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苦手を克服する事を諦める前向きさを持つ

少しずつ暖かくなってきましたね。

やりたい事が増えてくる時期。
実際私も少しつずやる事が増えてきて、noteをしっかり書くのが難しくなってきています。

何度も書いている通り、私は書くことが苦手です。
1ヶ月続けてもそれは変わりません。

・何を書いたら良いのか。
・どうしたら伝わるのか。
・日本語がおかしいんじゃないのか。
・文脈が唐突過ぎるんじゃないのか。
・語彙力が無さ過ぎて同じような言い回しばかりしている。

こういったいろんな事を考えて、書いては読み直して書き直し。
ずっと毎日これの繰り返しです。

ああ、文章って苦手だ。

そういえば、小学生の時も作文や感想文は嫌いではなかったけど、何を書いていいのか、何が書きたかったのか分からずぐちゃぐちゃな文章になっていたものです。


幼い頃は、こういった苦手な事ができない自分に落ち込む事が多かったです。
できる人を羨んで妬んで、それを考える自分に嫌気がさしたり。

でも苦手は苦手なままで良いと思う。
無理に克服する必要は、だいたい無い。


大人になった今は、こう思うようにしています。

だってさ、これが得意な人だっているんだから。


得意な人は、苦手な人よりもソレに対するストレスは絶対的に少ない。
むしろストレス解消になっている事もある。


そんな得意な人と比べたって、明日から自分ができるようになる訳ありませんよね。


苦手を克服する事を諦める前向きさを持っていても良いんじゃないかな。


そう思うようになってからは色々と考え方が楽になった気がします。

羨んで妬んでいた事は、いつからか純粋な尊敬になりました。


「自分ができない事をしている人たちって超すごい!!!」と心から思えるのは楽しいです。
それを本人たちに伝えると喜んでくれるのもまた嬉しい。


ちなみに私は文章を書く事は苦手ですが、アートは見るのも自分が書いたりするのも好きです。
でも世の中にはそれが嫌いな人、苦手な人もいます。


そんな人には「これはこういう視点で見ると面白いよ!」「時代背景を考えると、どうしてこういう表現にしようとしたか想像してみるといいかも」と言ったりしています。


これは私はアートに対して好きとか得意の気持ちがあるから出てくる言葉です。


けれど文章に対しては"苦手"という意識があるから「こうやって書いたら楽しい!」なんてものは出てきません。


だから続かなかった。
今私が文章を書き続ける理由は、

○自分には"継続力"をつけるため
○他人には、私のしてきた体験を通して理解を広げてもらうため

この2点のためになんとか頑張っています。


文章を書くことを克服するためにnoteを始めた訳ではありません。


毎日の継続を続けるために、この点はブレないようにやっていこうと思います。


ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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