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AX的なもの。 ー「脳が普段と違う回路につながった時の、その感触。」

RaNa extractiveの新規事業「AX」プロジェクトメンバーと対談していくボイスインタビュー。Rexではシニアプランナー、普段はメディアアーティストとして活躍中の魚住勇太さんにお話をうかがいました。(文字起こし&抜粋編集)

即興✕テクノロジーでメディアアートをつくる電子音楽家

魚住さんはAXのプロジェクトの中ではクリエイティブディレクター役で入っていただいているんですけれども、会社での役割以外にもいろんなことされていますよね。

自分が何者かって聞かれるのが、年々辛くなってきてるんですけど(笑)。
大元は電子音楽をやっています。電子音楽というとシンセサイザーで音楽を奏でると思われがちなんですけど、最近はあらゆるものが合体していて、メディアアートとニアイコールみたいな側面もあるんですね。結果的にあらゆるテクノロジーを組み合わせて何か面白い体験を作ったり、それを受けた人に思考を促すような作品を作るっていう活動をやっています。

「即興演奏」ってなかなかサイエンスが入って来にくいバックグラウンドがいろんな事情であったのですが、最近サイエンスの方が柔らかくなってきて。例えば、コンピューターのシステムの考え方、科学そのものの考え方が、もうちょっとふわっとしたもの(複雑に変化するもの)を取り扱えるようになってきたので、その辺を応用する音楽を、研究や作品として作っています。

作品を作っていく中で、即興演奏にテクノロジーを組み合わせる時に映像とかを使い出したんですね。映像を楽譜というか、演奏を引き起こすためのメディア・ツールとして使うようになりました。その結果アルスエレクトロニカというメディアアートの祭典があるんですけど、そこで電子音楽の部門で賞を頂いて。
その繋がりで僕のやってることを知って頂いた人がちらほら出てきて、ラナエクストラクティブもでそこきっかけで知り合って、いろんな楽器作ったり未来の何かを考えるみたいプロジェクトをやってきたという流れがあり、今ここにいます。

電子音楽家としての側面は、詳しくは「SjQ(++)」で検索してください、ということですかね?

そうですね、はい。ありがとうございます(笑)。

アート=脳の活性=「知のヴァカンス」

AXのプロジェクトはラナエクストラクティブの中でもちょっと異質な存在なのですが、魚住さんが大元の発起人?というわけではないんですよね・・・?

最初に京都造形大学(現:京都芸術大学)さんとラナエクストラクティブで何か(産学協同プロジェクトを)できそうだね、という話があったんですね。その中で何をやっていけるかという話をしていた時に、「機能とかこれが便利ですよ、という話の外側にある”未知の体験”とか”未知性”、どう解釈して咀嚼していいか分からないような”新規な体験”が、今後多分価値が増してくるんじゃない?」みたいな話になり、そこで「AX」が出てきた感じです。それはアートエクスペリエンスというべきものではないですか、みたいな話をして。

その「未知の体験」という概念に、アートエクスペリエンスという言葉を命名したのは魚住さんです?

ちょっと記憶が曖昧で・・・(笑)AXって略称をはじめて言ったのは布田くんですかね。

魚住さんはもともと(電子音楽家として)“アーティスト”なわけじゃないですか。自分がアーティストとしての側面もありつつ、アートの冠を持つ「アートエクスペリエンス」という概念を名乗ることについて、どう思ったのかなぁと。ビジネス畑とか広告畑の人が“アート”に対して思う解釈と、ちょっと違う視点があるのではないかと私は思っていたんですけど。

多分そこは、いわゆる純粋にアーティストと言われる人と、広告業界とかでクリエイターっていう人とも僕はちょっと違うところがあって。
ひとつは、自分が大学院の学生の時にメディア表現の研究をやっていたんですけど、そこって本当にいろんな研究者なりいろんなクリエイターが集まっている場所だったんですね。
広告のプランナーもいれば、心理学やってる人もいるし、3Dのグラフィックやってる人やセンサーやってる人がいたりとか。いろんな分野の専門家が集まって、何か新しい未来的なものを作るというのがテーマとしてあって。

で、その人たちの共通言語は何かって言うと、「脳がいろんな外界からの刺激なり、何か入力があった時に、それがどう現象するか」ということ。結局あらゆるものは、脳が最終的に五感とか、あるいはその組み合わせで出てくるものを僕らに体験として見せていると。だからこの世にあるものを、そのまま受け取って僕らは世界を体験してるわけではない、という「現象学」って考え方があって。

脳科学みたいですね。

そうですね。脳科学とか認知心理学とかあの辺の考え方が基本と言うか共通言語なっていて。逆にそこぐらいしかないんです、似たようなことが話せる共通言語が。

で、僕はその考え方でアートも捉えているところがあって。それは他のアートをやっている人から言うと、ちょっと違うんじゃないっていう人もいるかもしれないですけど。
あ、これあれだな先に「AXとは何ですか」の答えみたいになっちゃうんですけど。

言っちゃいましょう!

