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スマートじゃない人生も悪くない

皆さんの人生は"スマート"だろうか?スマートの定義が難しいが、"さまになっている"の日本語が最も近い気がする。

今日、僕はスマートな1日を送る予定だった。算段はこうだ。

特に予定のない土曜日、小鳥のさえずりとともに目が覚める。家にいるにはもったいないほどの晴天の下、先日購入した文庫本を片手に街へ出る。あくびする野良猫に小声で「おはよう」と語り掛けつつ、行きつけのカフェに入店。上品な雰囲気を醸し出す店主と世間話を交わしながらモーニングトーストとブラックコーヒーを嗜む。一回り二回り年齢が上の常連客と本の感想などを語らい合い、日の入りとともに帰宅。

これが僕の思う「スマートな一日」である。さて、ここで僕の今日を振り返る。

特に予定のない土曜日、外を走るトラックの音で午前11時に起床。脳が一切稼働しないなか、ミニオンの書かれたチョコソースを塗りたくった甘ったるい食パンをむさぼる。カーテンを開けるといつぶりかの雨。昨日の夜取り込み忘れた干しっぱなしの洗濯物が湿っていた。なんとか有意義な1日にするため、先日購入した文庫本を片手にカフェを探して家を出る。歩くこと1時間半、「ごめんなさい今いっぱいなんですよ」の声と「本日休業」の無機質なゴシック体に阻まれ、一向にカフェが見つからない。

やっと見つけたカフェは、優しそうなおばあさんが一人で切り盛りしていた。店外に飾られた黒板には「果物屋さんのアップルパイ」の文字。なんだ、良いカフェじゃないか、これで僕の1日も報われる。満を持して注文に向かうとおばあさんから優しくも申し訳なさそうな口調で「ごめんねえ今日アップルパイ終わっちゃたんだよ」と。皮肉なことに僕のバッグの中に入っている文庫本のタイトルは「強運の持ち主(瀬尾まいこ)」。隣の席から聞こえる「コンサルっていうのはぁクライアントがぁ」とかいう中身のない会話をBGMに、アップルパイに想いを馳せながらバナナジュースを飲み干した。

どうだろう、決してスマートではない。スマートな人であれば理想のカフェはすぐに見つかっただろうし、アップルパイも食べられただろう。

小説なら「アップルパイがなかったがゆえの気づきや発見」から物語が広がる予感があるのだろうが、特段なにも学ばなかった。「失って気付く大切さ」とかをなんとか学んでやろうかとも思った。ただ無理があった。アップルパイは失ったのではなく最初から僕の手元になかったのだから。

事実は小説よりも奇ではないし、オチもない。起承転結の起すらない日がごまんとある。今日もそんな日だった。それでも、帰路の僕はどこか満たされた気分になっていた。アップルパイがなくても、なにもないからこそ1日がこんなにも素晴らしい。いつのまにか雨も止んでいた。

…みたいなまとめかたをする人は本当に満たされているのでしょうか。少なくとも僕はアップルパイ食べたかったですし、帰り道も雨は降ってました。日常なんてこんなもんなんです。ただ、このスマートじゃない1日も悪くないと思えるくらいは大人になりました。まだブラックコーヒーは苦くて飲めませんが。


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