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第127話「精霊縛りの印」

前回、第126話「ユインからの指令」

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 フローラは魔導師協会の人間に話しかけた。

「もし。そこのお方」

「ん? 何かね?」

「あなたは立派な身分の公明正大な方とお見受けします。お聞きしたいことがあります、主の命令を破った奴隷はどうなりますか?」

「そりゃあ罰を受けることになる。主の命令を全うするのが奴隷の務めだからね。主に逆らえば最悪死刑もありうるよ」

「そうですか。やはりそうですか」

 フローラは答えが予想通りでガッカリした。

 肩を落とし、トボトボとその場を立ち去る。

「なんだありゃあ?」

 警官は不思議そうにフローラの後ろ姿を見送った。



 王室茶会。

 リンは青ざめながらイリーウィアに挨拶する列に並んでいた。

 肩にはユインの使い魔であるコウモリが止まっている。

 人々はリンの新しい妖魔に少し目をとめながらもさして気にする風でもなく通り過ぎていく。

(来るな。来ないでくれ)

 リンは自分の番が来ないよう必死に願いながら前に進んでいく。

 リンは願いながらも昨日のユインとの打ち合わせを思い出す。



「いいか。君の仕事はどうにかシルフにこの印を押し付けることだ」

「これは……」

「私が開発した印鑑だ。精霊や妖精にも押し付けることができる」

 リンは印鑑を手にとってまじまじと見た。

 印鑑の握る部分は何の変哲もない木製だが、押し付ける部位は透明で薄ぼんやりとして、靄のようになっていた。

「このぼんやりしている部分、これは……精霊?」

「いかにも。実態のない精霊にインクや焼印で魔法陣を刻むことはできない。精霊に触れられるのは精霊だけだ。その印鑑の先についている精霊は押し付ければ対象に付着して、魔法陣に変形する」

「……」

「精霊がシルフに付着した後は、魔法陣となって、速やかに生贄魔法が発動される。君の仕事は召喚された黒竜を私の所まで引き連れて来ることだ」

 ユインは紙切れを取り出してリンに渡す。

「これが召喚された黒竜を縛るための魔法陣だ。今の君なら指輪魔法を使い一瞬で展開することができるはずだ。できるな?」

「でもシルフに気づかれるんじゃ」

「大丈夫だよ。シルフには目が見えない」

「? どういうことですか? だってシルフは……」

「シルフは盲目の代わりに心の眼を持っている。人間の思考を読み取る力だ。イリーウィアはその力を使って茶会に来た家臣達を監視している。誰か自分に敵意を持つ者がいないか。あるいは誰と誰の仲が良く、誰と誰の仲が悪いかなどね」

「でもそれならなおさらシルフをごまかすことはできないんじゃ」

「それも対策がある」

 ユインはリンの胸元に杖の先を向けると心臓に向かって押し付けた。

「っ」

 リンの左胸に魔法陣が広がり、どこからともなく現れたコウモリがリンの肩に止まる。

「精霊の力を弾く魔法だ。これでシルフといえども君の心の声を読むことはできない。そしてさらに……」

 ユインはさらに魔法陣を広げた。

「ダミーの思念を発生させる魔法だ。そのコウモリが君の思念を取り留めのない思考に書き換える。これでシルフが君の敵意に気づくことはない」

 リンはコウモリと自分が繋がれるような感覚に襲われた。

 魔獣の森でイリーウィアやアトレアと感覚を共有したあの時と同じ感覚だった。

「ただし、あまりに長くシルフと接触してはダメだ。奇妙なことに気づかれる。君はシルフに接触し過ぎないようにしつつ、彼女に魔法陣の印を押し付けなければならない。無論なるべく誰にも気づかれないようにだ」



 リンはゴクリと唾を飲んだ。

(上手くいくのか)

 リンはポケットの中に入れた印鑑を握り締めながら先にいるイリーウィアに目を向ける。

 シルフは今のところ彼女の周りから動かず大人しくしている。

 精霊魔法の単位を受講したリンには気配を消している状態のシルフでもはっきりと目に見えるようになっていた。

 イリーウィアはいつものように列を捌きながら自分の側に座らせる者を選んでいく。

 リンはイリーウィアの側に行けることもあれば、彼女に大事な客が多い時は側にいれないこともあった。

 彼女の近くの席にはまだ席が三つ空いている。

 リンは自分の前に並んでいる人物を見てみた。

 イリーウィアにとって自分よりも大事な客がいないかどうか。

 一人はアイシャがいた。

 彼女は上級貴族だし、イリーウィアにとってお気に入りの一人だから省かれることはないだろう。

 もう一人はヘルドがいた。

 彼もアイシャと同様の理由で省かれることはない。

(あと一人。あと一人誰かいないかな)

