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第144話「優雅な朝食」

前回、第143話「支配者への道」

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 250階層の外装に位置する部屋。

 そこは貴族が愛人を呼び寄せるためにこしらえた別荘だった。

 そこには塔の外を眺めることができる窓がついていた。

 窓から外を眺めることで、その高さを実感し、自分の身分を実感して、あるいは誇示するというわけだった。

 その部屋のことを知っていたドリアスは、窓をぶち破って部屋に侵入した。

 ドリアスと一緒に内部に侵入したリンは、そこがとても静かなことに気が付いた。

「静かですね」

「ああ、小金持ちの貴族がそこら一帯の部屋を買い占めているからな。一年のほとんどは無人なんだ」

 リンは床に散らかったガラスと破壊された窓を交互に見た。

 不届き者がガラス窓を破って不法侵入したのは、誰の目にも明らかだった。

「いいんですか? こんな風に無茶苦茶しちゃって。というか塔の外壁に窓を設置するのって違法なんじゃ……」

「そ、だからガラス破って侵入しても問題ない」

「?」

「自分も違法行為をしているから、刑吏部に訴えることはできないってこと。他人の違法行為を訴えて、自分が捕まっては元も子もないからね」

 ドリアスは、部屋に備え付けられたクローゼットを動かして、いかにもぞんざいに窓をふさぐと、大胆にもその部屋に備え付けられたベッドに潜り込んで眠り始めた。

 リンはどうしようか迷ったが、結局押し入れから毛布を引っ張り出して、ソファに横になった。

 別の部屋に行けばベッドにありつけるかもしれなかったが、この階層でドリアスから離れるのは不安だったので。

(はぁ。勢いでついて来ちゃったけど、本当に良かったのかな。こんな所に来ちゃって)

 リンは部屋の主が突然帰ってきて扉を開けるんじゃないかと不安だったので、なかなか眠れなかった。



 翌朝、ドリアスは屋敷にある金目の物を奪って、何食わぬ顔で屋敷を後にした。

 門を出た所で、二人はちょうど同じタイミングで外出しようとしていた隣人に出くわしてしまった。

 リンはギョッとしたが、ドリアスは「やあ、元気かい?」とにこやかに挨拶した。

 隣人もにこやかに挨拶を返した。

 その後、道の途中まで二人は差し障りのない世間話をした後、別れた。

 リンは二人が談笑している間、顔が青ざめていることに気づかれないようにするだけで精一杯だった。

 ドリアスはどういうわけか200階層の事情に精通しているようで、隣人の振って来る話題に対して自然な回答を返すことができた。

 ドリアスは屋敷からかっぱらって来た金目の物を質屋で換金すると、市街地に出た。

 繁華街に出た二人は、喫茶店に入って朝食をとった。

 ドリアスはサンドイッチを頼み、リンはホットケーキを頼んだ。

「お客さん運がいいですね。ちょうど今朝、『水蜂のハチミツ』が入ったところなんですよ」

 ウェイターがリンに言った。

「滅多に入らないいいものなんですよー。濃厚な甘みがあるのでパンケーキにとても合うんです」

「お、マジで? ちょっとそれ俺のにも付けてよ」

『水蜂のハチミツ』はキラキラと光り輝く水色のシロップだった。

 ホットケーキにかけると、ケーキの茶色とのコントラストが鮮明で、とても綺麗だった。

 食べてみると濃密な甘さがして栄養が詰まっていることがうかがえた。

「なるほど。こりゃ美味いな」

 ドリアスは味の相性など何も考えず、水色のシロップをかけたサンドイッチを美味しそうに平らげていた。

 二人は食事を終えた後、コーヒーを飲んで一服した。

「これからどうするんですか?」

「決まってんだろ? 200階層をクリアするんだよ」

「クリアするんですか?」

 リンはてっきり何かアイテムを手に入れるくらいのことだと思っていたので驚いた。

「でもドリアスさんはまだ学院魔導師ですよね?」

「関係ねえよ。クリアできる確信があるからクリアする。それだけだ」

「な、なるほど」

(きっと彼にしか分からない独自の方法があるんだろうな)

