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第118話「グレンデルとの戦い」

前回、第117話「静かな洞窟の中で」

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 ヘルドはイリーウィアに呼ばれて彼女の執務室へと向かっていた。

(全く。なんだっていうんだ。こんな風に急に呼び出して)

 イリーウィアがこのように急に呼び出すなんて事は今まで無かった。

 彼女は時折、予測不能な行動を起こすが、基本的には計画的だった。

 部屋の前に来ると、ヘルドはドアをノックする。

「失礼します。ヘルドです。お呼びでしょうか?」

「入って」

 沈んだ声が聞こえてくる。

 ヘルドは奇妙に思いながらドアを開ける。

 中に入るとイリーウィアが沈鬱な表情をしながらカラットを撫でていた。

「どうされましたか?」

「ねぇあなた知っています? リンと知り合いの評議会議員……」

 彼女はヘルドをねぎらうのも社交辞令の挨拶も忘れて、切羽詰まった様子で切り出した。

「評議会? まさか。彼はしがない平民出の学院魔導師。そのような人脈持っているはずは……」

「でも彼言ってたのよ。はっきりと。500階層の魔導師にツテがあるって。ねぇあなたの情報網で何か掴んでいない?」

「いえ。私の方でそれらしい事は何も 。貴族や高位魔導師とその関係者に関する情報は常に注意を払っていいますが……」

 ヘルドはしばし考え込んだ。

(まさかホラでも吹いているのか? そんなタイプには見えなかったが……)

「ヘルド。調べてくださらない? あの子誰かに騙されてるのかも」

「かしこまりました。私の方で調べておきましょう」

「お願いね。できるだけ早く調べるんですよ。でないとあの子、私の側から離れてしまうかも」

「ご安心下さい。そうならないよう全力を尽くします」

 ヘルドは部屋を辞して忙しそうに屋敷を出て行く。

(全く。こっちが大変だって時に。リンの奴。面倒事を作ってくれる)



 黄色い木々が入り乱れて立ち並ぶ森の中。

 リンの目の前にはグレンデル(毛深い巨人)がいた。

 目当ての魔獣を前にしてリンは気合を入れる。

 週末、アトレアと一緒に森をさまよって数週間、あと一歩のところで逃げられたり、他の魔導師に掠め取られたりして悔しい思いをしてきた。

(ここ数週間、森の中を歩き回ってようやく遭遇できた。逃しはしない!)

 グレンデルはオークより一回り大きく、鎧はつけていないが 、全身が毛で覆われている。

 それは体毛であるにも関わらず鋼よりも断ち切るのが難しい。

 オークよりもはるかに知能の高いグレンデルはリンを目の前にして戦うかどうかを迷っている。

 逃げ出した方がいいか。

 戦った方がいいか。

 仲間を呼んだ方がいいか。

 リンはオークの剣(オークの血を吸った剣)を取り出して杖の先に紐で括り付け、銃剣のようにした。

 グレンデルはそれを見て警戒感を強める。

 同時に戦う覚悟を決めたようだった。

 この魔導師は自分を殺す手段を持っている。

 背を向けて逃げれば後ろから刺されるだろう。

 生き残るには目の前の魔導師と戦って倒すしかない。

 リンは威嚇が成功したのを見ると鉄球を打ち出してその辺りの木を薙ぎ倒す。

 けたたましい音が起こると同時にリンの隣に開けた空間ができて、加速する余地が作り出される。

(木が倒れる音はアトレアにも聞こえたはず。後はこいつを罠の場所まで誘い込むだけだ)

