見出し画像

バカと天才は紙一重【高校1年生秋からキャプテン】



「お前今日からキャプテンやらないか?」

高校1年生9月の大会前に突然監督に言われた

YES or はい

この2択しか選んではいけない教育の元過ごしていたがさすがに悩むような状況と質問ではあったはず

しかし監督からの呼びかけに0.1秒で千葉は
「はい!やります!!」

良く言えば気合いの入った1年生
バカと天才は紙一重

バカだったのか
天才だったのか
その答え合わせは2年後の夏だった



釧路武修館を選んだ理由

少年野球は4年生の終わりに始めた
周りからすると遅い方だった
もちろん試合に出る日もあれば出ない日もある
主力選手とはかけ離れた存在だった

そんな千葉が周りよりも成長するためには部活よりも練習の厳しい硬式クラブチームに所属する必要があった

その中でも人数が多くては試合に出ることも練習量も減ってしまうと考え、石狩のクラブチームに所属した

人数は試合がギリギリできる程度の11人しかいない中
中学1年生の頃、スタメン出場は0
チームで唯一の補欠

そんな千葉が血の滲むような練習をした結果
中学2年生にはレギュラーをつかみ
中学3年生には主将でクリーンナップを打つようになっていた

主将に選ばれた理由は誰よりも負けず嫌いで
下手ではあったが練習では手を抜かず、むしろ
先輩だろうが妥協している人がいれば
叱咤激励するような選手だったからだ

それに技術と結果がついてきたからこその主将だった

そんな千葉がなぜ釧路の高校に行ったのか

そもそも高校は公立高校に行こうとしていた
内心甲子園を本気で目指したいとは思っていたが
4人兄弟の長男で弟たちはまだ小さかった
そんな状況で私立に行き、親に負担をかけたくなかったのだ

クラブチームの監督から進路について聞かれたときに「公立高校で野球やろうと思います。」と言うと監督から
「お前の野球に対する向き合い方は公立に行くにはもったいないぞ。絶対に私立に行け。
そして家からも出ろ。家にいたら弟の面倒を見るなりで野球に集中できないだろ。お金はなるべくかからないよう特待出してくれる高校を探してみよう。」と言われた

まあ行くかどうかは別としていろんなところ見てみるのはいいかな?と思い「わかりました。」と言うと監督がにやにやと笑い始めた。

「お前にとっておきの高校が実はあるんだ。
釧路の武修館っていうところなんだが去年の夏はあと1勝で甲子園てとこまで来ている。
あと1勝するにはお前のような人間が必要だ。
だから一緒に見に行かないか?」

実は監督は釧路出身ということもあり、釧路には思い入れがあったのではないかと思う
地元の高校があと1歩で甲子園
その起爆剤として千葉を送り込もうとしていた

中学3年生の7月に丁度釧路で大会があった
その時に一足先に監督と共に武修館の練習に参加した

練習場について車を降りた瞬間に圧倒された

「おはようございます!!」
誰一人声がズレることもなければ
全員が同じ角度、同じ秒数の礼をこちらに向けてきた

野球を始めたころから挨拶は大きくしてきた
つもりだった
しかし到着数秒足らずで千葉の挨拶意識は
低レベルなものだったと痛感させられた

練習に参加していて高校生の技術の高さはもちろん感じたが
なによりも礼儀や全力疾走等の

人としてかっこいい集団

そこに心が惹かれた

帰りの車の中で監督にどうだったと聞かれ
「ここにします」
即答だった

もう他の高校を見ようとも思わなかった
武修館高校野球部に一目ぼれをしたのだ

夏休みに入る前に中学の進路希望調査があった
武修館と記載すると学校の先生は
「なにしに釧路??」と言ってきた

千葉はその高校で甲子園に行くためだというと
「無理に決まってるべや!笑笑」
と先生に笑われた

その一言がさらに千葉の心に火をつけた
『あ。絶対甲子園行ってこいつにどや顔で土渡してやろう。このやろう。』
と結果で見返すことを心に誓った

そんなこんなで甲子園に行ったことがないチームで甲子園を目指し、自分がその中心にいる中で甲子園に出る

初出場という唯一のタイトルを取るべく武修館に決めたのだ


高校1年生秋からキャプテンになった理由


中学の卒業式も終え、クラブチームの最後の練習日に監督と一つ約束をした

「高校でも絶対にキャプテンをやれ。絶対。
誰に何言われようが気にするな。言われる前からお前がチームを引っ張っていかないと甲子園なんて無理だぞ。
釧路のやつらは生ぬるい。お前が新しい風吹かせるんだ。」

大袈裟だなぁ。なんて思いながらもわかりましたと返事をしその約束を守るべく
釧路へ出発した。

高校入学から半年ほどの記憶がない。
かろうじて1年生の春からベンチ入りはしていたが、生きることに必死で気が付いたら3年生が引退していた

おかしい話だ
野球を必死にやるために釧路へ行ったのに
生きることに必死になっていると誰が想像できただろうか

そんな奴隷のような生活をしていた中
誰から言われたわけでもなく、1年生のリーダーにはなっていた

通常は監督からお前が1年生のリーダーをやれと指名されるのだが、そんなものはなかった

理由は単純明快
千葉が仕切ってどんどん進めていたからだ

もちろん同級生からの陰口は聞こえていた
「なにあいつ勝手に仕切ってんの?」とか

そりゃそうだ
釧路の高校で集まるのは釧路市内の人ばかり
中学で何度も対戦し、選抜などで一緒に野球をやってきた仲間の中に突然石狩から来た異端児が混ざっているのだ

千葉にとってはそんなことはどうでも良かった
親に無理行って本気で甲子園行くために
気にするのはそんなところではないから

クラブチームの監督との約束は守るために
そこだけは頑張っていたのは覚えている

新チームになり最初は2年生の中からキャプテンが選ばれた
その体制で2か月弱練習をしていく中で千葉は
誰がキャプテンだろうと関係ない
良いものは良いし悪いものは悪いという精神で
常に野球に全力で向き合っていた