 リンはドリアスが自分とは次元の違う世界に生きていることを感じ取った。

「……あの。ドリアスさん」

「ん? 何?」

「僕はここに来てよかったんでしょうか」

「……今さら何言ってんだ? まさか今頃、帰してくれとか言わねーよな?」

「いえ、ただドリアスさんは凄いなと思って……。その上手くいえませんが、ここにいていいのかなと思ってしまって」

「一緒にいていいかねぇ。ふむ」

 ドリアスはリンのことを興味深げに眺めた。

 リンはドリアスの力強い眼光を直視しなければならなかったが、不思議と嫌な感じはしなかった。

「君は何かと知り合いに恵まれているよね」

「そうですか?」

「うん。聞いているよ。イリーウィアとも懇意にしてるんだろう? 元奴隷階級なのに王族と仲がいいなんてすごいじゃん」

「ええ、そうですね。どういうわけかみんな僕よりはるかに身分も能力も人格も優れた人達なのに、僕に親切にしてくれます。いつも思いますよ。本当にこの人達と一緒にいていいのかなって」

「ふーん。まぁ、いいんじゃないの。優秀な人間を近くで見るのは参考になるし。あんまり深く考えずにさ。社会見学のつもりで俺の200階層クリアを見てればいいよ」

 ドリアスは気楽な調子で言った。

「ええ。そうですね。勉強させていただきます」

 二人は店を出た後、小舟に乗って水路を渡った。

「どこに向かっているんですか?」

「仲間のところだよ」

「仲間?」

「ああ、攻略に必要な物を揃えてくれる仲間」



「つまりあなたは私に不正を働けとおっしゃるのですね、アルバネロ公。200階層の太守であり、公(おおやけ)の僕(しもべ)たる私に」

「何もそこまでは言っておりませんよ。長官殿」

 ウィンガルド系の貴族、アルバネロ公は愛想の良い笑みを浮かべた。

 彼は200階層におけるウィンガルド人の中で最高身分の者であり、代表のような存在であった。

「ただ、少しこの街に尽くして来た我々に対してほんの少しだけ配慮をして欲しいと、そう申しているに過ぎません」

「あなた方のこの街への貢献は計り知れない。とはいえ、それとこれとは話が別だ。新たにできる港湾の土地入札については予定通り、公平な競売によって決めさせてもらう」

「フロイライン・ヴァネッサ」

 彼は跪いて、ヴァネッサの手を取り、指に口づけをした。

 その後、ニンマリと笑った顔を彼女に向かって見せる。

 まるで平民階級の女はこうすれば喜ぶだろうと言わんばかりの態度だった。

 実際、平民階級の者に貴族がここまでへりくだるのは異例のことだった。

 フロイラインというのも貴族の令嬢という意味だった。

「どうか、そのように素っ気ない態度を取らないでいただきたい。私はただあなたと懇意になりたい、それだけなのです。私なら、あなたために望む物用意することができます」

 しかし、ヴァネッサの答えはそっけないものだった。

「くどいぞ。アルバネロ公。私は考えを改めるつもりはない。競売については後日連絡する」

 ヴァネッサがそう言って出て行こうとすると、アルバネロ公は彼女の行く先に回り込んだ。

 急に怖い顔をしてずいと迫りよる。

 ヴァネッサは射るような視線で返す。

「聞くところによりますと、長官殿。あなたはさるラドス系貴族に港湾権を譲ったと。その際に少なくない金銭を受け取ったと聞いておりますが」

「それを言うならアルバネロ公、あなたは220階の港湾権を賄賂により取得したと聞いておりますがね」

「ふむ。だったらなんだというのですかな?」

「さらに言わせてもらえば、あなたの子飼いの平民を不正な方法で魔導師協会の職につけ、あなたが任命した局長には親戚に公的な土地をただ同然の値段で譲り渡すよう便宜を図ってもらい、さらには親戚を不正な方法で局長の職につけ、さらにその職員は不正な金銭を受け取っていらっしゃるようですね」

