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第142話「王宮のルール」

前回、第141話「悪の誘い」

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 フローラの処刑が終わって数日後、リンは逮捕された。

 容疑は民衆扇動の罪だった。

 件くだんのエディアネル公の屋敷襲撃事件において、捕まった多くの者が平民派の集会に所属する者達だったので、そのリーダーであるリンが首謀者と目されたのであった。

 リンは大人しく訪れた警察の取り調べに応じ、連行され事情聴取を受けた後、拘禁された。

 こうしてリンが当局に囚われている頃と時を同じくして、ヘルドはイリーウィアの私邸に呼ばれていた。

 彼の目の前には王族用の豪華な椅子に座って視線を膝に落としているイリーウィアと、その隣に憮然として立っているデュークがいた。

 3人以外のいかなる召使もその部屋から追い出されて、いかにも秘密の重大な話が行われるといった様子だった。

「どういうことだ」

 デュークは開口一番言い放った。

「なにがです?」

 ヘルドはニコニコしながら答える。

「とぼけるな。エディアネル公のことだ」

「ああ、あのお方も気の毒でしたね。まあでも仕方ないですよ。爆破事件の主犯に塔への反逆だなんて。いくら大貴族だからってシャレになりませんよ。ただ、こう言ってはなんですが、我々にとっては都合が良かったのではありませんか? エディアネル公とは改正法案を巡って対立していましたし……」

「そんな戯言で我々をごまかせると思っているのか?」

 デュークはその厳しい表情を一切崩さず言った。

 流石のヘルドも軽薄な笑みを引っ込める。

「マルシェ・アンシエ……」

 イリーウィアが静かにその名を呟いた。

 ヘルドは特に何の反応も示さず、彼女の次の言葉を待った。

「エディアネル公が懇意にしていたギルドを裏から操っていたギルド……、それをさらに裏から操っていたギルド。このように深く辿っていくと彼らの名前が浮かび上がってくるのだそうです」

「なるほど。それでそのギルド『マルシェ・アンシエ』がどうしたというのです?」

「ヘルド、宮廷と上級貴族達はあなたと、そして私に対して疑惑の目を向けています」

「私とイリーウィア様に?」

「今回の事件を不審に思った評議会議員の一人が身内に裏切り者がいるのではないかと疑い、徹底的に調べたそうだ。そしてお前とマルシェ・アンシエの幹部の一人の行動に奇妙な一致があることを嗅ぎつけた」

「なるほど。それで私が疑われているというわけですか」

 ヘルドはやれやれといった感じで言った。

「貴様、分かっているのか。これがどういうことか。お前とて王宮のルールを知らないはずはないだろう」

 デュークがいつまでも煮えたぎらない態度をするヘルドにイライラとした調子で言った。

「ええ、もちろん。弁えておりますよ。何人も王宮の連帯を崩すことは許されない。例え王族であっても……」

「そうだ。だが連帯を崩すようなことが起こってしまった。もし本当にお前がエディアネル公を、姫様の側近であるお前がエディアネル公を陥れたとすれば……これは大問題だ。事と次第によってはイリーウィア様の王位継承問題にも関わりかねんぞ」

「それは確かに一大事ですね」

 ヘルドは他人事のように言った。

「お前。事の重大さが分かっているのか!」

 デュークは詰問するように言った。

 それはヘルドのことを心配しているとも、責めているとも取れる言い方だった。

 ヘルドはチラリとイリーウィアの方を見た。

 彼女は膝の上に座るカラットの背中を撫でながら、退屈そうにしていた。

(流石に助けてはくれないか。だが、まだ確かな証拠は揃っていないはずだ。なら、申し開きはいくらでも出来る)

 ヘルドは急に真剣な顔になってデュークの方に向き直った。

「分かっているのか、ですって? もちろん分かっていますとも。しかしこれに関しては私も被害者と言わざるを得ない」

「……? どういうことだ?」

「私もエディアネル公の一連の事件、不審に思っておりました。もしや、我々の側そばにエディアネル公を陥れた人物がいるのではないかと。そこで独自に調査した結果、一人の人物に辿り着きました」

