150話「ヴァネッサの反攻」
「そろそろ頃合いだな」
ドリアスはエルフの娘、フレジアを使ってリヴァイアサン(海神)の暴走を止めた。
下階層に降りる準備をする。
「大丈夫ですかね。今降りて。僕達袋叩きにされるんじゃ……」
「大丈夫さ。下の連中は災害でそれどころじゃないだろうし。それに……」
「?」
「おそらくヴァネッサが上手いことやってるだろ」
リンとドリアスはタイミングを見計らって、下階層に降りる。
下層に降りる時は上がる時と違い、巨大樹を通る水路のエレベーターを通って、堂々と降りて行った。
ミスリル船の威容と頑強さに任せ居並ぶ他の船舶を半ば強制的にどかせ関所を強行突破して270階層まで降りて行く。
ドリアスの予想通り、下層は新港湾の沈没と突然逆流した水路のせいでてんてこ舞いだった。
(ドリアスめ。やはり約束を守らなかったか)
ヴァネッサは兼ねてから準備していた通り素早く行動を開始した。
まずは自分の配下の者達を使って、スウィンリル(200階層)外周に設置されてあるダムの栓を押さえた。
それは街の水位が調整不可能になるなど有事の際に抜く事で溢れた水を塔の外に排水できる栓だった。
ダムの栓を守る役人についてはあらかじめ取り込んでいる。
彼女はしばらくの間、あえてそれを抜かず黒い水が街を侵すのを見て見ぬ振りし、アルバネロ公らがどのように対応するのか見守った。
彼女の予想通り貴族達は何一つ有効な対策を講じることができず、この危機に右往左往するばかりであった(彼らはダムの排水栓の存在すら思い出すことができないようだった)。
アルバネロ公を始めとする貴族達が拠点にしている250〜270階層の街並みはすっかり黒い水に覆われてしまう。
そうしてヴァネッサは貴族達の無策無能ぶりを確認すると、次にハーピーを使って貴族の醜聞に関する文書をばら撒かせた。
それは新港湾の利権に関する貴族と長官の癒着の暴露に始まり、さらに水路の逆流とリヴァイアサン(海神)の暴走まで貴族のせいにして責任を問うという、貴族達への反感を大いに煽るものだった。
さらには貴族達の船が黒い水を航行するには不適切なものばかりであり、また貴族達が自分たちの利権を守るために水栓を開けるつもりがなく、このままでは黒い水はさらに下の階層にまで到達する、という噂をばら撒き、市民達の攻撃性と不安を煽ることも忘れなかった。
事ここに至ってついにスウィンリル(200階層)の住民達の我慢は限界に達し蜂起に踏み切った。
200階層の平民派(そのほとんどはヴァネッサと繋がりがあったり、息がかかったりしている者達)を中心にして怒れる市民達は武装し、エレベーターを上って貴族達の屋敷を襲撃し始めた。
アルバネロ公は守備隊に貴族の財産を守るよう要請したが、守備隊は無視した。彼らもすでにヴァネッサと通じていた。
彼らは平民派の連中の蛮行を見て見ぬ振りする。
アルバネロ公を始めとする汚職を告発された貴族達は、這々の体で塔を後にする。
それを見届けてからヴァネッサはスウィンリル(200階層)の栓を外した。
黒く濁った水は塔から排出され、魔獣の森へと降りかけられる。
ミスリルの船が下階層に降りた頃、水路の街はリヴァイアサンの起こした洪水によってすっかり辺り一面黒い水になっていた。
『魔力発生動力炉』と頑強な装甲を備え付けたミスリルの船は、重油よりも重く粘性のある黒い水を物ともせず掻き分けて、進んで行く。
リンが船から顔を出してみると、スウィンリル(200階層)の人々はこのような災害に慣れっこなのか、各々対応している。
水場に生息する魔獣の背中に乗る者、空を飛ぶ魔獣の背中に乗って難を逃れる者、船の上や背の高い建物に登って難を逃れる者。
また、命知らずにも黒い水の上を歩いて行動している者もいた。
重油のように重い黒い水を掻き分けて進める船や魔獣はあまりないが、代わりに流れはゆったりしているので、未熟な魔導師でも魔法の靴で水面を歩けるようになっているのだ。
彼らは動けなくなった船に近づいて、せっせと略奪に勤しんでいた。
リンはミスリルの船の中にいて、ドリアスの近くにいて、被災地の真っ只中にいるとは思えない平穏さを保っていた。
沈没しつつある街で、住民達が今まさに生死をかけて避難しているなどとはどうしても思えなかった。
とはいえこのような時の人々の性として、仕方がないとはいえ、周囲では略奪が相次いでいた。
屋根の上に登った人や、前述の通り魔獣や船によって移動できる人はここぞとばかりに水没した家の家捜しを開始した。
彼らによって金目の物が置いていそうな家や船は、根こそぎ荒らされてしまう。
それはリンとドリアスの罪悪をカモフラージュしてくれた。
もはや略奪と不可侵領域への侵犯は違法ではなく、日常となってしまっていた。
黒い洪水は街並みだけでなく、人々の犯した全ての罪さえ洗い流してしまう。
ミスリル船は混乱に乗じて再び略奪行為に勤しんだ。
命知らずな火事場泥棒達だったが、ミスリル船が近づいてくると、さすがの彼らも遠慮して道を空け、獲物を譲ってくれた。
リンが看板の上からボンヤリと略奪の様子を見ていると、見慣れた模様の旗を掲げた船団が目に入ってきた。
「あ、あれって」
「どうした?」
横にいたドリアスが聞く。