 アルバネロ公はぐっと詰まったような顔をした。

 また彼女の足元に跪く。

「長官殿、どうか哀れな私をお助けください。このままではウィンガルド国王陛下に顔が立ちません。私は今の地位を追われ失脚してしまうでしょう」

 しかしそんなアルバネロ公にヴァネッサは冷厳と告げた。

「何度ひざまづかれようと私の答えは変わりません。お話はここまでです。お引き取りください、アルバネロ公」



「その様子ではお前もダメだったようだな。アルバネロ公」

 トボトボと庁舎の廊下を歩いているアルバネロ公に二人の貴族が話しかけた。

 スピルナとラドスの貴族だった。

 二人ともアルバネロ公同様、200階層における自国の代表者だった。

「ああ、全く。取り付く島もないとはこの事だよ」

「無理もない。スキのない奴だ」

「ほだそうとすればするほど強情になり」

「脅せば脅すほど、強かになる」

「ヴァネッサ・ルーラ。平民階級でありながら、平民派と我々貴族の闘争を巧みに利用して現在の地位まで上り詰めた。そして200階層の実質的な主人の地位を守り続けている」

 アルバネロ公は深いため息をついた後、二人の顔をみる。

「かくなる上は我々もいがみ合っている場合ではあるまい。例の件は考えてくれたかな?」

 二人共諦めたように溜息をついた。

「やむを得まい」

「君の話に乗ろう」

「では、我々3人は今から共同戦線を張る。ヴァネッサ・ルーラを長官の地位から追い落とすためにね」



 ドリアスとリンは小舟に乗って、街の外れに向った。

 街の7割が水路で出来ているスウィンリルでは隣の建物に行くのにも船を利用しなければならないことがしばしばだった。

 街から外れた場所ともなれば、ちょっとした近海だった。

 ドリアスは街のはずれにポツリと浮かんだ建物の前で船を止める。

 頑丈そうではあるが、くたびれた建物だった。

 ドリアスはまるで自分の家のように敷地内に入って行った。

 リンも付いて行く。

 扉を潜ると開けた空間に出くわした。

 何らかの作業場のようで、床のあちこちには魔法陣がペイントされている。

 主に冶金魔法の魔法陣のようだった。

 何を作っているのかは定かではなかったが、魔法陣と資材の配置の具合から製造においてそれなりに造詣の深い人物が、この施設を運用しているようだった。

 壁には湾曲した金属の板が立て掛けてある。

(あれは……船の外壁?)

 奥に進むと、紫色のローブを着た中年の男が何やら怪しげな作業をしていた。

 二人は彼に気づかれないように抜き足差し足でソロソロと近づいて行く。

 彼は赤色の液体が入った容器と青色の液体が入った容器をフラスコの中に入れて、魔法を発動させているところだった。

 液体はにわかに泡を発して反応した後、鈍い光を放つ塊になってく。

(あれは……ミスリル。じゃあ赤色の液体は『ヘカトンケイルの血』!?)