「つまり、ヘルド。裏で糸を引いていたのはお前ではない。そういうことだな?」

 デュークが念を押すように言った。

「ええ、もちろん」

「では一体誰が?」

「マルシェ・アンシエなるギルドと結託し、エディアネル公を陥れた真犯人。それはリンです」

「なんだと?」

 デュークは絶句した。

 イリーウィアのカラットを撫でる手が止まる。

「バカな。リンを監督していたのはお前だろう? そんな言い訳が通用すると……」

「もちろん、リンの監督不行き届きは私の不徳の致すところです。しかしイリーウィア様も認め、可愛がられていた魔導師。まさかあのような闇を抱えているとは誰が予測できましょう?」

 ヘルドはいかにも物憂げに言った。

「リンがエディアネル公を陥れた。……根拠はあるのですか?」

 イリーウィアが静かに、そして問いかけるように言った。

「は。例の爆破事件の実行犯であるフローラなる少女。彼女がマルシェ・アンシエの傀儡として動いていたことは疑いありません。しかし、果たして一介の奴隷である彼女一人の力でここまで大それたことができるでしょうか。彼女がここまで広範囲かつ数度にも渡って爆弾をばらまくには、王宮や大貴族の屋敷、そしてアルフルドの街の至る場所に自由に出入りでき、それをして不自然ではない協力者、すなわち学院魔導師の協力が必要です」

「それが……リンである、と?」

「は。かねてから私がエディアネル公と交渉していた際、リンは常にフローラと接触していました。その様子はとても身分違いのもの同士とは思えぬほど親密なものでした。私としても不審に思わないではなかったのですが、彼はよく働いてくれていましたし、尋ねても『自分には考えがある』の一点張り。そう言われればこちらとしてもそれ以上追求することもできず、放置しておりました。今思えば迂闊なことでした」

 ヘルドはいかにも悲しそうに言った。

(バカな。あのリンが。いや、しかし確かに言われてみれば彼も油断のならない人間であることに違いはない。なにせイリーウィア様の精霊にも手を出そうとしていたのだから)

「裁判の時、リンは彼女を助けるようなそぶりを見せていました。思えばあれは共犯者を助けようとしていたように見えなくもありません。そう言えばシルフを狙っていたこともありましたね。あれも今思えばマルシェ・アンシエの差し金だったのかも……」

 ヘルドはハッと今気づいたような表情をして言った。

「シルフの件は……ユインなる人物が裏で糸を引いた犯行だったのでは?」

「分かりませんよ。彼の、リンの中にも王侯貴族やこの塔に対する暗い感情があったとして一体誰が否定できましょう? 私はここ数ヶ月彼と一緒に行動していましたが、彼には、常に、なんとも言えぬ底の知れない、正体の分からない近寄りがたさを感じておりました。今思えばリンは私をも憎んでいたのかもしれません。彼も我々貴族を憎悪する平民の一人だったのかも」

(確かにリンならやりかねない……か? いや、しかし……ヘルドがこのような事態を見越してリンを右腕に指名したとも考えられる)

 デュークはヘルドの話に流されないように注意した。

 実際、彼の見方は概ね当たっていた。

 リンとフローラが親密になるよう仕向けるのは、ヘルドとフォルタの間であらかじめ打ち合わせされていたことだった。フローラがリンと一緒にいて挙動不審だったのは、常にリンが陥れられることを恐れていたためだった。

 デュークは探りを入れてみることにした。

「お前の行動がマルシェ・アンシエの幹部と一致していたのは……」

「リンの身元調査の一環です。彼らに接触してリンの目的を探ろうとしていました」

「ヘルド。リンは腐っても学院魔導師。魔導師協会によってその身分を保護されている。王室といえども迂闊に手を出すことはできない。だが、大貴族達はそれでは納得しないだろう。一体どうするつもりだ?」

「ご安心ください。私に考えがあります」

 ヘルドは待ってましたとばかりに懐から書状を取り出した。

「ここにリンを告発する書状を用意しております。それだけではありません。彼がエディアネル公に恨みを持っていたこと、闇ギルドと深い関わりを持っていたこと、そして実行犯であるフローラという少女と繋がりがあったこと、全ての事実に証人を揃えております。彼を告発し学院魔導師の身分を剥奪さえしてしまえば、後は煮るなり焼くなり我々の自由ですよ」

「証人とは?」

「リンと一緒に平民派として活動していたカロという人物です。彼は記者でもあります。歴としたマスコミですよ。その点でも我々の力になってくれるでしょう。リンと一緒に四六時中活動していた者が証人になってくれるというのです。これほどはっきりした証拠はないでしょう?」