「平民派ですか?」
それは確かに平民派の旗印だった。
彼らは治安維持に勤めていた。
火事場泥棒達は彼らを見ると一目散に逃げ出してしまう。
「200階層にも平民派はいるんですね」
「ああ、階層ごとに組織されてる。階層間のつながりは薄いけどね。ただ、200階層の平民派は頑張って勢力維持してるらしいよ。ヴァネッサの下……、おっ、噂をすれば……」
進路の向こうから一際大きな船団がやってくるのが見えた。
旗艦となる船の上には、船団を指揮しているヴァネッサの姿も見える。
彼女は災害救助と治安維持を指導しつつも、この機会に市民に向けて顔を売ることも忘れなかった。
自分の姿が人々によく見えるように船の高い場所に立って、船団を指揮している。
彼女もミスリルの船に気づいた。
(ドリアス。まさか本当にリヴァイアサン(海神)を暴走させるとは。相当キレた奴だな。これからは奴が200階層の同居人となるのか)
二つの船の間に一触即発の空気が流れた。
しかし、何事もなく互いにすれ違う。
「何もして来ませんね」
「向こうも意味のない戦いをするほどバカじゃないってことだろ。あいつの敵は今は俺よりも貴族共だ」
(ヴァネッサ・ルーラ。スウィンリル(200階層)魔導師協会長官に異例の長期間在職している権力者にして平民派影の首魁。噂通り相当手強い政治家のようだな)
どの階層でも、貴族派によって切り崩されたり取り込まれたりしている平民派だが、スウィンリル(200階層)の平民派だけは例外的にその勢力を維持していた。
その健在ぶりはひとえにヴァネッサの政治力の賜物である。
「帰るか」
「えっ?」
「潮時だ。もうあらかた盗るもんは盗ったしな」
(あんまり長居するのも賢明ではないしな)
ドリアスはすれ違う時のヴァネッサの射るような目を思い出しながらそう思った。
ヴァネッサの方でもドリアスの動きを察知する。
「ミスリルの船が進路を変えました。巨大樹の方へ向かうようです」
「そうか……」
ヴァネッサはしばらく思案した後、副官に指示を出した。
「巨大樹の監視員にミスリル船には手を出さないよう伝えておけ。向こうから何か悪さしない限りこちらからは何も危害を加えるな」
リンとドリアスは星の瞬きもない真っ暗な夜空の下、巨大樹に向かった。
そして200階層への侵入経路として使った貴族の屋敷に向かい、来た時と同じようにルフ(怪鳥)を使って、脱出した(ルフ(怪鳥)の背中には奪い取った沢山の魔導具を乗せた。ミスリル船は貴族の屋敷前で解体し、バラバラになったミスリルについては乗組員の好きにさせた。リンもお土産にミスリルの塊を一つもらった)。
階層を降ってアルフルド(学院都市)の一角。
「『スウィンリル(200階層)でリヴァイアサン(海神)暴走。街に壊滅的被害。長年の水質汚濁とアルバネロ公を始めとする三大国の失政によりついにリヴァイアサン(海神)の堪忍袋の緒が切れる。廃棄物が大量の水と共に逆流し、街の一部が汚染される。被害範囲は250階〜270階までの約20階層分。また災害に乗じた市民の暴動により、アルヴァネロ公を始めとする三大国の貴族らは失脚。貴族と協会の癒着、汚職が多数発覚し、貴族派の協会職員が数名逮捕される。これによりスウィンリル(200階層)協会支部の重要な役職には平民派が返り咲く。評議会はスウィンリル(200階層)の復興担当大臣に前長官ヴァネッサ・ルーラを指名する見通し』、か」
テオは読んでいた新聞を閉じて、パサリと机の上に放り投げた。
「こっちには『スウィンリル(200階層)次期長官にはヴァネッサ・ルーラが当選確実』、とあるね」
ディエネがテオの読んでいたのとは別の新聞を広げながら言った。
アルマはそれを覗き込む。
「えーと。どれどれ。『リヴァイアサンの暴走阻止において中心的な役割を果たした学院魔導師ドリアスは、200階層魔導師(スウィマー)の称号を得る』、……って200階層特進かよ!」
アルマが素っ頓狂な声を上げた。
「いやぁ。ここ数日の間に随分スウィンリル(200階層)で動きがあったね」
「こんなにたくさん上の情報降りて来たの初めてだぜ」
三人はここ数日、特にやることもなかったので、三人で集まってはスウィンリル(200階層)の騒動についてあれこれ話し合っていた。
アルフルド(学院都市)は爆破事件の傷痕から立ち直りつつあった。
今や、みなスウィンリル(200階層)で起こった事変について、街のあちこちで議論したり、噂を立てたりしている。
「いずれにしてもリヴァイアサン(海神)暴走の真相については闇の中……か」
テオは頭の上で腕を組んで、椅子の背にもたれ、宙を見上げながら言った。
「んで? リンはどこ行ったんだよ」
「部屋で寝てる。『一人旅』に相当お疲れなようだよ」
「そうか。……まさかとは思うが、リンが最近行方をくらましてたのって、スウィンリル(200階層)での一連の事件と何か関係があったりとかしないだろうな?」
アルマが恐る恐るテオの方を見る。
「さて、どうだろうね」
「まあ、でも」
ディエネが言った。
「よかったよ。リンが無事に帰ってきて」
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