 リンは祈るような気持ちで前の列を眺めた。

 もし誰か前にいたならリンは省かれることになる。

 側に近づくチャンスが無ければユインへの言い訳が立つ。

 とりあえず計画は先送りになる。

 そんなことになってもただの時間稼ぎだということはリンにも分かっている。

 しかしそれでもまだリンはイリーウィアとの関係を終わらせたくなかった。

 まだ彼女の側にいたかった。

「あら? あなたはアラムではありませんか」

 イリーウィアがとある貴族の子弟に声をかける。

 リンと同年代の子だった。

「マグリルヘイムに選抜されたそうですね」

「はい。イリーウィア様に知っていただいているとは。恐縮です」

 彼は恥ずかしそうに言った。

「ではこちらへいらして」

 イリーウィアは自分の近くの席へと招き寄せる。

「いいんですか?」

 彼は顔を明るくさせて期待に満ちた表情を浮かべる。

 リンもそれを見て明るい気分になった。

 これなら自分は弾かれるかもしれない。

 いくらイリーウィアとはいえ流石に一度座らせた者を立ち退かせるなんてことはしないだろう。

 リンの胸に希望が湧いてきた。

 やがてアイシャとヘルドも順調にイリーウィアの席に座る。

 リンの番になった。

「まあ。リン。いらっしゃい」

「いつもお招きいただきありがとうございます」

 彼女はいつも通り、一旦リンを自分の目の前の席へと誘った。

「あなたのことを待っていました。ユヴェンさんも 」

「どうも。ありがとうございます」

 ユヴェンはにこやかに答えた。

「何か変わったことはありましたか?」

「いえ、特には」

「ふふ。最近は授業で毎週のように会っていますものね」

「……今日は席が空いていないようですね」

 ユヴェンが不服そうにイリーウィアの周囲を見回す。

「本当ですね。では今日は少し残念ですが遠くで楽しませていただくほかありませんね」

 リンが慌てて取りなすように言った。

「いえいえ。貴方のように大事なお客をそんな風に扱うわけにはいきません。……そうですね」

 イリーウィアは周囲の人物を見回す。

 周囲に緊張が走った。

 自分が席を立ち退かされるのではないかと恐れて。

「デューク。貴方がお退きなさい」

 イリーウィアが冷ややかに言った。

 彼はイリーウィアに最も近い隣の席にいた。

「は。かしこまりました」

 デュークは毅然とした態度で立ち退く。

 しかし悔しさは隠しきれないようで、ついつい早足になってしまう。

(そんな……)

 リンは青ざめた。

 それまでデュークの座っていた席にはヘルドが座り、ちょっとした席交換が起こる。

 政治的な意図も含んだ席交換だった。

 いずれはヘルドがデュークの後釜に着いて、王室の裏の部分一切を取り仕切るようになるだろう。

 人々はそう受け取った。

「リン。あんたはこっちよ」

 アイシャが手招きする。

 リンはアイシャやアラムなど軍属系の貴族の席で固まって座った。

 ユヴェンはいつも通りリンのオマケのように隣の席にちょこんと座る。

 ユヴェンは座った途端意地悪な笑いをもらす。

「プッ。あのデュークって奴、イリーウィア様に冷遇されてやんのー。ザマァないわね」

 トボトボと隅っこの方に追いやられているデュークを見ながらユヴェンはリンに耳打ちした。

 彼女は初めてここに来た時、ユインに冷たくされたのを根に持っているのか、あるいはリンの序列が繰り上がりそうなのを喜んでいるのか、愉快そうにした。

 しかしリンはそれどころではなかった。

 これでシルフに接触するチャンスは増えてしまった。

 リンの肩に止まっているユインの使い魔は、彼が任務をサボりはしないかどうか見張っている。

 リンはシルフの方を誰にも気づかれないようにチラリと見た。

 シルフは取り留めもなく漂い、人々の噂話に耳を傾けている。

 シルフは会場を不規則ながらも満遍なく回っている。

 しかしやがてはこちらに来るはずだった。

 リンは覚悟を決めなければならなかった。

 確かにバレればここには2度と来れないだろう。

 しかし塔を追放されれば、テオやユヴェンとさえ会えなくなってしまう。

(やるしかない!)