「カロ……。聞いた事のある名前だ。確か平民派の中でも過激なタイプだったはずじゃ。そんな人間が我々貴族側の味方になってくれるというのか?」

「マスコミなんてのはコウモリのようなものです。それぞれの旗色と報酬を見て、民衆の側についたと思えば支配者の側につき、支配者の側についたと思えば、民衆の側につく。そういうものですよ」

「……」

 イリーウィアとデュークは黙り込んだ。

 ヘルドの言うことを信じるには決定打が足りなかった。

 しかし二人も対応を迫られている。

 何も思い浮かばなければヘルドの案に従うしか無かった。

「ヘルド。そのカロという方の証言以外に、リンがエディアネル公を陥れたという確かな証拠はありますか?」

「証拠? 動機があり、証人がいて、これ以上何の証拠が必要だというのです?」

「動機があるのはリンだけではないがな」

 デュークが厳かに言った。

「まさか、私を疑っているのですか? ではシルフを使ってみますか? それで気が済むというのならいくらでもシルフの力で私の心を調べて見てくださいよ!」

 ヘルドが少し大げさに言った。

(この様子だとシルフについてもすでに対策済みだろうな)

 デュークはヘルドの態度を見て諦めの溜息をついた。

「ヘルド。あなたの言うことも分かります。しかしあなたとリンに纏わる全ての嫌疑はいずれも状況証拠に過ぎません。真実というには……」

「イリーウィア様。どうか真実などという不確かで曖昧なものに縋るのはおやめください。真実という言葉、確かに万人にとって耳障りのいいものです。しかし所詮は、見方によっていくらでも捻じ曲げることができる概念のようなもの。とても儚く……そして虚ろなものです。大事なのは真実がどうとかこうとかではなく、外側から見て『どう見えるか』、ですよ。王室茶会を追い出された平民派の者が、大貴族の雇っていた奴隷を唆し犯行に至らせた。なかなか良くできたストーリーでしょう?」

「真実に蓋をして、リンに全ての罪をなすりつけるというわけですか」

「大貴族が姫様を疑っている以上、我々としても何らかの形で誠意を示さなければなりません。本当の犯人が分からない以上、誰かを犠牲にしなければならない! 最も疑わしくも失って痛みの少ない人物、すなわちリンを犠牲にするのが賢明な判断、そうは思いませんか?」

「……」

「生贄ですよ。何を迷うことがあるのです? 我々貴族の常套手段ではありませんか。あなたとて宮廷でいつも同じような光景を見てきたはずです」

「……」

「姫様。全ては国家のためです。どうか国家と王宮の連帯のためにリンを手放すご決断を」

 ヘルドは恭しく跪いてダメ押しするように言った。

 しかしそのように跪きながらも口元では笑いを抑えきれなかった。

(リンを生贄にエディアネルを追放できた。後は学院魔導師の地位さえ奪いさえすればどうとでもなる。イリーウィアの右腕に一歩近づいた。こうして競争相手を次々と闇に葬っていけば、やがては俺も500階層の魔導師に、世界を統べる評議会の一員にまで上り詰めることが出来る。そうなればやがてはこの女にも、イリーウィアにも俺に対して跪かせることもできる)

 ヘルドはその光景を想像すると身体中がゾクゾクと震えるのを感じた。

(次はどの貴族を陥れるか。生贄は……そうだな、あの『マルシェ・アンシエ』とか言う奴らが手頃かな?)

「そうですか。リンを手放さなければなりませんか」

 イリーウィアは残念そうに言った。

 イリーウィアは懐かしむようにカラットの背中を撫でた。

(確かにこのようなことになってしまった以上、結局は誰かに犠牲になってもらうしかありませんね)

「ふーむ」

 彼女は指を止めてヘルドの方を見つめた。

 彼の端正な顔立ち。

 今でも初めて見たときのことを覚えている。

 舞台で演者をしていた彼。

 一目で気に入ってしまった。

 上級貴族の血筋を引く者だと分かった時にはとても嬉しかった。

 すぐに自分の側に召し抱えることができるのだから。

 ヘルドは長年、イリーウィアのために色々と働いてくれた。

 才能も確かなものに違いない。

 しかしその彼が今言っている。

 彼女の最近のお気に入りであるリンを手放せと。

 これまでの付き合いと功績に鑑みれば、彼の言う通りにすべきなのは明らかだろう。

 イリーウィアは何かを決断するように静かに顔を上げた。

「分かりました。ヘルド。残念ですが、私も王族として決断しましょう」

「おお、決断してくださいますか」

 ヘルドが顔を明るくして言った。

「はい。ヘルド、あなたは私のために働いてくださいますよね?」

「もちろんですとも。姫様の命令とあらばどんなことでも。リンの喪失を補うためにもこれまで以上に姫様に尽くす所存です」

「ではヘルド、なるべく早くこの塔を出発する準備をしてください」

「はっ。かしこまりました。すぐに……、えっ?」

「いかにも罪状が露見しそうになって、着の身着のまま慌てて逃げたかのような素振りで出発するのです。その際、リンに疑いの目が行くようなことはないよう気をつけてくださいね。行き先はロージナ辺りが良いでしょう。日程は……そうですね」

