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第141話「悪の誘い」

前回、第140話「家族」

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 フローラの裁判が行われた。

 彼女の裁判はアルフルド中で話題の的となり、貧民から富裕な者まで住民という住民が法廷に詰め掛けて彼女にどのような判決が下るのか確かめようとした。

 アルフルドを恐怖のどん底に陥れたこの凶悪犯にどのような判決が下るのか。

 あまりにも沢山の聴衆が訪れたため、裁判所の事務員は入場者を制限しなければならないほどであった。

 入り切らなかった聴衆達は裁判所の周囲に陣取り、ある者は裁判所の周辺にある建物に陣取って、高い場所から見張るようにして裁判所を包囲した。(塔の内部には、雨が降らないのと、なるべく誰でも裁判の経過を見ることができるようにとの配慮から、裁判所の屋根は吹き抜けとなっており、中で何が行われているのか建物の外側からでも一目瞭然になっていた。)

 エディアネル公の屋敷での暴動があった直後だけに、当局は住人達のこの反応を警戒した。

 臨時で剣と鎧を身に付けた兵士が配備され、ハーピーの群れを空に放ち、暴動が起こらないよう万全の態勢で警備が行われた。

 裁判所の周りでは、聴衆と警備員の間で小競り合いが相次ぎ、頻繁に怒声がわき起こった。

 裁判所付近はにわかに物々しい雰囲気に包まれる。

 これらの騒ぎの裏では、カロを始めとした平民派による扇動と手配も一役買っていた。

 リンはいち早く裁判所に駆けつけていたため、どうにか法廷内に入ることができていた。

 法廷の高い座席にはファルサラスもいた。

 それはこの裁判が評議会議員肝入りのものであることを示していた。

 裁判官や検事がこれだけの暴徒予備軍に囲まれても平然としていられるのはファルサラスのおかげとも言ってよかった。

 彼がこの場にいる限り、自分達に危害が加えられることはない、と考えていたのだ。

 とはいえ聴衆の中には『城壁塗装』を塗っていたり、やたら戦闘用の魔道具を装備したりしていて、気に食わない判決が下ろうものならタダではおかんぞという気配を漂わせている者もいた。

 こうして異様な雰囲気の中、フローラの裁判は開始された。



 フローラには弁護士がつけられていなかった。

 奴隷階級の容疑者には、弁護士をつけなくてもよいというのが、アルフルドでの法律だった。

 そういうわけで彼女は罪状を述べる検察に対して自分で異議を申し立てなければならなかった。

 しかし、そもそも彼女は裁判のルールを知らなかった。

 実際のところ、裁判は事実の信憑性と刑罰の妥当性について争う紳士のスポーツだが、貧しくも善良な市民であり偉い人の行う汚いやり取りなど何一つ知らない純真無垢な彼女は、偉い人達は神秘的な力と識見、叡智により全ての事情をつまびらかに知ることができて、どこからともなく公平な判決が降ってくるものだと信じ込んでいた。

 そういうわけで彼女は、検察が罪状をつらつらと述べる間、ただただおどおどと聞き入るばかりだった。

 結局、異議を唱える間も無く検察の陳述が終わってしまい、検察側の述べる事実の一切合切を認めたも同然となってしまった。

 そこに多少の虚偽が混じっていたとしても、誰もそれを咎めることはできないし、法廷で本人が認めたことについては何人たりとも覆すことはできない。

 彼女も彼女なりに陳述の機会を与えられる度に、自分を弁護したにはしたのだが、あいにく何一つ準備もせずにここに来てしまったため、その陳述は終始しどろもどろで一向に要点がつかめない。