「よーし。いい感じだ。このままいけば完成するぞ」

「相変わらずセコい犯罪してるのか?ハッサン」

 男はビクッとして散らばっているものを慌てて片付けながら、こちらを見る。

「げっ、お前はドリアス!?」

「よぉ。ハッサン。元気だったか?」

「ちょっと困るよ。そんなに堂々と訪ねられちゃ……」

「まあ、そういうなって。この階層をクリアする準備が出来たんだ」

「200階層をクリア? 学院魔導師のお前がぁ?」

 ハッサンは胡散臭げにドリアスの方を見た。

「ああ、とりあえずこんな感じの船を1ヶ月以内に造って欲しいんだけど」

 ドリアスは仕様書らしきものを取り出してハッサンに見せた。

「動力付きの100人以上乗れる船、ミスリルの外壁……ってお前、こんなもん1ヶ月以内に造れるわけねーだろ! 金も人出も施設も足りねーよ」

「安心しろ。それについては俺に考えがある」

「考え?」

「うむ。会社を作ろうと思うんだ。ハッサン、君の名前を貸したまえ」



 同じ頃、ドリアスが窓を破って侵入した貴族の屋敷には刑吏部の者達が詰めかけていた。

 屋敷の主人が荒らされた屋敷を目の当たりにして刑吏部に通報したのだ。

 取り付けられた窓が壊れた部屋では、屋敷の主人が憤懣やるかたないと言った表情で、捜査に当たっている刑吏部の者達にやり場のない怒りをぶつけていた。

「全くどうなっているんだ。私の屋敷がこんな目に遭うなんて」

 屋敷の主人はブツブツと刑吏部の者に不平をぶつけた。

「この一帯は富裕層の別荘地帯で治安が良いと聞いていたからこの屋敷を購入したのに。空き巣になんて侵入されるとは。こんな犯罪者を野放しにしているなんて。最近、200階層の治安は悪くなる一方じゃないか。それもこれも協会と刑吏部の怠慢のせいだよ」

「ご主人、どうか落ち着いて下さい。まだ捜査中ですので……」

「君達は一体何をしているのかね? 誰の納めた税金から君らの給料が出ていると思ってるんだ? ええ?」

 屋敷の主人は刑吏部の者に八つ当たり気味に食ってかかった。

 刑吏部の者はにっこりと笑って屋敷の主人に応対した。

「塔の外壁に窓を設置するのは違法ですよ、ご主人?」

 刑吏部の者がめちゃくちゃに破壊された窓を指差しながらそう言うと、屋敷の主はグッと詰まった。

「空き巣について調べるには、あの窓についても調べなきゃなりませんな」

「署までご同行願えますか?」

「違法行為についてはもちろん悪いと思っていますよ。ええ、それは私の不徳の致すところです。しかし、しかしですよ。だからと言って屋敷にある金目のものを洗いざらい盗んで行っても良い理由にはならないでしょう? ローブまで盗まれているし、あの中にはとても貴重な魔石もあったんだ。どうにか刑吏部の方には、盗人をひっ捕らえてもらって、盗まれたものを取り返していただかないと」

 その場にいた刑吏部の者はため息をつきながら了承した。

「分かりました。この件については、こちらで捜査させて頂きます。窓を設置した件については後日連絡を寄越しますのでそちらで対応よろしくお願いいたしますね」

「ええ、ええ。無論そうしていただかないと。頼みますよ」

 屋敷の主はすごすごとその部屋から引き下がる。

「ったく、俗物が。余計な事件を引き寄せやがって」

 刑吏部の男は悪態をついた。

「だいたい、こんな閑散とした場所に貴重なアイテムなんて置いとくなよなぁ」

「連れ込んだ愛人に見せて自慢したかったんでしょうよ」

 そう言って刑吏部の一人は肩をすくめた。

「しかし、この空き巣も何を考えてんでしょうね。わざわざこんな風に窓を破壊するなんて」

「さぁな。この手の輩の考えることはてんで分からん」

「逃走のための時間稼ぎかもしれません。窓を割っておけば、館の主人が違法行為の露見を恐れて、通報を遅らせると思ったのかも」

「どっちにしろ手掛かりがない以上ここに長居は無用だ。地道に聞き込み調査するしかない。おい、新人! いつまでそこにうずくまっている。撤収するぞ」

 刑吏部の者はインターンで捜査に参加している100階層魔導師に向かって声をかけた。

 彼は割れた窓の近くに落ちていた大きな羽を手に取りながら考え事をしていた。

(ルフの羽……。犯人は時間稼ぎのために窓を壊したわけじゃない。外から窓を破って侵入してきたんだ。ルフに乗って……)

「おい新人! メイアード(100階層魔導師)! ……ティドロ!」

 彼がその名を呼ぶと、メイアード(100階層魔導師)のティドロはようやく立ち上がる。

(こんな芸当ができるのは、この塔の中で一人しかいない。やはり来たか。ドリアス)



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次回、第145話「ティドロの暗躍」

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