それは僕は「知のヴァカンス」だと思ってるんです。
「アート」とはそもそも何なのかって考えた時に、造り手の目線に立ってしまうと色んな言い方があるので、簡単に一言でこれですって誰もが通用する表現ってちょっと難しい。ある種思想なので。受け手も、いろんなバックグラウンドとかその人の経験や目線を踏まえるとやっぱりアートの定義って難しくなると思うんですよね。人によって全然違うから。それが掛け算で組みわされるから、「アートとは何か」という定義は無限に生まれるんだけど。
でも脳で起こる反応としては、少なくとも「普段とはちょっと違う体験や違う目線に触れた時の脳の活性」だと思うんですよね。それは何かワクワクする体験かもしれないし、ちょっとした不安かもしれないし、ちょっとした悲しみかもしれないんですけども。

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脳が、普段と違うところの回路がつながって何か感じてる。それがなんだろうかっていうのは普段から離れれば離れるほど一言で言えないものになっていくんですけど、その感触って実はめっちゃ面白いし価値があるんじゃないかと思っていて。

追体験が合理化した世界の中で、どんどんレアになっていくのではないか

ところが、こんだけ世界が合理化されて情報化されていくと、どんどんそれ(「知のヴァカンス」的な体験)がレアになってくんじゃないっていうのが、僕の中にある仮説ですね。

YouTubeで開封動画ってあるじゃないですか。あらゆる商品は、箱を開けた時に(手にとった人にとって)どういう体験になるかというのも商品として設計されてるんですけど、一方で「開封動画」としてそれを買う前に分かるように、追体験できるようにネットに公開しちゃう人がいる。そうなるともう商品を買う行為っていうのは、何か新しいものに触れるって言うより、大概の人って事前に調べちゃうから、これから買うものがどういうものか、人がどう評価していて、「見た情報通りだね」と追体験したいと思って購入する方に変わってると思うんですよね。

うんうん!レビュー見てから買うとか、それが骨頂ですよね。

そうそう。デジャブ感が基本になってるんで、その通りだったら安心して納得する、満足するみたいな。
だけど、もともと「旅」とか「おもてなし」ってそうじゃないじゃないですか。
そこの(未知のものに触れる、体験する)価値っていうのが、むしろとても重要になるんじゃないですか、というのがAXの動機ですね。

よくわからない体験を、よくわからないまま、社会に対して実装していこうというプロセス自体が面白い

AXがどういう風に受け取れられたり、どういう存在になっていろんな人に伝わっていったらいいなっていうビジョンみたいものはあります?

それは面白くも難しい問題で、僕は正直どうなるか誰がAXに反応してくれるかっていうのはまだ分からないと思っていて。その中でみんなで必死に、定期的に作って議論してを今もやっていますが、どっちかって言うと「このもがいていくプロセス」の方が面白いし、(笑)プロダクトとしては読みやすいのかなと思ってるんですね。

何故かというと、(コロナ禍で)これだけ社会情勢が読めないとか、今までやってた通りの方法が通用しなくなっちゃって、むしろ僕らと似たような問題を抱えている人がだいぶいると思うんですよね。僕らがAXを始めてから社会はこの状況になってますけど。

そういう人たちの中に、多分AXのプロセス自体にも興味持つ方がいるだろうと思っています。僕らが、もうそれこそ、「ようわからん、よくわからない体験自体をよくわからんがこれを社会に対して実装していこう!」くらいのかなりふわふわの現状でやってるんで、そこのプロセスにみんな興味を持ってくれるじゃないかっていうのと、そしてその結果出てくるものにも興味を持ってくれたり反応してくれたりする余地があるんじゃないかっていう風に思ってます。

受け取ってくれた人が更に広げていってもらってもいいわけですよね。「AXっていうものが、こうでこうで、こうなります」ってパッケージ化して私たちから受け渡していくというよりは、そのコアのエッセンスを拾ってくれた人によって、どんどん拡張してってもいいみたいな考え方なのかな。

そうですね。
僕、創造的な仕事ってなんだろう、創造的な仕事に就きたいって思ってた時があって。若かりし頃(笑)。
ちょっとクリエイティブになるためにどうすればいいかっていうの考えてたんですけど、最終的には思ったのは「なんでも本気で付加価値について突き詰めて考えるとどんな仕事だってクリエイティブにならざるを得ない」ぐらいに行き着いたんですよ。
そういう意味でいうと、今の状況って誰もがもう普通にやるだけでも結果的にクリエイティブにならざる得ないと思うんで、それでいうと別に業種とか例えば性別とか年齢層とかじゃなくて、今「何かに向かっている人」だったら誰でも反応してくれる余地はあるんじゃないかなっていうように思ってます。

それそのものでしか味わえないもの=ライブなもの、をどう伝えるかが原点なんでしょうね

ただし、AXをどう伝わるものにしていくかとか、どういった方法をすればそういう人に届くかっていうのは、かなりそこは僕らが考えないといけない、知恵を絞りないといけないところですよね。