 おまけに彼女の言葉は魔法語ではなく、どこの僻地の国とも知れない言語で、魔法語に慣れた塔の住民には聞きづらく、裁判官と傍聴人を非常に苛立たせた。

 そういうわけで裁判官の彼女に対する心象は嫌が応にも悪くなるばかりであった。

 見かねたリンは自分が法廷に降りて行って、彼女を弁護しようかとも思った。

 しかし、隣で一緒に傍聴していたディエネに止められる。

「ダメだ。リン」

「ディエネ。でも……、このままじゃ彼女が……」

「今、君が出て行っても何の助けにもならない。ただ君の立場を悪くするだけだ」

 リンは歯噛みしながら裁判の行く末を見守るしかなかった。

 裁判が進行していくうちに、フローラも遅ればせながら自分の言動が自分の立場を悪くしていることに気づいたが、その頃には裁判は佳境に差し掛かっていた。

 やがて全ての陳述と証拠の提出、尋問が終えられ、裁判官によって判決が申し述べられた。

 彼女にはユインと同じ刑罰が科せられた。

 闘技場にて、魔力が切れるまで魔獣と戦わされた上で、追放に処される。

 この塔において定められた刑罰のうちで最も重い罰であった。

 たむろしていた聴衆達は判決に溜飲を下ろして、特に何も暴動を起こさず解散し、裁判所を立ち去って行った。



 刑罰は異例の速さで執行された。

 判決の三日後にはすぐに彼女への刑を執行する手筈が整えられる。

 裁判の時と同様、闘技場には大勢の人々が詰め掛けた。

 人々は『凶悪犯』に対して罵声を浴びせて、処刑の執行を盛り上げた。

 留置所から闘技場まで連行されたフローラは、戒めを解かれ既に運び込まれていた檻と対峙させられる。

 檻の中にはライオンがいた。

 逃げ場のない彼女に対して、杖が一本投げ渡された。

 とはいえ、これほど馬鹿げた茶番も無かった。

 彼女は杖を与えられても魔法を使うことはできない。

 執行官が形式通り彼女の罪状をつらつらと述べて、処刑が開始された。

 まず、ライオンが放たれる。

 彼女は与えられた杖を抱きしめながら、迫り来る野獣に震えることしかできなかった。

 周りを見回しても助けてくれるものなどいない。

 お腹を空かせたライオンがゆっくりと近づいてくる。

 ふと彼女が観客席の方に目を向けると知っている顔が一つだけ見えた。

 リンだった。

 リンも彼女が自分を認めたことに気づいた。

 彼女の目は助けを求めていた。

 ライオンがフローラに飛びかかった。

「リン。助け……」

 フローラは全てを言い終える間も無く、ライオンの爪と牙によって引き裂かれ、息絶えた。

 歓声が湧き起こる。

 リンは呆然と闘技場を見続けた。

 彼女の死を見届けた係員は、何事もなかったかのように闘技場に設置されたセットを片付け始める。

 それはまるでお祭りの後のようだった。

 ふと、係員の1人が観客に向かって静まるようジェスチャーをした。

 リンは何が起こるのかと思って、闘技場の方を見ると、ファルサラスが闘技場の中央に現れているところだった。

 演壇に登ったファルサラスは観客に向かって演説を始めた。

「アルフルドの民よ。悪は討たれた。これでアルフルドにも平和と安寧が取り戻されるだろう」

 ファルサラスがそう宣言すると、観客は拍手喝采を浴びせた。

 リンには違和感しかなかった。



 フローラの処刑が終わった後、ファルサラスは全ての事務処理と手続きを終えて、500階層に帰還しようとしていた。

「待ってください」

「ん? リンか」

「事件はまだ解決していません」

「なに?」

「この事件には明らかにおかしなところがあります」

「実行犯は裁かれた。主犯と目されるエディアネル公は逃亡した。後はウィンガルド王国の問題だ」

「そんなことありません!」

 リンは珍しく声を荒げて言った。

「……」

「フローラを利用して爆破事件を起こしたギルド。おそらく『マルシェ・アンシエ』は、彼らはまだ塔の内部にいます。事件を二度と起こさないためにも、ここで終わりにせず彼らを追求して……」

「リン。お前は歴史家にでもなるつもりか?」

「えっ?」

「事件の真相がどうかなんて重要じゃない。大切なのは問題を迅速に片付けることだ」

「いや、でも……」

「アトレアから聞いたぞ。塔の頂上を目指しているそうだな。お前は自分のキャリアが大事じゃないのか?」

「キャリア……」

「そう、キャリアだ。リン。キャリアが大事なのならな、余計なことはしないことだ。それが出世する上で大事なことだ。覚えておけ」

 ファルサラスはそれだけ言うと上階行きのエレベーターに乗り込んでしまう。

「待って下さい。ファルサラスさん!」

「よしなさい」

 リンがファルサラスの白いローブに縋り付こうとした時、シェンエスがリンの肩を掴んで押さえた。

「これ以上、500階層の魔導師に物申せば、今度は君が反逆者とみなされかねないよ」

「シェンエス先生……。どうして……」

「ディエネに言われたんだ。今日、彼は用事があるから、代わりに君を見張っていてくれと。ここ数日、君はただならぬ様子で何を仕出かすか分からなかったからね。ディエネのいう通りにしておいて正解だったよ。さぁ。もう警察の真似事はここまでだ。こっちに来なさい」

