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第125話「たとえ高位魔導師になれなくても」

前回、第124話「別れ」

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 その密談はとある貴族の館で行われていた。

「では法案には反対ということでよろしいですね」

 ヘルドが念押しするように言った。

「ああ、約束しよう。王室にもそう伝えておいてくれたまえ」

 貴族の男はそう言った。

 リンは近くで見ながらヘルドに感心した。

(凄いな。ヘルドさん。ついにエディアネル公以外の貴族を説き伏せてしまった。)

 ヘルドは精力的に政治工作に励んでいた。

 とある貴族を脅し、とある貴族を報奨で釣り、とある貴族をたぶらかして……、兎にも角にも法案に反対するよう同意を引き出していた。

「デーレン公、ヌバラ公、そしてナリア公も我々の側につきました。後はエディアネル公さえ説得すれば評議会を動かすことができますね」

「ああ、そこが最も重要で最も厄介だ」

「何か策はあるんですか?」

「あるにはあるけれどね。今はやめておこう」

「……分かりました」

 リンはヘルドの政治工作を手伝ってかなり深い部分まで関わっていた。

 そのため、どの部分で踏み込んでどの部分で引くべきか感覚的にわかるようになってきていた。

「次、エディアネル公がアルフルドまで降りてくるのは……三日後か」

 ヘルドは学院の書を出してスケジュールをチェックする。

 彼のスケジュール帳には自分の予定だけでなく、主だった貴族達の予定が全て網羅されていた。

 現在、どの魔導師がどの階層にいて、過去のどの時間にどの階層にいたか、そして未来にどの階層に行く予定があるかまで細かく書かれている。

(さすがはヘルドさん。凄い情報収集能力だ。これなら誰と誰が密会してるかまで丸わかりだな)

「とにかく僕達がイリーウィア様からの寵愛を維持するには……そして影の権力者となるにはこの仕事をやり遂げるしかない」

「はい」

「次は、絹を運ぶよ」

「はい」



 二人はいつも通り馬車を乗り継いで郊外の倉庫までたどり着いた。

(もう僕が出世する道はイリーウィア様との関係を維持するしかない。そのためにはこの仕事をきっちりやり遂げないと)

 リンはそう思いながらヘルドを見た。

 リンはヘルドと一緒に馬車に虹蚕の絹を積み込む。

「リン。それは来週出荷する分じゃないか?」

「あ、すみません」

「いいよ。僕がやろう」

 ヘルドは気前よくリンの代わりに手を動かした。

「さ、急ぐよ。そろそろ業者が来る頃だ」

 リンは時計を見てみた。

 針はもうすぐ7時を指すというところだった。

「今頃、イリーウィア様はお茶会ですかね」

 そう言うとヘルドは急にピタリと手を止めた。

 肩をワナワナと震わせ顔を屈辱に歪める。

「ちくしょうが!」

 ヘルドが急に叫んだのでリンはぎょっとした。

「ど、どうしたんですか?」

「どうしただと? 君はなんとも思わないのか? こんなことやらされて!」

 ヘルドは吐き捨てるように言った。

「僕は王室に、イリーウィアに心臓を握られている。生かさず殺さず働かせる駒として丁度いいんだよ。そういう風に扱われている」

 ヘルドは乱暴に木箱を馬車に積み込む。

「やってられないよね。こうして僕らが汗水垂らして、危険な橋を渡らされている最中、あの女はお茶会で優雅にお遊びだ」

 ヘルドは乱暴に馬車の荷物置きの扉を閉めた。

「僕に地位と財産さえあれば、そう地位と財産だ。アルフルドなんかで下働きせずにすむのに。僕には魔導師の才能は申し分なくあるはずなのに。くそっ。学院なんて退屈だ。早くもっと上に行きたいもんだよ」

 リンはちょっと辟易した。

 彼は基本的に好青年なのだが、時折情緒不安定になることがあった。

(いい人なんだけど、これさえ無ければな)

