い人生を送っている人がいらして、私には耐えられない境遇の先輩に会いましたが、正気を保っている素晴らしい人物でした。

それを不幸だと自身が人に触れ回っているうちは、尊敬されることはないのだろう。

「この人を信用できる」と思う瞬間は、その人物が他人の尊厳を守れるかどうか。

私には精神的な病気を抱えていても尊敬できる人物はいるが、そこには思いやりを感じる。
だから、狂気を沈めておける人なのだと分かる。

自分だけが苦労しているわけではない。
不幸だと思うことは、悪いことではない。
24時間、ポジティブな思考で生きる必要はない。
病気を抱えても、卑下することはない。

誰かの声が負の感情を抉り出そうとも、
私たちは強く逞しく生きればいい。

他人を深く理解しようとしないで生きるのは、
悲しいことです。




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