例えば香水のプロモーションの仕事だとして、香りの良さを現状のWebプロモーションのプラットフォームでは絶対今は伝えられないんですよ。それのもうちょっと抽象度の高い版みたいに思っていて。
私達は半年以上ずっと時間を共有して多分今割と感覚が共有出来てると思うんですけど、人に説明するのに言語化しちゃうとまたちょっと解像度が落ちる気もするし。ビジュアルにしても映像にしても既存のメディアにはまるものに落とし込んじゃっていいのか、みたいなことは、私はどちらかというとプロジェクトの発信係になっているので、それはすごい迷いますね。今伝わる言語にしちゃうとすごく陳腐なものに見えてしまう気がして、それどうしたらいいのかって。

なんか香りって割と音と似てると言われていて。ひとつは形がないじゃないですか、写真とかに撮って伝えられないから言語化するしかないですよね。グラフィックで表現することもできるかもしれないけど、必ず本質的に違う感覚になる。音をやっぱり言葉にするのも、良いものであればあるほどこぼれ落ちるし、香りもそうだと思うんですよね。

僕は「ライブ」って言い方するんですけど。そのものでしか味わえないもの、それをライブだと思っていて、だからそこが伝わんないっていうのはすごい原点なんでしょうね。
そしてそこがスタートラインなんでしょうけど、、そこジレンマですね!仮に最高なものができたとして、それは絶対言葉でも写真でも伝わらないものになるから、今度どう伝えるかという二つ目の問題が発生するっていう。

今いろんなアーティストがライブパフォーマンスが出来なくなって、それで例えば DJイベントをYouTube Liveで配信でやりますとかという動きがあります。それについて誰かがTwitterで言ってたんですけど、本来のDJ パフォーマンスって見てる人が30人でも40人でもその空間の中にいる「熱狂」みたいなのがあって。たぶん人数の多い少ないじゃなくて「そのフロアでどういう空気が出来たか」でDJの腕やパフォーマンスの楽しさがあったはずなんですよね。なのにライブ配信になって変に「今見ている人が何人です」って数字でカウントアップされるようになってから、30~40人だからこそ価値があったものなのに、200~300人見てるものよりもしょぼいみたいな見え方になっちゃってるという。
それってプロの写真家が、インスタが登場して最初にぶち当たった壁と似てるってTwitterで言っていたのを見て、なるほどと思ったんですよね。いいねが多くつくものが、プロの写真家の「一部の人に伝わればいい」っていうメッセージを置き去りにして、数で勝ち負けのように表されるようになってきていると。
なんで今その話したかって言うと、ライブじゃないと伝わらないその感覚みたいなのが「規模は小さいけど盛り上がる場」にはきっとあったはずで、その伝え方のソリューションにあたるものを発見したら、ライブの感覚にもスポットライトが当たるんじゃないかなって思ったという。

全くそうですね。DJは雰囲気を作るお仕事なので「フィードバック」がすごい重要なんですよね。「お客さんは今どんな感じかな」「今ちょっと踊り激しいのかけ過ぎて疲れたから次ちょっと一回引くか」みたいな感じで曲を変えるみたいなね。即興演奏も同じで、フィードバックに影響されることにより、スタート時点でアーティスト本人も考えてなかった展開が生まれてきたりとかあると思うんです。

それがある種ライブの面白さなんですけど、今のオンライン配信はその辺が無いって言うか、そもそもそれを前提に発展してきたメディアじゃないんで、ごそっとないんですよ。だから価値の基軸が数になる。

でも40人しかいないけどすごい濃厚な体験になっていくようなメディアはこれから出てくるんじゃないかなと思う。それは「配信」とかは超えたものかもしれないですが、ゲーム的なものかもしれないし SNS 的なものかもしれないし。
今ちょうどオンラインゆえのフィードバックの無さみたいなことにみんなぶち当たってるところではあるんですけども、必ず超えてくる奴はいるだろうなと思う。
ボルダリングで言うと、「そこは引っ掛けられるところかも」みたいなことを気付けない人は全然登れないでしょ。

そうでうすね、ボルダリングもインスピレーションが必要です!

気付くと、「あ、ここ行って、次右足ここに行って」って進むじゃないですか。その引っ掛かりが見つけられないから、とボルダリングの批判しててもしょうがない。
フィードバックの話もそうで、オンラインだからどうとかって批判をしててもしょうがない。

冒頭で話していた「電子音楽をやりつつ、だんだんサイエンスが柔らかくなって即興性が取り入れられるようになった」という話と、図らずも「コミュニケーションの即興性やフィードバックと人間をつなぐ何か」がAXのエッセンスになるかもなって、思いました。

それは本当にそうですね。創造性そのものに直結する話だと思います。

AX ULTRA LAB

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オフィシャルサイトはこちら。
https://axultralab.jp/

公式noteはじまりました。
https://note.com/axultralab

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