 リンはヘルドの複雑な事情についてなるべく理解しようと思った。

 おそらく貧乏時代が彼をおかしくしてしまったのだろう。

 下手に身分が高い分、困窮生活が堪え難かったのだろう。

 落ちぶれた貴族がさされる後ろ指や、それによって人一倍感じさせられる卑屈さなど初めから身分の低いリンには想像もつかないものだった。

「デュークもデュークだよ。あんな風にクソ真面目に仕事してるから冷遇されるんだ」

「デュークさんがどうかしたんですか?」

「そうか。君はまだ知らなかったね。デュークはもうすぐイリーウィア様のそばを離れることになる」

「えっ? どうしてですか?」

「彼女の気に障ったんだろうよ」

「そんな……」

「笑えるだろ。あれだけ熱心に仕えておきながらあっさり捨てられる。なあどう思うよ君は?」

 リンは曖昧な表情をした。

「まあ、でも仕方ないですよ。デュークさんはイリーウィア様のおかげで今の地位にいるわけですから」

 そう言うとヘルドはピタリと動きを止めて無表情になる。

「なるほど。そういう考えもあるか」

 ヘルドは再び黙々と作業をこなし始める。

 リンも内心ホッとしながら作業を再開した。

 やけに聞き分けが良くてそれはそれで不気味だったが、やたらめったらイライラをぶつけられるよりはよっぽどマシだった。



 王室茶会。

 二人はまたエディアネルの近くのテーブルに赴く。

 彼女を説得できる最後のチャンスだった。

 リンはフローラのことが気になった。

 フローラはまた危なっかしくエディアネルの下で下働きをしている。

「リン。彼女についてあげるんだ」

「いいんですか?」

「エディアネル公の弱みを探るんだ」

 ヘルドはサッと耳打ちした。

 リンの体に緊張が走る。

「じゃ、頼むよ」

 ヘルドはそれだけ言ってエディアネル公の方に近づいていった。



 リンがフローラに近づくと彼女は微笑んで話しかけてきた。

 以前のような人見知りはもうしなかった。

「また来られたんですね」

「うん。ヘルドさんとエディアネル公の話は難しいから。僕にはよく分からないんだ」

「変な方ですね」

「?」

「わざわざ私なんかのために話しかけてくださるなんて」

「そうかな」

「そうですよ。しがない奴隷のためにわざわざ足を運んでくださるなんてあなたくらいですよ」

 リンは曖昧な笑みを浮かべた。

「あ、そうだ。以前、君に聞かれたことだけれどね」

「え、ええ」

 フローラはそのことについて話したくないかのように顔を青ざめた。

 リンは不思議に思ったが、シェンエス先生に教えてもらったことを話すことにした。

 二つのルールに板挟みになるこのは誰にでもあること。

 そのため普段から振る舞いに注意すること。

 特に行為の形式に注意して軽率な行動は避けること。

 リンがそれを教えても彼女の顔は晴れなかった。

「ずっと気になっていたんだけれど、なぜこんなことを知りたいの? 何か問題に巻き込まれているとか?」

「……」

「もしかしてエディアネル公と何かトラブルでも?」

 リンが声を小さくして尋ねた。

「……いえ。違います」

「そっか……」

 リンは彼女が主人をかばっているんだと思った。

 リンは彼女に不思議な親近感を覚えた。

 他人の事情を優先してしまう。

 なんとなく自分に似てる気がする。

(たとえ高位魔導師になれなくても、この娘を救うことくらいなら……僕にもできるかもしれない)

 その日、ヘルドは言葉を尽くしてエディアネル公を説得したが、ついに彼女が首を縦にふることは無かった。



 平民派の集会を前にしてリンは決断を迫られていた。

 もはや万策尽き果てていた。

 イリーウィアも飛行船も用意できない彼に代案は何もない。

 今度こそ、他のメンバーを抑え切ることはできない。

 そうなれば多数決により、彼らの敵とみなす貴族の面々に対して非難決議を採択しなければならないし、リンはそれに協力しなければならない。

 それは貴族達に真っ向から対立することを意味した。

 リンは集会の前にカロと打ち合わせをすることにした。

「どうされました? リン殿」

「実は折り入ってカロさんとお話ししたいことがありまして……」

「ほう。話したいこととは? ようやく貴族と対立することを決心しましたかな?」

 リンはヘルドと一緒に貴族を説得して回ることで政治というものを学びつつあった。

 世の中には変えられないどうしようもないことがあって、みんな何かしらそれぞれに依存しあって、社会は成り立っていること。

 どれだけ偉い人であっても、お互いに依存しあっており、決して簡単にそれまで続けてきたことを変えられないことを。

 そして金。

 政治の背後では目も眩むようなありったけの金が蠢いていた。

 ヘルドの活動だけで一体どれだけの金が動いたことか。

 それゆえに重みがあることを。

(よし。僕は決めたぞ)

