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書くことについて📝《その弐》

「書くことについて」を20日くらい前に書いたのだが、もうずっと前に記事をあげていたような気がして読み直した。

そのきっかけは、編集者をやっていらしたnoter、へんいちさんの記事を読んだから。

いつも記事を楽しみにしているnoterさんだから、noteに対する迷いの気持ちがあることが新鮮だった。

〜 なぜ、書くのか? 〜

みなさんが同じように考えることを、私も思うことがある。
ワタシだって、♡をもらえたら嬉しいし、フォローしてもらえれば「やったぁ♪」と人並みに心が躍る。

最近になって、フォローをあまりしなくなったのは、フォローするとそのnoterさんのアイコンに未読の記事があると🔵青丸印がつくからなのである。
そんなコト?と思われるか‥‥

携帯電話のメールで未読があると、件数が表示されるじゃないですか。

私は、未読メールの数字を見るのが苦手で、
何というか「終わっていない宿題の数」みたいに強迫観念の波が襲ってくる。

「まだ読んでないメッセージがあるよ」
「読まなくていいの?」
と迫ってくるかの様に思ってしまう。

10,000件くらい、未読メールがある人を羨ましくすら思う。

気持ちが負けている気がして、フォローを増やせない。
宿題は無いに越したことはない。何百人、何千人もフォロワーがいる人は、そんなことで悩まないだろう。

自由に好きなことを書く、この自由というのは自由だが責任をもって世に送り出している、と自負はある。いちおう。

放った言葉は、ブーメランのごとく自分に戻ってくる。
それは他人の評価もあれば、時間が経ってから自分が感じる羞恥心だったり、反省というもの。
形を変えて「落ち込む」ようなことで。


ヘッダー画像は、死後に評価された画家として有名なゴッホの作品。 

いい評価はされたいけど、生きているうちにしてほしい、と地味に考える。
文章は死んでからパクられても、文句を言いようがない。

生きた表現は、生きているうちに!

悲しいことも、
うれしいことも、
言葉にかえる。

説明なしに
済むものが
ずっと愛される文章になるのかも。


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