「でも……」

「いいから。こっちへ来るんだ。さあ」

 シェンエスはリンを無理矢理控え室まで連れて行った。

 ファルサラスを乗せたエレベーターは500階層まで発車してしまう。

 リンはシェンエスに引っ張られながら、ファルサラスが上階へ行くのを黙って見ていることしかできなかった。

 シェンエスはすっかり動揺しきったリンを闘技場の控え室まで連れて行って椅子に座らせた上で、部屋の扉に鍵をかけた。

 リンはしばらくの間、ぼうっとして部屋の一点をずっと見つめていたり、弾かれたように立ち上がったり、部屋の中をウロウロしたりと落ち着かない様子でいた。

 シェンエスはリンが落ち着くまで辛抱強く待った。

 控え室に入って1時間ほど経った頃、リンはようやくシェンエスの方を向いた。

 まるでそこにいるのに今気づいたかのようだった。

「シェンエス……先生……」

「ようやく落ち着いたかい?」

「どういうことですか。みんな。根本的な問題は何も解決されていないっていうのに。何も解決されていませんよ。なのになぜみんなもう事件が終わったかのように……」

「ふむ。納得できないか」

 今度はシェンエスが落ち着きのない態度を取る番だった。

 部屋を行ったり来たりする。

 少し部屋を歩き回っては、俯いたり、天を仰いだりといった行動をしばらくの間繰り返した。

 リンは不思議そうに彼の方を見た。

 そうしてようやくシェンエスは口を開いた。

「君になら私の考えを話してもいいかもしれないね」

 彼は迷っていたことをようやく決めるように重い口を開けて話し始めた。

「君は何か悪さをして、処罰を受けたことがあるかね」

「ええ、それはまあ。先生に怒られたくらいなら」

「そのとき思わなかっただろうか。『なぜ自分が』と。あるいは『なぜ自分だけが』と。そして『他の人間も同じようなことをやってるじゃないか』と」

「まあ、そう思わないこともないですが……。でも、それは……」

「その直感は正しい。なぜなら処罰が公平に下されることなどあり得ないからだ」

「なんですって?」

「処罰のない法律なんて誰も守らない。それゆえ国家は民に法律を厳正に守らせようと処罰をもってして正義を示す。しかしここに厄介な問題がある。国家の法律には必ず抜け道があるということだ。様々な実務上の矛盾に加えて、究極的にはバレなければ処罰を免れることができる。どれだけ厳重に犯罪を取り締まり、どれだけ処罰を厳罰化しようとも、抜け道は生まれる。なぜなら法律というのは実施される前に必ず内容が公布されるものだからだ。何をすれば捕まり、何をすれば捕まらないかはっきりと示される。逆に言えばそれはどのようにすれば悪事を働いても見逃されるか明らかにしているようなものだ。それゆえ実際には、法律に疎い犯罪者ばかりが捕まって、法律に詳しい犯罪者はどれだけ悪事を犯しても捕まらないのだ。こんなことは国家を支配する者ならわざわざ言われなくとも当然知っている。しかしそれを下々の者に知られては困る。国家の中枢に居座る者が実は、全員犯罪者とその子孫ばかりだと気づかれては困る。そこで捕まった間抜けな犯罪者を定期的に晒し者にすることで法律が機能しているかのように見せかけるのだ」

「そんな……そんなこと……」

「そういうものだよ。正義とは悪を裁くためではなく、生け贄を捧げるために掲げられるのだ」

「……」

「政治家や支配者、彼らの言う問題が解決したというのはすなわち、不平不満、文句を言う人間がいなくなったということだ。生贄を全て片付けてね」

「……」

「私のような立場の人間がこういうことを言うのもなんだがね。政治や法律に救いを求めるのはやめたまえ。政治家や支配者と呼ばれる者、問題が起こった時彼らにできるのは、問題を解決することではなく、誰が生贄になるか選ぶことだけだ」