 リンは意を決してカロに向き直る。



「は? 今なんとおっしゃいましたかな? 良く聞こえませんでしたよ」

 カロは動揺を抑えるために眼鏡を直しながら聞いた。

 その頰はヒクヒクと怒りに震えている。

「ですからカロさん。僕は集会の代表を辞めようと思います」

「は、はは、これは異なことを。どうしたんですか急に」

「やっぱり一朝一夕に地盤を作るなんて無理ですよ。そういうのは偉い人に任せてもう少し現実的な路線に切り替えましょう」

「政治家の道を進むんじゃなかったんですか。我々が出会った時、立てた志は一体どこに?」

「無理そうなので諦めます」

(この真面目系クズがぁ)

 カロはどうにかこうにかリンの考えを思いとどまらせようとする。

「そんな簡単に諦めちゃダメですよ。一度立てた志でしょう? 諦めずにやり遂げましょうよ」

「カロさん。現実を見ましょう。届かない理想を追い続けても何も掴めやしませんよ」

(ぐっ、喧嘩売っとんのかコイツ)

「じゃあ集会はどうするつもりですか」

「皆さんに任せます。僕は現場から退いて名誉会長となり、集会からは距離をとって皆さんの活動を影ながら応援し、見守ることにします」

「名誉会長って……あんたまだ何の功績も残してないでしょーが!」

 カロはリンを引き止めようと必死に説得した。

 そしてついにしびれを切らして言ってしまった。

「まさかリン殿。あなた平民派を見捨てて貴族派に鞍替えするつもりではないでしょうな」

「貴族派? はて何のことですかな。僕は王侯貴族の特権なんて一度もあやかったことのない正真正銘の叩き上げ魔導師ですよ。工場でせっせと働き、コツコツ貯金して、一念発起して起業し、財を成したにすぎません。貴族派などと言われるいわれは……」

「二枚舌のコウモリ野郎がよく使う手ですよ。対立する双方にいい顔をして間を取り持つようなふりをし、より良い条件を引き出す。我々を焚きつけたのは自分だけ貴族から好条件を取り付けるためだったのではないでしょうな」

「なっ。そ、そんなことするわけないでしょう。耳触りのいいことばかり言って希望を与えてから裏切って絶望に突き落とすような……。そんな……そんなスパイみたいな真似、僕はしませんよ(やったことはあるけど)」

「どうですかな。最近、ウィンガルドの上級貴族、ヘルドとか言う青年と妙に親密にしてあちこち回っているそうではありませんか。一体何をやっているのやら」

(や、ヤバい。ヘルドさんとのことを嗅ぎつけられたら……)

「しっ、失敬な。そんな風に人を疑ぐりの目で。ああ、そうですか。分かりましたよ。あなたがそんな態度で接してくるならこれまでの関係です。私は帰る」

 リンはヒゲを地面に叩きつけ、怒ったふりをしてその場を後にしようとする。

「なっ、ちょっ、ちょっと待つでござるよ」

 カロはリンに半ば抱きつくようにしてその足を止めた。

「ご、ござる?」

「悪かったですよ。とにかく私は格差を是正したいだけなのです」

「……」

「思い出して欲しい。あなたも大変な思いをしてここまで来られたはず。あなたは運良くここまで来られましたが、一歩間違えればいつ貴族の横暴でその志を挫かれていたことか。そしてこれからも才能ある若い魔導師達が貴族のために格差のせいでその志を諦めてしまうかもしれないのです。私はそれをどうにかしたいだけなのです。お願いでござるよ。どうか代表をやめないでいただきたい。今、あなたが抜ければ本当に平民派の未来は潰えてしまうでござるよ。それだけはどうか思い止まってくれでござるよ」

「うう、わかりました。しかし今日はもうこれまでにしましょう。私も妹弟子を迎えに行かなければなりません」

「そ、そうですな。今日はこれまでにしましょう」

 その日、二人はそれ以上話し合わずまた会う約束だけして別れた。

 しかしカロには分かっていた。

 リンが最高魔導人民会議に出席することは二度とないことを。

(よーくわかったでござるよリン殿。あなたを貴族と戦わせるのは無理だということが。こうなったらあなたの影響力で集めた人員の力を最大限に利用させてもらうでござるよ)

 集会の勢いは衰えたものの、いまだにリンに期待して集まっている人は大勢いた。

 人の集まりさえあれば、後は蜂起するのに必要なのは扇動のネタだけである。

 上質な燃料さえ放り込めば後は勝手にどこまでも燃え上がってくれるだろう。

(リン殿。見せてやるでござるよ。どんな大金、どんな権力をもってしても決して止めることはできない、民衆の力を! 人民の怒りを!)



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