 アトレアとは手分けして森を探索していた。

 木の倒れる音を合図に合流する手はずだった。

 グレンデルは慌ててリンに飛びかかった。

 このままではリンにとって有利になるばかりだ。

 リンは加速魔法で躱す。

 しかし後ろには回り込めない。

 森の中では木々とその根っこが障害となって闘技場で見せたような機動力を発揮することができない。

 リンは先程木を倒して開けた空間に逃れた。

 グレンデルはニヤリとほくそ笑んだ。

 どうやらこの魔導師はそこまで強くないらしい。

 高度な移動魔法を使えないのがその証拠だ。

 グレンデルは密林のわずかな隙間でもすり抜けて高速移動する魔導師に何度か遭遇したことがあった。

 リンにその技術はないようだ。

 一方でグレンデルは木を薙ぎ払いながら進むことができる。

 魔導師の持っているオークの剣にさえ注意を払っていれば恐れるような相手ではない。

 グレンデルはその巨体で木々を薙ぎ倒しながらリンの右側、満足に剣を振るえない死角に回り込んで攻撃を繰り出す。

 リンは木の精霊達に避けてもらいながら、

 移動して敵の攻撃をしのぐ。

 木の精霊達はちょっと迷惑そうにしながらも黙って避けてくれた。

 徐々にグレンデルは川の近くまで誘い込まれる。

 しかしもう少しで川に辿り着くというところで、リンの方が息切れ模様となり、グレンデルはほくそ笑んだ。

 手こずったがここまでくればこちらのもの。

 グレンデルはリンの右側に回り込み、その手でリンの持っていたオークの剣を弾き飛ばす。

 もはや恐れるものは何もない。

 グレンデルはリンの頭に手を伸ばす。

 しかしその手が触れる事はなかった。

 リンは加速魔法で高速移動しながら密生する木々の間を潜り抜けて行った。

 剣を拾う。

 グレンデルは怒り狂った。

 やはりリンは高度な移動魔法を使えるのだ。

 にも関わらず今まで隠していた。

 グレンデルは激高してリンを猛追する。

 しかし追いかけているうちに異変に気付く。

 先ほどまで自分の行く手を阻んでいた小枝や木の幹、葉っぱ、土を盛り上げる根っこの感触がない。

 彼は自分にも空間魔法がかけられていることに気づいた。

 世界の全てが自分を避けて、わずかな隙間でも潜り抜けることができる。

 しかし今度は足を取られる感触に襲われる。

 グレンデルのひざは水に浸かっていた。

 グレンデルは戸惑った。

 川はまだ先のはず。

 一体なぜ?

 兎にも角にもリンとグレンデルは突然現れた川によって平面で結ばれる。

 リンの指輪が光る。

 グレンデルが突然変わった自分の位置にポカンとしている隙にリンは後ろからグレンデルの心臓めがけて剣を突き刺した。

 グレンデルの息の根を止める。

 リンは倒れるグレンデルの巨体の下敷きにならないよう、剣を素早く抜き取ってその場を離れた。

 グレンデルはズシリと音を立てて倒れる。

 オークの剣はその刀身にべったりと付着したグレンデルの血を吸い込んでいく。

 緑色だったオークの剣の刀身は赤茶色に変わる。

 オークの剣はグレンデルの剣に変わったのだ。

 水がゆっくりと引いていく。

 辺りは静寂に包まれた。

「倒せた?」

 木陰からアトレアがひょこっと頭を出した。

 空間魔法と川を出現させる魔法を放ったのは彼女だった。

「うん」

 リンはグレンデルの剣を掲げて見せる。

 アトレアはニッコリと笑った。



 二人はグレンデルを捌いて得たアイテムを分かち合った後、戦いの過程でなぎ倒された木々を修復する。

「接近戦が得意なんだね」

「どうなのかな。これ以外戦い方を知らないから」

「そうなんだ」

「アトレアはやらないの? 接近戦」

「うん。やらない。というかできない。やったことないから」

「へえ。アトレアでもできないことはあるんだね」

 リンはなんとなくアトレアはなんでもできるものだと思っていた。

「そりゃあ誰でも得手不得手があるものよ」

「次はサイクロプス(一つ目の巨人)だね」

「ええ、そしてその後がいよいよヘカトンケイル(百目の巨人)」



「平民派の集会の方はどう?」

 アトレアはおもむろに聞いた。

「ダメだよ。行き詰まってる。みんな目先のことしか考えていない。日々の生活が忙しいから仕方ないけれど……。みんな性急な成果を求めていて僕の考えには耳を貸してくれない」

 リンはアトレアに平民派の集会について話していた。

 テオにも反対されている今、彼女は唯一この件について相談に乗ってもらえる人物だった。

「その平民派の人達を飛行船の船員にする構想なんでしょう?」

「うん。まだ誰にも言ってないけれど。みんなで飛行船に乗って世界中を駆け巡りながらお商売をするんだ。塔の経済的な支配からみんなで抜け出せるかもしれない」

 リンは嬉々として素晴らしい未来を語ったかと思うと、その後急にがっくりと肩を落とす。

「そのためにも今は100階以上にみんなで行くのが一番だと思うんだけど……、けれども皆んな僕の方針を理解してくれないんだ。やっぱり僕に実績がないからかな」

「誰もがあなたのように、未来に夢を描けるわけじゃないの」

 アトレアは諭すように言った。

「あなたの構想は壮大で飛躍しがちだから。理解してもらうためには慎重に言葉を選ばなくちゃダメよ」

「うん」

 リンは素直にアトレアに同意した。

「よかったらアトレアも集会に来る? 500階以上の魔導師が来るとなれば、きっと活発になると思うんだ」

 アトレアは悲しげに首を振る。

「そっか」

(やっぱりアルフルドには来れないのか)