大会が2週間後に迫った9月のある日
チームの状況は決して良いとは言えなかった
勝ちたい・うまくなりたいよりも
練習を消化することに精一杯になっているような状況

やらされる練習
皆の口から出てくる言葉は大会に勝って甲子園ではなくマイナスな言葉ばかりだった

こんなことをするために釧路にはるばる来たわけではないと嫌気がさしているときに監督室に呼び出された

監督「今のチーム見てどう思う?」

千葉「勝てるチームではないと思います。」

監督「なぜそう思う?」

千葉「勝つために必要なことをやっているのではなく、ただ練習をやらされてしまっているからです。」

監督「そうか。俺もそう思う。」


監督は窓に目を向け、暗い中ランメニューを行っている選手たちを見ながら数秒間黙り込んだ


監督「お前今日からキャプテンやらないか?」

千葉「はい。やります。」

監督「よし。じゃあ一旦選手に集合かけろ。」

選手に集合をかけると監督から淡々と千葉を
キャプテンにするという説明があった

その日はそこで練習が終わりとなり、
帰り支度をする部室は妙に静かだった

そりゃそうだ
2年生からするとキャプテンが下の学年から奪われた

同級生たちはその2年生がいる中でこの話題には触れられない

誰も千葉には声をかけてこなかった

やりますとは言ったもののそこで冷静に事の重大さを実感した

上級生相手に物申さなければいけないのが何よりもプレッシャーだった

不安な気持ちのまま帰ろうとしたときに一人の先輩に呼び止められた

それは副キャプテンの2年生だ

「俺らが不甲斐ないせいでお前に負担かけてごめんな。
でも俺はお前がキャプテンで文句はないよ。それくらいお前は頑張っているし、そこにたいして2年生は誰も文句は言わないと思うし、俺が言わせない。だから千葉は思い切ってやってくれ。ただ、練習中とそれ以外は区分けしような。練習中は何言っても良いけどグラウンドを出れば後輩だ。そこはちゃんとやってほしい。」

この一言で千葉は救われたし、その後の2年間もキャプテンとして頑張れたと思う


答え合わせ

甲子園を目指すために大口たたいて釧路に行き
1年秋からキャプテンとしてチームを牽引した結果

1つ上の代は秋・春・夏と3つの大会すべて
支部予選負けだった

全道大会にすら行けなかった
釧路の中ですら勝ち上がれなかった

引退していく上級生と共に千葉もキャプテンを
引退しようかと思った

バカか天才か
圧倒的バカだった

だけど心の中では自問自答していた

負けたまま終わるのか?
あと1年無駄にするのか?
もうこれ以上落ちることはないんじゃないか?

そして自分の代の練習初日
監督から聞かれる
「キャプテンはどうする。」

千葉は迷わなかった
「僕にやらせてください。」
チームのみんなも賛成だった

捲土重来という言葉を帽子に書いて
毎日我武者羅に野球とチームに向き合った

監督の交代や部員たちのボイコットなど
アホみたいに問題の多かった最後の1年だった

秋・春と全道大会には出場できたが1回戦負け
甲子園に行くためにはあと1大会しか残っていなかった

まったく諦めていなかった
最最後まで甲子園に行くつもりで過ごしていた

そして最後の夏
そのラストチャンスを奇跡的に手にした

入学前にこの高校で甲子園に行く!!と
大口たたいて石狩を出て行った少年は

武修館として初の
釧路として35年ぶりの甲子園に
キャプテンとして出場を果たした

絶対に無理だと言ってきた先生の顔
絶対にキャプテンをやれと約束した監督の顔
大変ではありつつも送り出してくれた親の顔
悲願を託してくれた先輩たちの顔
いろんな人の顔がフラッシュバックした

2年前にキャプテンになった答え合わせ
1年前にはバカだった
しかし最後の最後に天才になったのだ


バカが結局勝つ

最後の最後に甲子園を決めた
2年間のキャプテンとして
酸いも甘いも経験した

運も味方してくれての甲子園ではあったが
結果がすべてだ

結果が出たからこそ言えることではあるが
バカにしか天才にはなれないと思う

高校1年生の秋にまともなやつなら
キャプテンなんてやらない
バカだからやることができた

バカだから2年間も地獄のような高校野球で
キャプテンを続けることができた

バカだったからその過程があり
最後に結果を出した

結果を出したから
天才だなんて言われたりもした

こればどの分野においても共通している

何かに秀でているやつは
大抵頭のネジが数個飛んでる

普通の人から見るとバカに見える
だが結果を残すから天才と呼ばれる

今後なにか結果を出したいと思っているのなら
最優先でやるべきことがある

バカになれ






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?