「ちょっ、ちょっと待ってください。ロージナなんて。僻地も僻地。どうして私がそんなところに……」

「日程は明日がいいですね」

「ちょっと待ってくださいよ!」

 ヘルドはややヒステリックに叫んだ。

「イリーウィア様。あなたまさか僕よりもリンを、あの奴隷を選ぶって言うんですか?」

 イリーウィアの目がすっと冷たくなる。

 ヘルドはギクリとした。

 自分が失言してしまったことに気づいたからだ。

「ロージナでは不満ですか。そうですね。ではサンレなどはいかがでしょうか。あなたは日頃から無聊を訴えていましたね。サンレは戦場だから退屈することは決してありませんよ。ちょうど魔導師が足りなくて補充要員が欲しいと言われていたところです」

「戦場……」

 ヘルドは青ざめる。

「我ながらいいアイディアです。ではデューク。ヘルドの師匠にかけあって、彼の学院魔導師としての地位を取り上げる手続きを」

「はっ」

 デュークはヘルドの手からリンを告発する書状を取り上げた。

「デューク……」

 ヘルドはデュークを恨めしそうに睨んだ。

「悪いが参考にさせてもらうよ」

 デュークはそれだけ言うと、いそいそと準備を始める。

「ついでに先ほどの話に出て来ていたカロとかいう記者。彼も追放処分にしておきなさい。どうせ余罪のわんさかある人でしょう」

 イリーウィアは思い出したように言った。

 いかにも煩わしい手続きの一つを片付けるといった感じだった。

 彼女は再びカラットの背中を撫でようとして、ふと傍にヘルドがいることに気づいた。

「まだいたのですかヘルド」

 彼女は不思議そうにヘルドの方を見つめた。

 いかにも彼がそこにいるのが不思議でならないという様子だった。

「下がりなさい。これ以上私にいいアイディアが思い浮かぶ前に」

 ヘルドはイリーウィアの瞳を見たが、そこにはなんの感情も映っていなかった。

 それはまるで興味の無くなったオモチャを見るような目だった。



 拘置所に収監されていたリンは、突如解放された。

 同時にヘルドが着の身着のままこの塔を立ち去ったこと、さらには学院魔導師としての地位と塔への居住権が剥奪されたということも聞かされた。

 リンはそこはかとなく背後で何があったのかを悟った。

 今回も自分の代わりに誰かが、気まぐれな法律の、厳格の皮をかぶった気まぐれな法律の生贄になったのだ。

 拘置所を出たところで、リンは迎えに来たデュークに馬車に乗せられて、イリーウィアの下まで連れて行かれた。

 イリーウィアはリンを迎えるや否や以前と変わらぬ親しさで接してきた。

「あらあら。リン。すっかりくたびれてしまって。まるで捨てられた子犬のよう」

 実際、リンはしばらく拘置所に閉じ込められていたため、色んなところが薄汚れていた。

 イリーウィアはリンの頰をその指で拭ってくれた。

「イリーウィアさん。どうして……」

「リン。魔獣の森で私と初めて会った時のことを覚えていますか? あの時、二人で取り組んだ課題のことを」

 ——あなたは私に何を教えることができるのか。私はあなたから何を学ぶ句とができるのか。二人で考えてみましょう。——

 ——リン、あなたは私に何を教えていただけますか?——

「はい。覚えています」

「あの時の課題はまだ終わっていませんよ」

 イリーウィアはそう言って、微笑んで見せるのであった。



 リンはイリーウィアへのお礼を済ませた後、友人達に一通りの無事を伝えて、汚れを落とした後、逃れるように魔獣の森に出かけていた。

 その日はもう遅かったのですぐに日が暮れてしまったが、リンは森に居続けた。

 こんな時間に一人で森を彷徨うのは危ないことは分かっていたが、それでも塔の中に居たくはなかった。

 塔の中では例の如く下世話な住人どもが、今回の事件の顛末、そしてリンとイリーウィアのことについて、好き放題に話し合っていた。

 リンはどこにいても後ろ指を指されているような気がして、居ても立ってもいられなくなったというわけだった。

 森では魔獣に遭遇することはあるものの、人間界にまつわるあるあらゆる煩わしさから逃れることができた。