「やあ。リン。僕はアラム。よろしくね」

 イリーウィアの取り巻きとしては新顔のアラムが気さくにリンに話しかけてくる。

 彼はリンに思うところは特にないようだった。

「ど、どうも」

「リン。アラムは下級貴族だけれど、ウィンガルドで代々軍属の家系よ。将来、あんたと仕事することもあるでしょう。仲良くしときなさい」

 アイシャが言った。

「『杖落とし』での武勇は聞き及んでいるよ。スピルナの上級貴族に傭兵の戦い方で立ち向かったとか」

 ひとまずアラムがリンを立てるように話題を振った。

「え、ええ。まあ」

「大胆なことをするね。一体どうしてそのようなことを思い付いたのかじっくり聞きたいな」

「い、いやー。友達の知恵を借りただけだよ」

「またまたご謙遜を」

「い、いやーそうかなぁ〜」

 リンは気が気ではなかった。

 今にもシルフがこちらに来そうな気配を見せていた。

 妖魔がリンの肩に乗りながら爪を食い込ませた。

 いよいよという合図だった。

 誰にも気づかれないようシルフに印を押し付けるには、なんとかみんなの注意を逸らさなければならない。

 ユヴェンが怪訝そうな顔をする。

「ちょっとリン。アラムさんがせっかく話しかけてくださってるのよ。ちゃんと受け答えしなくっちゃダメじゃない」

「え、えーと。アラムさんはマグリルヘイムに入団されたんですよね」

「ええ。〜の授業での功績が認められて」

「へえ〜。そうなんですね」

「そういうリンも以前は入っていたんだろ?」

「いやあ。僕はすぐクビになっちゃって。すごいなぁ。アラムは」

「そうよ。アラムはすごいんだから」

 アイシャが受け継いで話を続ける。

 アラムの経歴についての話が始まった。

「みなさん盛り上がっているようですね」

 イリーウィアが挨拶を終えてこちらにやってきた。

「イリーウィア様」

 同時にシルフも漂って来る。

 イリーウィアはいつも通りリンに向かって優雅で慈愛に満ちた微笑みを向ける。

 リンは心が痛んだ。

 彼女の微笑みは、そのためならなんだってできる、そう思わせるほどかけがえのないものだった。

 しかしそれでもやり遂げなければなければならない。

 さもなければ全てを失ってしまう。

 シルフがリンの傍に漂ってくる。

 印を押すチャンスだった。

(どうする? どうにかしてみんなの注意をシルフから逸らさないと)

 その時、リンの胸元からレインが、イリーウィアの元からカラッとが飛び出した。

 二匹はいつも通り再会を祝して、鼻を擦り合わせる。

 席にいるみんなの視線が二匹のペル・ラットに集中する。

 リンはその隙にシルフに印を押し付けた。

 シルフは少し反応したものの、リンが押したことには気づかず、首をかしげるだけだった。

「この二匹はイリーウィア様とリンが一緒に魔獣の森を探索している時に捕らえたんですよね」

 アラムがイリーウィアを、次いでリンの方を向きながら聞いた。

 リンは印鑑をポケットの中にサッと隠した。

 シルフに目を走らせるが、特に異変はなかった。

(生贄魔法が発動しない……。失敗した?)

 とにもかくにもリンはユインからの任務を全うした。

「ええ、そうなんですよ。あの時のイリーウィア様にはお世話になりました。まだ初等部だった僕にとても優しくしてくださって……」

 任務を終えたリンはその解放感からか急に饒舌に喋り始める。

 帰り際、リンはしれっとした顔でアラムと今度、彼の屋敷で一緒に訓練することを約束した。

 まるで共にウィンガルドの将来を担うもの同士であるかのように。



 リンはその後、周囲の人間の顔色を一通り伺ってみたが、誰一人としてリンの犯行に気づいているものはいないようだった。

 リンはほっと胸をなでおろす。

 しかしその実、遠巻きにこちらの様子をずっと見ていた者が一人だけいた。

 デュークだった。

(気のせいか? 今、リンが何かシルフに押し付けたような……)



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次回、第128話「交換条件」

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