皆さんの人生は"スマート"だろうか?スマートの定義が難しいが、"さまになっている"の日本語が最も近い気がする。
今日、僕はスマートな1日を送る予定だった。算段はこうだ。
これが僕の思う「スマートな一日」である。さて、ここで僕の今日を振り返る。
どうだろう、決してスマートではない。スマートな人であれば理想のカフェはすぐに見つかっただろうし、アップルパイも食べられただろう。
小説なら「アップルパイがなかったがゆえの気づきや発見」から物語が広がる予感があるのだろうが、特段なにも学ばなかった。「失って気付く大切さ」とかをなんとか学んでやろうかとも思った。ただ無理があった。アップルパイは失ったのではなく最初から僕の手元になかったのだから。
事実は小説よりも奇ではないし、オチもない。起承転結の起すらない日がごまんとある。今日もそんな日だった。それでも、帰路の僕はどこか満たされた気分になっていた。アップルパイがなくても、なにもないからこそ1日がこんなにも素晴らしい。いつのまにか雨も止んでいた。
…みたいなまとめかたをする人は本当に満たされているのでしょうか。少なくとも僕はアップルパイ食べたかったですし、帰り道も雨は降ってました。日常なんてこんなもんなんです。ただ、このスマートじゃない1日も悪くないと思えるくらいは大人になりました。まだブラックコーヒーは苦くて飲めませんが。