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【災害は待ってくれない】消防士時代の話

突然鳴り響く警報音

1人。また1人と連動していく音

日曜日の夕方

家族団らんの時を止める音

緊急地震速報だ

幸いにも住んでいる地区は震度が弱く
大事には至らなかった


数年振りに聞くその音で
2つの嫌な記憶が蘇る


①2018年9月6日3時7分

9月4日から5日にかけて
北海道に上陸することはあまりない
台風が上陸していた

数メートル先から先輩が出す声も
強風にかき消されるほどの雨風

三連休初日の夜
9月4日20時に携帯が鳴る

「千葉。休みのところすまない。
災害が多発する危険があるから
署に参集してくれ。」

基本的に非番招集はウェルカムだった
万が一の場面に駆け付けたくて消防士に
なっていたから

結局夜通し出動が多発し
10件以上出動した

屋根が飛びそうになっている家

道路に倒れた木々

崩れた空き家

水没した住居

がむしゃらに出動をしていくうちに
気が付くと空は明るくなっていた

出動報告書をノリと勢いで片付け
家に帰ったのは次の日のお昼だった

用事があり家に帰ってからも寝ることはなく
5日の23時頃に布団と再会した。

9月6日3時7分
いつもと違うアラームで目が覚める

同時に大きな揺れが襲ってくる
間違いなく震度5は超えていると思った

震度5以上の時は必ずすぐに消防へ参集をしなければいけないため、暗闇の中支度をし家を後にした

参集してすぐに市内のパトロール

ブラックアウトによる火災

胆振東部への広域応援援助隊の準備

家に帰れたのは2日後だった
救助隊派遣隊員だったが2日後の朝に
最後の行方不明者が発見されたため
やっと家に帰ることができた

連日の参集や出動による睡魔よりも
家族の安否が気になってしかたなかった

そんな心境の中でも人を助けるために職務を
全うしていくことは本当に辛かった

連絡手段が発達した時代だったからこそ
家族の安否はすぐにわかったのは幸いだ

災害のたび家族よりも仕事になってしまう
職種なんだと実感した

自分の手の届かないところで家族を
失ってしまうのは嫌だなぁ

なんて思ったり

実際に被災して考えさせられた日だった

②突然失うということの傷の深さ

東日本大震災

この災害をテレビ越しに見ていたとき
「将来はこういう時に人を助けられる人に」
という思いで消防士になっていた

消防に入ると東日本大震災の時に
緊急消防援助隊として二日後には現地に
行った先輩と勤務することになった

胆振東部地震をきっかけに市内中学校に
「命の授業」をその先輩とやることになった

その中で東日本大震災についても触れるのだが
先輩が現地に行った際に撮影した

"一枚の写真"

これを見た時に千葉は深く考えさせられた

それは大川小学校で津波に流されてしまった
児童の親が書いた手紙だ

先輩はこの手紙が忘れられないと言っていた
これを見てからずっと
「まだ見つかっていないかな…」と
定期的に調べて気にしていたとのことだ

1年が過ぎた頃
復興状況などを見るための視察に赴いたそうだ

その時に改めて大川小学校へ行くと違う手紙に
変わっていたともう一枚の写真を見せてくれた

この写真を千葉に見せてくれながら
先輩は言った

「大体のことは時間が解決してくれる。
だけど人の死という突然の深い傷は
簡単には癒えないんだと思う。
だからこそ命は大切だし自分が居なくなっても
誰も悲しまないなんてことはないんだよな。」

改めて命の大切さや儚さ
災害の恐ろしさを先輩に教えてもらった

今を大切に

昨日の緊急地震速報を聞いた時に思った

改めて家族や身の回りの人達を大切にしよう

今は災害の時に近くに居てあげられるし
身の回りの人を全力で守ろう

今が当たり前じゃない
思ったことは思ったときに素直に伝えよう

災害は待ってくれない
昨今ではいつ大地震が起きてもおかしくない

この災害の恐怖を忘れてほしくないし
万が一のときは自分の家族は守れるように
できる対策は今のうちにしていてほしい

避難所はどこなのか
家がだめならどこに集合するのか
緊急備蓄品は用意できているか
もしもの時の連絡手段はどうするのか

対策していて損はない
なにもなかったらそれで良い

何もできなくて失うよりは良い

そんなことを思ったので書きました

読んだあなたは準備足りてますか??
不安に思ったなら今すぐやりましょうね



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