 リンはこうしてアトレアと一緒に森を歩きながらも、彼女との決して詰められない距離を感じていた。

 ヘカトンケイルを倒した後も彼女と同じ未来を見続けることはできるのだろうか。

 リンはヘカトンケイルに会いたいような会いたくないような不思議な気持ちになった。



 リンはアトレアと一緒に談笑しながら森を歩いた。

 二人は今日の狩を終え、一仕事やり遂げた満足感の下、リラックスした雰囲気で帰宅しようとしていた。

 指輪の光も収まり魔獣や毒虫に襲われる気配もない。

 森も静かに若い二人のカップルを見守っているようだった。

 しかし突然、リンは重圧を感じた。

 それは重くたれ込める暗雲のように視界を曇らせのしかかってくるようだった。

(これは魔力?)

 リンはその場から動けなくなるくらいの戦慄を覚えた。

 ヘカトンケイルに面と向かって対峙した時でさえここまでの重圧は感じなかった。

 周囲のそこかしこで魔獣がざわめき、逃げ惑うように移動を始める。

 そこら一帯が騒然となった。

 突然の異変に、静かにうたた寝していた者達が飛び起きたかのようだった。

 リンは眩暈を覚えた。

(なんだ……これ? そんなに近くないのに物凄い重圧だ)

「物凄い魔力ね。しかも威圧的」

 アトレアも緊張しているようだった。

 常に余裕のある彼女の顔も固くなっていた。

「でも私達に向けられたものじゃないみたいね」

 二人は木陰に隠れながら魔力の主の元へと行くことにした。



 魔力が放射される中心点には二人の人物がいた。

 口論が聞こえてくる。

「あの人はドリアス……」

 アトレアが言った。

「ドリアスを知ってるの?」

「ええ、彼は評議会でも色んな意味で注目の的だから」

「それにオーリアさんもいる……」

 ドリアスはエルフのオーリアと向かい合っていた。

 二人は明らかに穏やかではない雰囲気だった。

 ドリアスはゆったり構えているが、オーリアは額に脂汗をじっとりと浮かばせ萎縮したような表情をしていた。

 それを見て先ほどの魔力はドリアスがオーリアを威嚇するために発したものだと分かった。

「ドリアス。君のいうことも分かるがね。少しはこちらの事情も察してもらわないと……」

「往生際が悪いぜ。オーリア。約束は約束だ」

 オーリアは唇を噛んだ後、観念したように密林の方を振り向いた。

「出て来い。フレジア」

 オーリアがそう言うとエルフの娘が出てくる。

 長い黒髪に深い緑色の瞳をして、頭のてっぺんには花飾りをしている。

 彼女はオーリアの側を通り過ぎるとドリアスに寄り添うようにして付き従う。

 その様はまるで嫁ぎ先にいく花嫁を思わせた。

 リンは目を見張った。

(エルフは人間に従わないはずじゃあ……)

「悪いな。オーリア。こっちもこっちで必死なんだ。100階か200階の様子が明らかにおかしい」

 ドリアスは目を細めて塔の方を見た。

 そこにある異変を感じ取るかのように。

 リンも塔の方を見てみるが特に異変らしい異変は感じ取れなかった。

 ドリアスにしか見えないものがあるのだろうか。

「それはそうと誰だ? さっきからコソコソこっちを見ている奴は」

 リンはギクリとしたが、観念して出ることにした。

 木陰から出てドリアスの前に姿を表す。

「こんにちは」

「ん? お前は……確か」

「リンです。あのすみません。盗み聞きするつもりはなかったのですが……」

「ああ、いいよ。大したことじゃないし。そうかお前はリンっていうのか。覚えておこう。悪いねデートの邪魔しちゃって」

 ドリアスはリンの隣にいるアトレアを見ながら言った。

「いえ、こちらこそ」

 ドリアスはそれだけ言うとエルフの娘を連れて立ち去った。

 ドリアスが立ち去るとオーリアはどっと汗を吹き出してくたびれたようにうなだれた。

 その容姿は若々しいものの、雰囲気は一気に老けたようだった。

 それからリンの方を向く。

 今初めてそこにいるのに気づいたかのように。

 実際、ドリアスの圧力は彼に周りを見えなくさせるのに十分だった。

「お前はイリーウィアの……、それにアトレア!?」

(アトレアもオーリアさんの知り合いなのか。……アトレア?)

 アトレアはなぜか恥ずかしそうにしてリンの後ろに隠れる。

 オーリアは苦々しげな顔をした後、踵を返して森の中に消えて行く。



 リンとアトレアも森を後にした。

 やがて日が暮れて行く。

 また一つ美しい宝石を魔導師に持って行かれた森は、寂しげに夜の帳を落とした。



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次回、第119話「塔の製作」

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