 以前は魔獣を恐れて近寄ることもできなかった森だったが、今となってはリンにとって唯一心が落ち着く場所になりつつあった。

 とはいえ、もう帰らなければならない。

 すでに夜の帳は降りつつあって、普段カラフルな森の中は漆黒の闇に染められようとしていた。

 色とりどりの木々はやがて全て真っ暗闇に染められ、もはや青と黄色、赤色の区別もつかなくなるだろう。

 このままこの森で彷徨っていては、知らないうちにうっかり森の奥、レッドゾーンの危険な場所まで流れ着いてしまわないとも限らない。

 リンはまだこの場所に居たかったが、諦めて帰るしか無かった。

 ふとアトレアは何をしているかな、と考えてなんとなく彼女に会いたくなってきた。

 リンがそんな風に物思いに耽っていると、遠くから人の話し声が聞こえてきた。

(なんだ? こんな夜中に森の中で活動するなんて。一体誰がどんな目的で?)

 リンは気配を消して人の話し声がする方へ行ってみた。

 そこにいたのはドリアスだった。

(ドリアスさん。一体ここで何を?)

 ドリアスは目の前に黒く聳える丘に向かって得体の知れない言語を話していた。

 リンの知らない言葉だった。

 非常に高度な魔獣の言葉のようで、リンの力では理解することができなかった。

 するとその丘は急に翼を広げ、むくりと起き上がった。

 リンが丘だと思っていたものは巨大な鳥だった。

(あれは……怪鳥ルフ!?)

 山のように巨大な怪鳥ルフは翼を二、三度羽ばたかせ周りの木々を薙ぎ払うと(怪鳥ルフにかかれば森に生える巨木も小枝に等しかった)、ドリアスに向かってこうべを垂れ服従の姿勢を取った。

(凄いな。怪鳥ルフを従えるなんて。でもこんな夜中に一体何で怪鳥ルフを……)

「誰だ? そこにいるのは」

 ドリアスがリンの方に向かって鋭く叫んだ。

「あ、どうも」

 リンはドリアスの前に姿を晒した。

「なんだまたお前かよ」

 ドリアスはホッとしたように胸を撫で下ろした。

「お前も物好きな奴だな。こんな時間に森を彷徨って。自殺願望でもあんのか?」

「ドリアスさんこそ、一体どうしてこんな時間に?」

「ん? うーん。そうだな。まあかくかくしかじかの事情があるわけだが……」

 リンはドリアスの奥歯にものの詰まったような言い方とルフを見て彼の目的を悟った。

 怪鳥ルフは200階層の高度まで飛べる数少ない魔獣のうちの一匹だった。

 つまり彼は学院魔導師の身でありながら、これからこっそり200階層に行くつもりのようだった。

「まさか。200階層に行くつもりですか?」

「んー、まあな。ファルサラスがアルフルドを封鎖したせいで、次元魔法では移動できなくなっちまったし。だが、こいつなら200階層の高度にも耐えられる」

「はあ。でもドリアスさん。いいんですか? 200階層に行ったりして。まだ学院魔導師なのに」

「そんなチンタラやってられっかよ。それにこのままだと間に合わなくなるかもしれないからな」

「?」

「ま、そういうわけで俺はいくぜ。あ、そうそう。君はこのことについて他言しちゃダメだぞ。もし知れ渡ったりすれば、僕自ら君をボコりに行くことになるからね」

 ドリアスはニッコリと笑いながら、冗談とも本気ともつかない口調で言った。

「は、はあ……」

「それじゃ、またな。帰ったらなんかおごってやるよ」

「あ、ちょっと待ってください」

 リンは怪鳥ルフに首から乗り込もうとしたドリアスを呼び止めた。

「あん?」

「良ければ僕も連れて行ってもらえませんか?」

 リンは自分で言って自分で驚いていた。

 なぜこのようなことを言うつもりになったのか自分でもよく分からない。

「いいよ!」

 ドリアスは嫌な顔一つせず、むしろ嬉しそうに言った。

 良い道連れができたと思っているようであった。



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次回、第143話「支配者への道」

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