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素直に書けば居場所をなくし、きれい事だけを書くなら書く意味が分からない


             (約1,000字)


「記事を書きません」と書いたのに、
写真記事や有料記事を投稿しました


今年のはじめに北陸地方で地震が起きました


それは、そんなタイミングで

誰もが予想しない天災でした


私が出来ることを考えたら、
富士山の写真を撮ることぐらいでした

誰だって希望を持ちたい 

辛いときには なおのこと。

山の写真で傷つく人はいないでしょう


SNSで傷ついても、誰も守ってくれない

ブロックした人たちが、私の個人情報を晒しても、本人たちは悪いことをした自覚はない

一度晒されたら、回収できません

私はそれでもSNSで書くのをやめませんでした

謝らない人は友達にならないどころか、人として認めません

でも、ブロックしている人が危険な目に遭っていいなんて思いません

そこまで非情ではありません


何かが起きても、私にはどうすることも出来ないけれど。

他人でなくても、自分の大切な家族の個人情報を守らない人はクズだと思っています

大切なことは、誰もが安全に暮らすこと

もし、まだ小さな子どもを持つ親が、
noteに個人情報をのせて、その子どもが成人したときに周りの知らないはずの人が「自分」を知っていたら、怖いと思うかもしれません

それは、個人情報を晒した家族の責任です

愛情は、個人がみせたい感情のエゴとは別の場所にあって然るべきで、秘する感情はSNSで晒さないのが安心や健康を守ると考えます

誰を想うも自由ですが、SNSで大切な気持ちを表さなくても生きられませんか


そして、有料記事のこと。

私の小説を買ってくださった人に、不快な気持ちにさせてしまい、申し訳ありませんでした

私は購入してくださった方を信じます

やはり、SNSで有料にして発信した情報は外に流出することはあるそうです

小説を読んでもらうのは、
私には何よりの生きがいです

月に1回か、2回また有料記事を書くかもしれません

それを非難する人がいても、ブロックしている人に二度と私の小説を読まれたくありません


お金の問題じゃありません

高い金額で読まれるとしても、ブロックした人には読まれたくない

性愛を描いた作品は18歳未満の方の購入はできません

嘘のアカウントを作って、若い人が購入したとしても私には止められません

生きていく上で、自身の倫理観によって人生が作られます

良し悪しは、自分で学び、
言動は自分の責任で生きる

偉そうなことを書きました


ダメな自分は痛いくらい納得しながら生きています


                 ちび蔵





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