 リンは闘技場からの帰り、心ここに在らずといった様子で歩いていた。

 人々は数日前までの爆弾騒ぎなど、どこ吹く風で平和を満喫していた。

 あちこちの店からは笑い声や冗談を飛ばす声が聞こえてきて、今日という日をつつがなく終えた事を祝い合っている。

 リンは彼らの陽気な声をなるべく避けたくて、人通りの少ない道を選んで歩いた。

 そうこうしているうちに人っ子一人いない路地裏へと入ってしまう。

 すでに太陽石の光は弱まっていて、あたりには夜の帳が降りていた。

 リンは一人トボトボ、誰もいない道を歩き回っていたが、不意に上から声がかけられる。

「どうしたんだ? そんなにしょぼくれて。あまり夜道を歩いていては危ないよ。爆破事件の首謀者も捕まっていないというのに」

 リンが声の方を仰ぎ見ると、そこには屋根の上に登ったルシオラ、フォルタ、ウィジェットがいた。

「いかがだったかな我々の見世物は? 少しは楽しんでいただけたかね?」

「お前ら……」

 リンは眦を吊り上げて彼らを睨みつける。

「苦労したのよ。フローラに私がエディアネル公だと思わせるの」

 ルシオラは顔の周りを撫でて見せる。

 すると彼女の顔はエディアネル公になった。

 もう一度撫でると元に戻る。

「ミスリルの爆弾でこれだけの騒ぎが起きた以上、法案の改正は頓挫するだろう。法案の改正にはミスリルの生産自由化も含まれていたしね。エディアネル公も失脚してもはや法案改正を推し進める人物もいない。事実上改正法案は潰れたことになる」

「むしろ塔の階層間の規制はより強くなるだろう。俺達への仕事は増えるばかりだ。法律の網を抜けて稼ぎたい貴族達は俺達に頼る他ない」

「なんでフローラが罰せられて、お前達が罰せられないんだ」

 フォルタは冷めた目でリンを見下ろした。

「知っているよ。生贄を捧げればいいんだろ? それさえ怠らなければ、陰でどれだけ悪事を働いても許される。生贄さえ捧げれば、それで善人共は溜飲を下ろし、安心する。法律は、治安はきちんと守られていると思い込む」

「お前達善人がルールを守るのは正しい行いをしたいからじゃない。不安だからだ!」

 ウィジェットが弾劾するようにリンを指差して言った。

「……っ」

「あなたも同じよね。リン。不安は抱えたくない。だから間違ってると分かっていてもフローラを助けなかった。そうでしょう?」

「違う。僕は……、僕は……」

 リンは勇気を振り絞って戦おうとした。

 指輪に光を集めようとする。

「やめておきたまえ。我々に手を出せば今度は君が生贄になる番だよ」

「それよりもどうだい? 俺達と友達にならないか?」

「何?」

「我々は君のことを注意深く観察してきた。その結果、確信したよ。君に魔導師の才能はない。しかし悪人としての才能なら一流のものを持っている。我々は君を不安を売る者(マルシェ・アンシエ)に招待したい」

「!?」

「自分に魔導師としての才能がない事は薄々感じているんでしょう? 悪人として身を立てた方が出世できるわよ。私たちと仲良くなりましょうよ。不安から逃れる方法を教えてあげる」

「何も罪悪感を感じる必要はない。悪事を働けるのは、優秀さの証なのだ」

「そんな……そんなことが。許されるわけ……」

「実際に許されている。貴族達だって似たようなことをしているじゃないか。善良で無知な人間に法律を守らせ、場合によっては法文に書かれていないルールさえも守らせて、支配し、搾取し、金を巻き上げている」

「あなたも貴族と付き合ってきたなら知っているでしょう? 貴族達がどれだけ狡い事をしてお金を稼いでいるか」

「俺達よりちょっとばかし上品なだけだよ」

「どれだけ搾取されても、善良なる者達は決して逆らうことはできない。支配者に都合よく作られたルールを従順に守り続ける。誰だってルールを破って仲間外れにされるのは怖いものだ」

「リン、人間は不安に弱い生き物よ。ちょっと不安を煽ればあっさり本質を見失うわ。不安から逃れるためならお金も尊厳も投げ捨てて、私たちの前に跪く人たちが大勢いる。それが素晴らしいビジネスになるの」

「我々と一緒に塔の上層を目指そうじゃないか。我々と組めば君でも500階層の魔導師に、評議会の議員になることもできる。君はどんどん正義を掲げて、どんどん悪事を働けばいい。我々は君のために生贄を用意し続けよう。そこには輝かしい未来があるだろう」

「だからって、……だからって何もわかっていない子供を操ってテロ行為をさせるっていうのか! そんなこと……」

 リンの指輪が強い光を発する。

「そんなこと、これ以上させはしない!」

 光の剣が3人に向かって放たれる。

 その剣は彼らに届くことなく、あっさりと打ち消されてしまう。

「バカなやつめ。我々に刃を向けたこと、後悔することになるぞ」

「楽しみだわ。あなたがそのちっぽけな才能でどれだけ苦しむことになるのか」

「リン。これだけは覚えておけよ。お前は俺達と同じだ。真っ当な道を進んで報われることはない」

 それだけ言うと3人は闇の中へと姿を消した。



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次回、第142話「王宮のルール」

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