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世界一美味しいペペロンチーノ

僕がまだ広島に居たころ、「前菜や」というイタリアンのお店によく行っていた。僕は学生時代、流川という歓楽街の中にあるビアホールで3年間バイトしていた。毎日何百杯もビールを注いでいた。その店のシェフの繋がりで、バイト終わりの深夜からそのイタリアンのお店に行っていた。

とっても気が優しくて人のいいマスターは、若いとき東京の高田馬場の老舗イタリアンで修行をしていたらしい。その当時の僕は、東京なんてほとんど行ったこともなく高田馬場がどういう所なのかも知らなかった。

創作イタリアンの大皿料理がカウンターに並べられていて、カポナータや鶏肉のクリームソース煮、キッシュに牡蠣のオーブン焼きなど、どれもとっても美味しかった。

中でも使い込まれた黒い鉄のフライパンで作るペペロンチーノが一番のお勧め料理だった。もうすっかり常連だった僕は、厨房に入ってマスターがペペロンチーノを作るところをビールを飲みながらずっと眺めていた。熱したオリーブオイルにニンニクと唐辛子を放り込み、アルデンテに茹でたパスタを高温で素早く絡めていた場面が今でも瞼の裏にはっきり浮かび上がる。

あれから20年以上が経ち、僕も東京に出てきて高級店から人気店まで相当沢山のイタリアンに行ったけど、未だに圧倒的ナンバーワンに美味しいと思うのは、前菜やのマスターのペペロンチーノだ。

マスターには、保険の外交員をやっていたとっても陽気な奥さんがいた。たまに店に手伝いに来てたので、僕も仲良くさせてもらっていた。元々スナックのママさんだったらしく、とってもフレンドリーで人情深いので、常連さんはみんなママさんのファンになる。穏やかなマスターに陽気なママさんは、凸凹のブロックがぴったり合うようにお似合いの夫婦だった。

一度、本通りという広島の中心的な商店街通りに、夜自転車で二人乗りをしているマスターとママさんに会った。2人とも熱狂的なカープファンで、その日は今は無き旧広島市民球場で今ほど強くないカープが巨人に大勝ちをしたらしく、酔っ払った2人がカープの応援歌を歌いながらご機嫌に帰宅する途中だった。こういう夫婦も悪くないなと20代の若者の分際で思ったもんだ。

僕が転勤で広島を離れてからも、帰省する度にお店に顔を出していた。それがお店が入っていたビルの老築化に伴って移転することになった。新しいビルのお店に行ったけど、元の趣のある思い出の沢山詰まったお店から、新しいピカピカの店内になって、何だかマスターも居心地が悪そうな感じがした。

それから2年ぐらい経った時だったろうか、知り合いづての風の噂で「前菜や、閉めたらしいよ」と、東京でその話を聞いた。お店の番号しか知らなかったので、その後マスターがどこに行ったのか分からない。

たまに広島に帰省すると、「前菜や」がないことがとっても寂しい。バイト終わりにワイワイ言いながらご飯を食べたこと。どう考えても赤字の飲み放題付き料理教室を開いてくれて、友達と遅くまで騒いだこと。カウンターに入って
殆どスタッフのようにドリンクを注いでたこと。お店がなくなると、お店で過ごした楽しい思い出にまで蓋がされる気がする。

マスター、元気にしてるかなあ。カープが2年連続で優勝しそうだなんてあの頃は夢にも思わなかったけど、もしかしたらまた本通りを自転車で二人乗りしてるかもなあ。

もう一度、あのペペロンチーノが食べたい。

#エッセイ
#思い出話
#広島
#学生時代




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